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第三十二話 将来
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「本当!?」
「ええ」
「本当の本当に!?!?」
「はい」
やや照れくさく思いつつも頷いてみせれば、リューシェ様は感極まったように目を輝かせ、勢いよく抱き着いてきた。
やっぱり謝猫祭に参加することにした、と言っただけで、こんなに喜んでくれるなら、ノースなんてサッサと捨てていればよかった、なんて調子の良いことを思う。
ただでさえ、こよりのように先細るばかりのようだった先行きが、遂には全く見通しの立たない状態になってしまった。しかし、こうなってみてようやく、私は初めて、悪夢を見ずに夜をやり過ごすことができたというのだから、皮肉なものだ。
「実家のことは大丈夫なのか」
やはり通りがかったリュシアンが、訝しげに聞いてくる。私は肩をすくめ、苦笑してみせた。
「レナンドル殿下の説得に粘り負けして、もう吹っ切れたの。卒業して、プリエンのこと何とかしたら、大陸に渡って修道女になろうかなって。もしかしたらエルランジェ財閥傘下の孤児院でリューシェ様の慈善事業のお手伝いができるかもしれないし」
「へぁ……?」
「エルランジェ、財閥……?」
あれ、リュシアンはまだ知らされてなかったか。まあ私も原作知識で知ってただけだしな。
リューシェ様、大陸出身の人たちには箝口令を発令し一般人を装って学園に入学しているが、その実彼女は大陸でも一二を争う大財閥のご令嬢なのだ。
しかもいち早く魔導の発展に目を付けて魔鉱石採掘事業のシェアを掌握し、魔導研究の一大パトロンとして各国に発言力を持つ、前世で言う石油王の魔鉱石バージョンみたいな実業家の愛娘という、シンデレラに見せかけたかぐや姫的プリンセスなのである。
しかし、長らく鎖国状態で大陸の情勢に疎いニンフィールド育ちの人間にとってはピンとこない名前であるし、例え知っていても、大財閥の名前とリューシェ様を結びつけることはまずないだろう。どうして誘拐の恐れがあるのに娘の存在や名前を公表するのかという話でもあるし。
しかし抜け目ないジェルヴェは恐らく承知済みのことのはずだ。新時代のニンフィールドの王家が迎えるに相応しい女性だと思っているに違いない。非常に癪である。
そんなこんなで色々と思考を飛躍させていた私から飛びのくように離れ、リューシェ様は笑顔を引きつらせて私の肩をヒシと掴んだ。
「シルヴィ、あのね、エルランジェって名前は大陸じゃ珍しくなくって……」
「エル・ディアーナ救児院」
「……っ、シルヴィ、まさか」
「プリエンに連れてこられた時に、記憶を改ざんされたのでしょう。当時のことは殆ど覚えていません。でも、リューシェ様と過ごすうちに、少しずつ、こうした名前だけは、頭に浮かぶようになったのです」
嘘八百の言い訳で心苦しい。がしかし、前世の記憶が云々とか言って混乱させたくないのだ。お許しください神様仏様リューシェ様。
さておき、エル・ディアーナ救児院とは、原作のシルヴェスタが幼少期を過ごした孤児院の名前だ。エルランジェ財閥の慈善事業の一環として運営されている施設で育ったシルヴェスタは、慈善事業を主導するエルランジェ夫人の視察に連れられて幾度もやってきたリューシェ様と親交を深めた。シルヴェスタの初恋は、この時から始まっていたのだ。
そして、女としてとはいえ、シルヴェスタとして生まれた私も、おそらくリューシェ様とは幼馴染のはずである。記憶が無いから確証はないけれど、確信している。
「あ、あ……! 貴女だった、やっぱり、貴女だった……っ! 急に院からいなくなってしまって、シスターも、誰も、そんな子たちは知らないって、よかった、生きていてくれて、私の思い出は、夢なんかじゃなかったのね……!」
「た、ち……?」
リューシェ様は息を飲んだ。私の腕の中で、肩が強張るのが分かった。
