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第三十話 決断

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「ニックスケットの、謝猫祭……」

「パレードの特別席を全員分用意してくれてるって、ジェルヴェが……どう?」

 デバイスのホログラムからヒョッコリと顔を出し、リューシェ様が上目遣いで首を傾げてくる。私はまんまと悩殺され、心のバズーカ一眼レフを連写しまくった。

 しかし、今日ばかりは、いつものように二つ返事とはいかない。

 ニックスケットはニンフィールド連邦王室のお膝元……つまり、連邦王国の首都、国内最大級の繁華街の名前である。

 古来より我が国では、白猫信仰が盛んだった。猫は妖精の化身とされ、優れた魔力を持つ者を好み、加護を与える存在として親しまれて来た歴史がある。そんな猫のなかでも、特にグリーンアイの白猫はひときわ縁起が良いと言われているのだ。

 4年に一度行われるニックスケットの謝猫祭では、王室でブリーディングされている白猫のお披露目と王室騎士団によるパレードやデモンストレーションが行われ、3日間にわたり、大通りは人々のお祭り騒ぎで賑わい尽くしとなる。

 王室が国をあげて行う一大行事であるので、ジェルヴェとベランジェはここ1カ月ほど寮を留守にしていた。今日は私が選択授業を受けている束の間に顔を出したらしく、王子直々のスペシャルオファーを届けるだけ届けて嵐のように去っていったのだという。

 あの抜け目ないジェルヴェのことだ。これを機に、学園で見つけた自分のとっておきの白猫をお披露目する心づもりなのだろう。いよいよブランシュの跡取りを連邦に引き込むアピールを対外的に示す時が来たというわけだ。

「折角のお誘いですが、猫の中にカラスが紛れ込むと盛り上がりを台無しにしかねませんので、私は遠慮させていただきます。申し訳ありません、リュー様」

「でも……シルヴィ、猫耳と尻尾付けたレニー、見たくない?」

「ヒン……ッ! 見たいですぅ……っ」

 私は顔を覆って咽び泣いた。何を隠そうこの祭り、老若男女問わず、参加する者はみな、猫耳と猫しっぽを生やすのがマナーなのである。ゲームのイベントでもあった。ちなみに前世では全スチル解放するために家賃を吹き飛ばしました。

 しかし、こればっかりは本当に無理なのだ。なにせ私、連邦や大陸に足を踏み入れた瞬間、首が召されてしまうので。マジで盛り上がり台無しにしちゃう。和やかで賑やかなお祭りをスプラッタホラーの現場にしたくないでござる。

「ねえ、お願い……私猫耳シルヴィが見たいの!」

「ううっ……私も猫耳リュー様を魂に焼き付けて走馬灯に見たいです……そうしたいのですけど……こればっかりは……」

「貴女がそこまで言うってことは、ご家庭の事情なのね……」

「恥ずかしながら……」

 リューシェ様はしょんもりと項垂れ、「無理言ってごめんなさい」と呟いた。私は滂沱の涙を流しながら彼女をヒシと抱きしめた。オットセイみたいな声で咽び泣いていたので通りがかりのリュシアンに怪異を見るような目で見られたのだった。

 +++

 その日の夜、机に向かって魔力研究ジャーナルの記事をデバイスで開きつつも、どうにも目が滑ってしまい、憂鬱な時間を過ごしていたところのことだった。

 何度目か分からないため息を吐いた直後、外から窓を叩く音が聞こえたのだ。

 椅子から飛び上がるようにして立ち、急いで閉め切っていたカーテンを開ける。

 するとそこには、月の光をバックにして、淑やかに微笑んで手を振るレナンドルの姿があった。あまりに麗しすぎて私は一瞬財布を探した。お布施を払わなければ目がつぶれると強迫観念に駆られるほどの美しい光景だった。

 頭がバグってしまった私は、勢い余って窓を枠ごと吹き飛ばし、顔を出した。焦りまくった私でも、レナンドルがいる外ではなく内側に吹き飛ばすくらいの分別はあったが、部屋の中は滅茶苦茶になった。模様替えしたかったところだったのでまあ丁度いいだろう。

