創世戦争記

歩く姿は社畜

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大和神国編 〜陰と陽、血を吸う桜葉の章〜

でぶ犬が導く逢瀬

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 縁側でフレデリカとゼオルはアレンから出された茶を口にする。
「驚いた、美味しく出来てる」
 フレデリカがそう言うと、アレンは何処かぼんやりした顔で答えた。
「…御代官様の散歩と昼寝と茶道、それから坐禅以外…やる事無いから」
「御代官様?」
 アレンは座布団の上でぐでんとふんぞり返る肥えた柴犬をゆっくり指差した。柴犬は顔にも肉が乗って表情が埋もれているが、肉に埋もれた目と弛んだ腹が妙に貫禄がある。まるで悪徳役人だ。
「…そいつ、犬の癖に妙に貫禄あるだろ?だから御代官様って呼んでる」
 ゼオルが吹き出す。
「言い得て妙だな。うちのアンバーより貫禄あるぞ」
 御代官様はアレンの膝の上に乗ると、撫でろと言わんばかりに傲岸不遜な顔をして腹を見せる。
 アレンは弛んだ腹を捏ねるように撫でながら言った。
「…こんな肥えた犬、昔の俺なら食べてたよ。何だか変な夢を見てる気分がするけど…変な夢なのかな」
 まるで独り言のような呟き。フレデリカは薄々気付いた。アレンの意識自体は戻っているが、完全に現へ戻って来た訳ではないのだ。
(帝国から攫って来た時の方が生き生きしてたわ)
 まるで脱殻のようなアレンにフレデリカは悲しい顔をするが、御代官様の腹を捏ねるアレンは気付かない。
「御代官様は凄い太ってるよね」
 御代官様はフレデリカの方に目を向ける。まるで何か言いたげな顔だが、アレンは気付いていないのか顔も上げずに答える。
「…散歩はするけど…御代官様、痩せないんだよな」
 それっきりアレンは黙ってしまう。
 寝起きのような話し方は、夢から覚められない子供のようだ。闇に飲まれかけたあの日から、彼はまだ抜け出せないのだろう。
(確か、大剣クレイモアトリガーだっけ)
 フレデリカが空間魔法を使って剣を取り出そうとした、その時だった。
「遅れて申し訳ありません」
 坂道を走ってやって来たのは、白い衣に刀を持った除霊師だった。除霊師はアレンを視界に入れると、刀を背中に隠す。
 御代官様は除霊師に懐いているのか、アレンの膝から離れると肉を弾ませながら駆け寄る。
「久し振り。約束のあれ⸺」
 除霊師の朱色の目がフレデリカの方を見た瞬間、脳内に声が響く。
『大剣はこの場では出さないでください』
 除霊師はアレンの方を見て言った。
「暫く、二人を借りますね」
「…分かった」
 除霊師はフレデリカとゼオルを半ば強制的に連れ出すと、坂道を下って本丸に入る。
 木の床を暫く歩いて大広間に入ると、除霊師は畳の上に正座で座った。
「それで、さっきはどうして大剣を出すのを止めたの?」
 フレデリカが問うと、除霊師は謝罪した。
「先ずは謝罪させて下さい。その剣は、目覚めさせる物ではありません」
「…どういう事?」
 除霊師は刀を左手に持つと、視線をちらりと刀に向けながら言った。
「五年前…いや、正確には約四年半前でしょうか。大和に着いて数日後にはアレンさんは目が覚めたのです。ところが…」
 四年半前、目を覚ましたアレンを取り囲んでいたのは、侍とアリシア、そして刀を持った除霊師だった。武器を見たアレンは己の使命を思い出したのか、起き上がると何処かへ走り去り、三日間も行方をくらましてしまった。
 武器だけではない。大和には近年、本来は大陸でよく見られるアイビーも群生している。それを見たアレンはフレデリカを思い出したのか、やはり走り出してしまったし、魔法のポーチから出て来た物にも反応してしまう。