心がガンガンと警鐘を鳴らしていた。何か、大事で、私にとって致命的なことのような気がしてならなかった。
「シルヴィ、ステファンって言う名前に、覚えはない?」
「いえ……申し訳ありません。7歳以前のことは何かの拍子でないと思いだせないみたいで……思い出そうとすると、決まってひどい頭痛がするのです」
「そう……分かったわ。どうか、無理はしないで」
今にも泣きそうな、震えを押し殺したような低い声で、リューシェ様はそう言った。今にも心臓が口から飛び出して出てきそうな、底知れない、悪寒のようなものがこみ上げる。
私は一体、何を忘れている? きっと大事なことだ。ステファン、ああ、考えれば考えるほど、思考に靄がかかる。吐き気と眩暈で、私はそばにあったテラステーブルに手をついて身体を屈めた。
「シルヴィ、ごめんなさい、混乱させてしまったのね」
「い、え……御心配には、及びません」
リューシェ様に支えてもらいつつ、椅子に腰かける。動悸が少しずつ落ち着いて、針で突き刺されるような胸の痛みもなくなっていく。プリエンから足抜けしても、いいように弄られた脳みそは残る。つくづく呪わしく、難儀なものだ。
リュシアンも私たちに続いて同じテーブルにつく。聞きたいことしかないと言ったような顔だった。
「どういう、君はいったい」
「ラブレー、プリエンの家系が得意とする魔法は知っていて?」
「精神や記憶に干渉する魔法……まさか」
「プリエンは、とある実験のために、大陸から魔法の素質を認められる7歳前後の子どもたちを拉致してきたの。大陸でその子たちが生きていた痕跡を、本人の記憶を含め、全て抹消して……信じてほしいとは言わないけれど、私もそのうちの一人よ。元々違和感は抱いていた。それが、学園に来て、リューシェ様に出会って、確信に変わったわ」
「……ああ、にわかには信じがたい。だが、納得する部分もあることは確かだ」
「今まで気苦労をかけてしまってごめんなさい。プリエンのことを清算するまでは、まだ心を煩わせると思うけれど……少なくとも、やるべきことを済ませたら、残った生涯は贖罪に捧げるつもりとだけ言っておくわ」
そこまで言って、言いたげな二つの視線が突き刺さる。何かおかしなことを口走っただろうか。調子が良すぎたか。
「レニーとのことは、どうするの?」
「あの方がノースから飛び立って、然るべき活躍をなさるところを、遠くから仰ぎ見る……これ以上ない、理想的な人生です」
そもそも、私がプリエンでなくなり、関係性がリセットされた時点で、私と彼との間に始まるものなど何もない。あってはならないのだ。
プリエンの悪事を白日の下に晒し、ニンフィールドの歪みを是正するまでの、協力関係で。それ以上でも、それ以下でもない。
「貴女は、レニーのことを愛しているでしょう」
「はい。だから、早く、あの方の人生を、あの方の幸せを邪魔しない人間にならなければ」
「僕がどうこう口出しできることではないのだろうが……レナンドルの君への気持ちはどうなるんだ」
「分からない。そもそも、私がどうこう出来ることではないわ」
まるで示し合わせたかのように、リューシェ様とリュシアンは二人して大きなため息を吐いた。リュシアンにいたっては、頭が痛そうにこめかみを抑えて首を振っている。失敬な反応である。
「シルヴィがシスターになるなら、私もそうしようかしら」
「はいッ!?」
藪から棒に、リューシェ様がそんなことを言い放った。私は思いっきり声を裏返し、身を乗り出した。リュシアンはバタンとテーブルに突っ伏した。もう勘弁してくれと言ったような風情だった。
「だって、シルヴィが傍にいない人生なんてもう考えられないわ。貴女ってば、気を抜いたらいつの間にかヒラヒラどこかに飛んで行ってしまいそうなのだもの。二度も貴方を見失うくらいなら、お父様なんて卒倒させておけばいいのよ」
「や、やっぱり考え直します……ジェルヴェ殿下に恨まれたら、平穏な生活など一生望むべくもありませんわ……」
「ジェルヴェのことなんてどうでもいいじゃない! どうせ卒業するまでの付き合いよ」
「……本気で仰っているのですか?」