「お待たせいたしました。どうかなさいましたか」

「……シルヴィ、君はたまに突拍子もない行動をするところがあるな」

「貴方様をお待たせすることに比べれば、室内の治安など些細なことにございます」

 レナンドルは困ったように頬をポリポリと掻いて口角を引きつらせた。そしてパチンと指を鳴らして、窓枠以外は室内を元通りにしてくれる。気遣いの神がここにあらせられた。

「すこし夜の散浮に付き合ってもらえないかと思って」

「私がお傍にいては、せっかくの星月夜が台無しではございませんか」

「まさか。君がいいんだ」

「さ、左様で……光栄に与りますわ」

 レナンドルは安堵したように息をつき、私に向けて手を差し伸べた。私は淑女の礼を取り、その手のひらに指先を触れさせた。

 フワリと空中に浮く身体。風魔法で身体を浮かせるのと違い、レナンドルが重力を操作して一時的に物理法則の軛から外れているので、いつもと感覚が違って新鮮だった。

 そのまま、私たちは暫く無言で、仰向けになってフヨフヨと地上100m地点あたりを漂い、満天の星を眺めた。この瞬間ばかりは、自分が何者でもないような気がして、とても清々しい気分になれる。このまま眠りにつけたらいいと思わずにはいられない。

「シルヴィ」

「はい、レナンドル様」

「君は、やはり、これからも、ノースで生きていきたいと思うか」

 言葉が出なかった。

 勿論、出来る事なら、ノースなど捨てて、レナンドルとリューシェ様の活躍を遠くから見られる場所で静かに生きていきたいと思う。

 でも、何より私は、レナンドルが原作のような顛末を辿ることを阻止したいのだ。初めからシルヴェスタがノースから足を洗うなどという分岐は原作にない。原作からかけ離れた出来事が、どんな世界を導くかは、どこまでも未知数。

 私がシルヴェスタとしてできるはずだったことも、何もかも手放すことになる。私がノースに残留していれば、万が一レナンドルが原作のようにプリエンの悪意に囚われた時、私が手引きして彼を逃がすことができるかもしれないのに。

 その可能性を切り捨てて、シルヴェスタとしての役割を放棄して。そんなことが、許されるのだろうか。

 でも、もし、ベランジェが道を踏み外さないように誘導することが出来たなら。それができなくても、私が彼の動向に気を付けてさえいれば。そんな考えが生まれ始めたのも確かだ。これは、レナンドルがアトラムに連れてきてくれたからこそ生まれた可能性だった。

 どちらの可能性を取るか。ずっと先延ばしにし続けていた選択を、たった今迫られている。

「私は……ノースで、君と幸せになれるか、どうにも自信が持てずにいる。前までは、君がノースで幸せになれるならと思うこともあった。だが、君のプリエンでの現状を思うと……自分勝手なのはわかっていても、君と一緒に、ノースを出たいと、そう思ってしまうんだ。かなうなら、ブランシュではない私として、プリエンでない君と、改めて関係性を築きたい」

「プリエンでない、私……そんな私に、価値などあるのでしょうか」

 シルヴェスタならいざ知らず。中身ただのポンコツオタク女な私が、レナンドルと対人関係を築くこと自体、ただただ烏滸がましい。

 ただの私としてこの世界に立った瞬間、私は、シルヴェスタという存在をただ無に帰し、愚にもつかない生き恥を晒すだけの罪深い存在に成り下がるというのに。

「それなら、君にとって、リューシェの存在は、いったいどんな価値があるというんだ」

「価値だとか、そんなくだらない考え方で、リューシェ様をはかることなどできません。彼女はただ彼女であると言うだけで、私にとって、何にも代えがたい、光なのです!」

「そうだろう。私にとっては、君がそうなんだよ。きっと、リューシェにとっても」

「そうであってはなりません。そんなことがあって良いはずがない。リューシェ様も、貴方様も、どうしようもないほどお優しい。だから、私を見捨てまいと、そんなことを仰いますが……おふたりは、私がどんなに惨めで浅ましく、救いようのない女であるかご存じないのです。私は、おふたりに手を差し伸べていただけるような人間ではありません」

