グラジオラスを捧ぐ

斯波/斯波良久

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 涙が止まってから顔を洗う。ついでにハンカチも。
 たくさん水分を含んでもなおグラジオラスの花は気高く咲き誇っている。自分もこんな風に自信を持てたらどれほど良かったことだろうか。

「はぁ……」
 深いため息を吐き、重い足で仕事場へと足を運ぶ。
 来月の神事に備えて用意しておかなければいけないものがあるのだ。


「今日は神紐を編もうかな」
 ポツリと呟いてから倉庫に向かった。

 神事には必ず神紐と呼ばれる組紐が必要となる。神に祈りを捧げる際に神と人間を繋ぐためのものと考えられており、いくらあっても困らない。

 ベースとなる紐を何色にしようかと考えていると、倉庫前に三人の神官が立っていた。彼らは一様に肩を落として、ずううんと暗い雰囲気を纏っている。

「どうかしたんですか?」
「リヒター……君は何も聞いていないんだね」
「まぁそうか。君は残留決定しているみたいなものだもんな」
「俺達は結婚してないから。恋人はいるのに……」
「俺だってばあちゃんの世話がある」
「出世とはいえ……なぁ」
「よりによって辺境は遠い」

 辺境ヴィクドリィアは隣国との境界戦を守っている。いわば国の要である。そんなところで何かあったとなれば一大事だ。

 地味男がセフレにすらなれていなかったという事実よりも優先すべきもの。リヒターの神官としての使命感は失恋の痛みに勝った。

「辺境で何かあったんですか?」

 ずずいと顔を寄せ、詳細を要求する。
 彼らは大きなため息と共に、何があったのか教えてくれた。

「神官が怪我をして、臨時の人員が欲しいと要請が来た。幸い命に関わるようなものではないが、彼以外は見習いだけ。仕事を任せられないと碌に休みもしないから早く代わりを寄越してくれと」
「臨時と言っても怪我をした神官はかなりの高齢で、元々若い神官を送るべきじゃないかと話は出ていたらしい。辺境も今回派遣された神官を手放すとは思えない」
「王都には帰って来られないだろうな」
「だから教会は若くて健康で、未婚の神官に端から声をかけている」
「辺境領は国の要。境界としても出来ればある程度仕事ができる奴を送りたがっている」
「つまり俺達だ」

 いつも元気にバリバリと働いている彼ららしくないと思ったが、仕事が出来るからこそ選ばれるかも知れないと悩んでいるーーと。

 なんとも悲しい悩みである。だがリヒターにはその悩みを解決することが出来る。

「その話ってどなたが」
「神官長」
「朝来たらすぐに呼び出されてね」
「他にも何人か声かけていると思うから、神官長室にいると思うよ」
「ありがとうございます」

 リヒターは三人にペコリと頭を下げ、神官長室へと向かった。ドアをノックすればすぐに返事が返ってくる。

「誰だ」
「リヒターです。神官長、お話があります」

 繕っても仕方ない。入室許可をもらってすぐに本題を切り出す。

「辺境領への派遣について聞きました」
「その話なら君は外して……」
「僕に行かせてください」
「いや、だが……」
「この数年、フィリス様の元で多くのことを学びました。まだまだ未熟者ではありますが、それでも一通りの神事をサポート出来る自負があります」
「それはそうだが、その……本当にいいのか?」
「はい」

 アレックスとのことはいいのかと聞きたいのだろう。だが彼が遠征から帰ってきたらすぐにこの関係はフェイクだったと理解する。

 神官長だけではなく、周りの人全員がリヒターのことを哀れに思うかも知れない。彼らは優しいから。

 けれど哀れだと思ってもらいたくはないのだ。
 ただ愛されたくて、けれど選ばれなかっただけ。リヒターではダメだった。ただそれだけのことなのだ。

 臨時派遣の書類に目を通し、サインする。出来る限り早くとのことだったので、そのまま今日の仕事は上がらせてもらうことになった。


 神官寮へと戻り、荷造りをする。
 寮には家具が備え付けられており、リヒターの私物はさほど多くない。夕方には部屋の掃除まで終わった。

 寮監に荷物を託し、辺境へと送ってもらえるように手配してもらう。
 その後、神官長へと報告に向かい、辺境までの移動費と宿代をもらった。

「こんなにたくさん!?」
「あちらは物価が高いから、食費も含まれている」
「ありがとうございます」
「こちらこそこんな仕事を任せてしまってすまない。神官の回復報告が入り次第、すぐに呼び戻す。それまで頑張ってくれ」
「はい!」

 返事はしたものの、リヒターは帰ってくるつもりなどない。アレックスと親しかったことなど知らない土地で神官としてキビキビと働くのである。

 フィリスにだけはこのことを伝えておかねば。といっても別れの挨拶に時間を取ってもらうのも悪い。手紙を書いて、彼女に渡して欲しいと別の神官に託すことにした。
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