「どうして?」
今度は私が頭を抱える番だった。
「ええ」
「本当の本当に!?!?」
「はい」
やや照れくさく思いつつも頷いてみせれば、リューシェ様は感極まったように目を輝かせ、勢いよく抱き着いてきた。
やっぱり謝猫祭に参加することにした、と言っただけで、こんなに喜んでくれるなら、ノースなんてサッサと捨てていればよかった、なんて調子の良いことを思う。
ただでさえ、こよりのように先細るばかりのようだった先行きが、遂には全く見通しの立たない状態になってしまった。しかし、こうなってみてようやく、私は初めて、悪夢を見ずに夜をやり過ごすことができたというのだから、皮肉なものだ。
「実家のことは大丈夫なのか」
やはり通りがかったリュシアンが、訝しげに聞いてくる。私は肩をすくめ、苦笑してみせた。
「レナンドル殿下の説得に粘り負けして、もう吹っ切れたの。卒業して、プリエンのこと何とかしたら、大陸に渡って修道女になろうかなって。もしかしたらエルランジェ財閥傘下の孤児院でリューシェ様の慈善事業のお手伝いができるかもしれないし」
「へぁ……?」
「エルランジェ、財閥……?」
あれ、リュシアンはまだ知らされてなかったか。まあ私も原作知識で知ってただけだしな。
リューシェ様、大陸出身の人たちには箝口令を発令し一般人を装って学園に入学しているが、その実彼女は大陸でも一二を争う大財閥のご令嬢なのだ。
しかもいち早く魔導の発展に目を付けて魔鉱石採掘事業のシェアを掌握し、魔導研究の一大パトロンとして各国に発言力を持つ、前世で言う石油王の魔鉱石バージョンみたいな実業家の愛娘という、シンデレラに見せかけたかぐや姫的プリンセスなのである。
しかし、長らく鎖国状態で大陸の情勢に疎いニンフィールド育ちの人間にとってはピンとこない名前であるし、例え知っていても、大財閥の名前とリューシェ様を結びつけることはまずないだろう。どうして誘拐の恐れがあるのに娘の存在や名前を公表するのかという話でもあるし。
しかし抜け目ないジェルヴェは恐らく承知済みのことのはずだ。新時代のニンフィールドの王家が迎えるに相応しい女性だと思っているに違いない。非常に癪である。
そんなこんなで色々と思考を飛躍させていた私から飛びのくように離れ、リューシェ様は笑顔を引きつらせて私の肩をヒシと掴んだ。
「シルヴィ、あのね、エルランジェって名前は大陸じゃ珍しくなくって……」
「エル・ディアーナ救児院」
「……っ、シルヴィ、まさか」
「プリエンに連れてこられた時に、記憶を改ざんされたのでしょう。当時のことは殆ど覚えていません。でも、リューシェ様と過ごすうちに、少しずつ、こうした名前だけは、頭に浮かぶようになったのです」
嘘八百の言い訳で心苦しい。がしかし、前世の記憶が云々とか言って混乱させたくないのだ。お許しください神様仏様リューシェ様。
さておき、エル・ディアーナ救児院とは、原作のシルヴェスタが幼少期を過ごした孤児院の名前だ。エルランジェ財閥の慈善事業の一環として運営されている施設で育ったシルヴェスタは、慈善事業を主導するエルランジェ夫人の視察に連れられて幾度もやってきたリューシェ様と親交を深めた。シルヴェスタの初恋は、この時から始まっていたのだ。
そして、女としてとはいえ、シルヴェスタとして生まれた私も、おそらくリューシェ様とは幼馴染のはずである。記憶が無いから確証はないけれど、確信している。
「あ、あ……! 貴女だった、やっぱり、貴女だった……っ! 急に院からいなくなってしまって、シスターも、誰も、そんな子たちは知らないって、よかった、生きていてくれて、私の思い出は、夢なんかじゃなかったのね……!」
「た、ち……?」
リューシェ様は息を飲んだ。私の腕の中で、肩が強張るのが分かった。
心がガンガンと警鐘を鳴らしていた。何か、大事で、私にとって致命的なことのような気がしてならなかった。
「シルヴィ、ステファンって言う名前に、覚えはない?」
「いえ……申し訳ありません。7歳以前のことは何かの拍子でないと思いだせないみたいで……思い出そうとすると、決まってひどい頭痛がするのです」