「そのことも含めて、本当の君を知りたいんだ。今のままでは、それすらかなわない」

 考えろ、どうして今のタイミングでこんな話をするのか。彼の真意は一体なんだ。

 考えつくとすれば、ニックスケットの祭りのことだ。原作でも、レナンドルは学生時代に参加したことがあると主人公に語っていた。ジェルヴェ、もとい王室の政治的な思惑を理解してなお、レナンドルはジェルヴェの誘いに乗って祭りに参加したはず。

 ブランシュ家の後継者を連邦側に引き入れたジェルヴェの君主としての手腕を示す、絶好の機会なのだ。

「どうして、私にそこまでこだわるのですか? 学園には、私などよりもよほど魅力的で、貴方様のお心に寄り添える方がいらしたはずです。もしかすれば、私の存在が、ノースでは貴方様にとってのかがり火と成りえたかもしれません。しかし、数多の光が燦然と瞬くノースの外では、そんなもの無用の長物もいいところでしょう」

「教えてくれ、シルヴィ。どうして君は、自分が私にとっていかに無価値であることを頑なに示そうとするんだ。君が私に拘っていたら、何か不都合があるのか」

「それ、は、プリエンであるという唯一の自分の価値を手放したくない、から」

「君がプリエンでまともな扱いを受けるには、私の婚約者という立場が不可欠なのだろう。自分自身が無価値であるということを示すなんて、本末転倒だと思うが」

 ああ、また私はやってしまったのか。どれだけ視野狭窄に陥れば気が済むのだろう。

 私はプリエンであり続けなければならないから、レナンドルの手を取れずにいる。それを納得してもらうため、自分が貴方に手を差し伸べてもらえるような人間ではないと示すのに躍起になっていたが。

 レナンドルからプリエン伯に働きかけないよう、そしてジェルヴェに自分の救いようのなさをアピールするために言ったかつての言葉が、それを矛盾させてしまう。

 はなから、言葉ではなく、態度で示し続けるべきだったのだ。どこまでも悪辣に、絵に描いたような救いようのないノース女として暴虐の限りを尽くすべきだった。

 それができなくなった……否、しなくてもいいのだと思いたくて、楽な道に逃げなければ、こうはならなかったのだ。はじめから私はあべこべで、間違えていた。

「君はいつだって、私を否定することに積極的でなかった。異議を唱えこそすれ、私の考えがいかに愚かしく、真の王家を継ぐものに相応しくないなどと、私の思想を根底から否定するようなありきたりなことは言わなかった」

「貴方に聞く耳を持ってもらわなければ、考えを変えることなど不可能だと判断したまででございます」

「君は嘘が下手だし、それに自覚的だ。思ってもないことは言えないのだろう。現に今も、変えることは不可能だと思っているのは事実だろうが、変えるつもりがあるとは言わなかった。ただ、自分が私と同調することはできないと言うばかりで」

「嘘など、私は……っ」

「ああ、そうだな。だが、私に隠さなければならない真意があるのは確かだろう。あたかも自分が私をノースに縛り付ける存在だと思わせたいかのように振舞って、それでいて、私が君の手を取ろうとすれば、自分にそんな価値は無いと言い張る。君、はなから私をノースに引き留めるつもりなど一切無いのではないか?」

 私は息を大きく吸い、目を閉じた。言いたげな沈黙が隣からひしひしと伝わってきて、もう折れてしまってもいいのではないかと、甘い囁きが脳を冒す。

 私のお粗末な欺瞞がレナンドル相手にいつまでも通用するとは思っていなかった。それでも、その可能性があると認識してもらえるだけで十分だ。ここで退いてはいけない。

「……約束のことを、お忘れになったと仰いますの」

「なら、君は私にどんな願いを叶えてほしいのか、今ここで教えてほしい。それなら私だって納得しよう」

「納得したら、どうなるのです」

「謝猫祭の招待を受けない」

 ああ、どうして。

 嫌な予感が的中してしまった。彼は、私がノースから離脱しないのなら、自分もノースを出ないつもりなのだ。どうして、ジェルヴェとリューシェ様と私を天秤にかけて、こちらに傾くのか、全く理解ができない。

 私の存在が、貴方の在り方を変えてしまうなんて、それこそ、最も許し難いことだ。こんなこと、あっていいはずがない。

「それだけ、は……っ! レナンドル殿下、私のことをどうしてそうも気になさるのですか!? 私のせいで、私は、そんな……」

「ただの祭りだ。ジェルヴェもこれしきの事で腹を立てたりはしないだろう」

「いけません、どうか、お考え直しください……っ! 貴方様がジェルヴェ殿下の招待を受けて連邦王室の主催する国をあげての催事に参加することには、何にも代えがたい意味があります! 私のことを気にしている場合では……! ニンフィールド、しいては民衆の未来にも関わることでしょう!」

「それでも、ジェルヴェやリューシェは理解してくれるはずだ。道を違えたのではない、アプローチを変えただけで、見ている方向は同じだと。君がいてくれるなら、ノースでだって、光を見失わずに生きていけるから」

 うまく息ができない。分かっている、貴方がどこでどのように生きたって、貴方の人間性や高潔な意志が揺らぐことなど無いって。これは、ただの私のエゴだ。

 なお、ノースという鳥籠から解放され、美しい翼を存分に広げて自由に羽ばたく貴方を見たいから、私は今まで絶望に身をやつしてきたのだ。

 どうすればいい。どうすればよかった? 結局、私のせいで、彼は。

 このままでは、どうしたって、私の決断が、彼の選択を変えてしまう。私の願望が、彼を穢してしまう。

「貴方と私は、道を違えるでしか、未来はないと……そう思って、今まで生きてきました。決して交わってはいけない運命という確信があるのです。この婚約は、有り得ざることだった。あってはならない……いえ、なかったことにしなければならない間違いなのです」

「君にとって、ただしい私とは何だ」

「貴方そのものです。間違っているのは、この世界で、私だけ。だから、ただしいものに、私のような間違いが関わってはいけなかった」

 他人の声のように静かで、我ながら、怨念の籠った声だと、おかしく思った。この声が震える理由がどちらなのか、私にも分からなかった。

「すまない、シルヴィ。君の存在が間違いであるなんて、私にはどうしても認められない。君がいなければ、私の心は、擦り切れる一方だった。私が人間らしくいられたのは、君が傍にいてくれたからなんだ。その事実までも間違いだったと言われて、黙っているわけにはいかない」

「貴方には、ジェルヴェも、リューシェ様もいる。私がいようといまいと、貴方が自分を見失うことはありえない」

「そうだとして、現に、救われた心がここにあるんだ。私を信じてくれる君がいたから、今の私がある。その事実は決してなかったことにしない。今の私が君にとってただしい存在であるなら、少なくとも私にとって、君はただしいものであるはずだ」

 私の逃げ道は、レナンドルによってひとつひとつ丁寧に潰されていった。今の私には、ただ一つの選択肢しか残されていなかった。

 自分の意志で、ノースを捨てること。それだけが、最悪を避ける、ただ一つの手立てだ。

 私は風刃でハイネックを破り取り、チョーカーを外した。

「私の首には、兄手ずから施された呪縛が巻き付いています。私が余計なことを話そうとすれば、気道を塞ぐ呪いです。そして、私がプリエンの支配から逃れようとすれば……学園と、ノースの外に一歩でも出た瞬間、頭と胴体が泣き別れになることでしょう」

 強い風が吹いて、木の葉がざわざわと揺れる。そんな中でも、レナンドルの息を飲む音は、鮮明に耳に届いたのだった。
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