「そう……分かったわ。どうか、無理はしないで」
今にも泣きそうな、震えを押し殺したような低い声で、リューシェ様はそう言った。今にも心臓が口から飛び出して出てきそうな、底知れない、悪寒のようなものがこみ上げる。
私は一体、何を忘れている? きっと大事なことだ。ステファン、ああ、考えれば考えるほど、思考に靄がかかる。吐き気と眩暈で、私はそばにあったテラステーブルに手をついて身体を屈めた。
「シルヴィ、ごめんなさい、混乱させてしまったのね」
「い、え……御心配には、及びません」
リューシェ様に支えてもらいつつ、椅子に腰かける。動悸が少しずつ落ち着いて、針で突き刺されるような胸の痛みもなくなっていく。プリエンから足抜けしても、いいように弄られた脳みそは残る。つくづく呪わしく、難儀なものだ。
リュシアンも私たちに続いて同じテーブルにつく。聞きたいことしかないと言ったような顔だった。
「どういう、君はいったい」
「ラブレー、プリエンの家系が得意とする魔法は知っていて?」
「精神や記憶に干渉する魔法……まさか」
「プリエンは、とある実験のために、大陸から魔法の素質を認められる7歳前後の子どもたちを拉致してきたの。大陸でその子たちが生きていた痕跡を、本人の記憶を含め、全て抹消して……信じてほしいとは言わないけれど、私もそのうちの一人よ。元々違和感は抱いていた。それが、学園に来て、リューシェ様に出会って、確信に変わったわ」
「……ああ、にわかには信じがたい。だが、納得する部分もあることは確かだ」
「今まで気苦労をかけてしまってごめんなさい。プリエンのことを清算するまでは、まだ心を煩わせると思うけれど……少なくとも、やるべきことを済ませたら、残った生涯は贖罪に捧げるつもりとだけ言っておくわ」
そこまで言って、言いたげな二つの視線が突き刺さる。何かおかしなことを口走っただろうか。調子が良すぎたか。
「レニーとのことは、どうするの?」
「あの方がノースから飛び立って、然るべき活躍をなさるところを、遠くから仰ぎ見る……これ以上ない、理想的な人生です」
そもそも、私がプリエンでなくなり、関係性がリセットされた時点で、私と彼との間に始まるものなど何もない。あってはならないのだ。
プリエンの悪事を白日の下に晒し、ニンフィールドの歪みを是正するまでの、協力関係で。それ以上でも、それ以下でもない。
「貴女は、レニーのことを愛しているでしょう」
「はい。だから、早く、あの方の人生を、あの方の幸せを邪魔しない人間にならなければ」
「僕がどうこう口出しできることではないのだろうが……レナンドルの君への気持ちはどうなるんだ」
「分からない。そもそも、私がどうこう出来ることではないわ」
まるで示し合わせたかのように、リューシェ様とリュシアンは二人して大きなため息を吐いた。リュシアンにいたっては、頭が痛そうにこめかみを抑えて首を振っている。失敬な反応である。
「シルヴィがシスターになるなら、私もそうしようかしら」
「はいッ!?」
藪から棒に、リューシェ様がそんなことを言い放った。私は思いっきり声を裏返し、身を乗り出した。リュシアンはバタンとテーブルに突っ伏した。もう勘弁してくれと言ったような風情だった。
「だって、シルヴィが傍にいない人生なんてもう考えられないわ。貴女ってば、気を抜いたらいつの間にかヒラヒラどこかに飛んで行ってしまいそうなのだもの。二度も貴方を見失うくらいなら、お父様なんて卒倒させておけばいいのよ」
「や、やっぱり考え直します……ジェルヴェ殿下に恨まれたら、平穏な生活など一生望むべくもありませんわ……」
「ジェルヴェのことなんてどうでもいいじゃない! どうせ卒業するまでの付き合いよ」
「……本気で仰っているのですか?」
「どうして?」
今度は私が頭を抱える番だった。
応援ありがとうございます!
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