「成る程、養父の形見の剣ともなれば、反応しない訳がない」
 フレデリカの言葉に除霊師は刀を置いて肩を竦める。
「行方をくらますだけなら構わぬのですがね。トロバリオン騒動の時のように暴れられてはかないませぬ」
 ある意味、アレンを目覚めさせるトリガーだ。しかし危険も秘めている。
 ゼオルは団扇を激しく動かしながら言った。
「でもアレンの奴、まだ夢現って感じだったよ。寝起きみたいな顔してさ」
「大和に行けば治るものだと思ってたのに…」
 除霊師は刀をフレデリカ達に見せながら答えた。
わたくしもそう思っておりました。しかし、大和に満ちる明神の加護が弱まっているのです。幸い、アリシアを神殿に入れた事で桜宮領の加護は安定していますが」
 思いがけない人物名にフレデリカは目を見開いた。
「アリシア?アリシアってアーサーの姉のアリシアよね。あいつが明神の加護と何か関係あるの?」
「彼女は明神の魔力を僅かに持っています。彼女が田植えに参加すればその年の稲は豊作になり、とても過ごし易い気候が続くのです」
 ゼオルは音がする程団扇を激しく扇いだ。しかし団扇から巻き起こる風は熱く、湿気を多く含んでいる。逆効果とも言えるだろうそれにゼオルは目を細めながら怒鳴る。
「過ごし易い!?この気温の、何処がだよ!桑名くわなのオッサンも言ってたよ。暑過ぎて桜が散るってね!」
「明神の加護を妨害している勢力が大和に潜んでいるのですよ。お陰で日は命を枯らす程照り付け、闇夜は季節問わず命ある者の体温を容赦無く奪っていく」
 フレデリカは除霊師の刀を見ながら問うた。
「その勢力は、帝国?」
「ええ。確固たる証拠はありませんが、ほぼクロです」
 フレデリカは除霊師が刀を持っている理由を察した。一見平和なこの桜宮領にも、軍靴の音は近付いているのだ。
「まさか〈桜狐オウコ〉だけで戦おうなんて思ってないわよね」
 除霊師は口元を袖で隠して笑った。
「まさか。既に〈社畜連盟〉に対談を申し込んでありますよ」
「あれ、大和の諸侯達は皆対立してると思ったけど」
「利害が一致すれば協力は惜しみませぬよ。社畜共と我らの考えは大体一致します故」
 〈社畜連盟〉とは、大和の企業に勤める者達が隷属魔法によって死ぬまで扱き使われる現在の社会の仕組みに抵抗する為に作られた反政府組織だ。
 一方の〈桜狐〉は、現状の大和を革命する為に大和を統べる最高権力者のすめらぎに反旗を翻した反政府組織。
 大和人の精神とは不思議で、大半の者が心の中で「皇に刃を向けてはいけない」と考えている。そしてそれは〈社畜連盟〉も例外ではない。政府には逆らうが、皇を弑する事は論外と捉えている。
 思考の違いのある両者を仲介人も出さずに対談させるのは危険行為だ。社畜とは言うが、彼らはれっきとした武士であり武装組織だからだ。
「私達〈プロテア〉が仲介人になるよ」
 今の〈桜狐〉だけではアレンを守れない。〈社畜連盟〉と魔人達を追い払った後に彼らが攻撃してこないとも限らないし、その時にアレンが戦えるか分からない。何せ、5年間の空白ブランクがあるのだ。
「ではお願い致しましょう。明後日に対談があるのですよ。その時にフレデリカと数名の出席をお願いします」
 フレデリカが頷くと、除霊師は長い髪を解いた。黒髪はしっかり手入れされて美しいが、表情からは疲れが見て取れる。
「さて、また神殿に戻らねば…」
 そう言って立ち上がった除霊師にフレデリカは問う。
「アリシアは?アレンとは会ってるの?」
「ええ、関係は良好ですよ。定期的に和菓子を持って会いに行っているようです。あの御代官様…あの子はアリシアがその辺で拾って、アレンさんの精神治療にどうだろうと連れて来た子です」
 あのでっぷりした柴犬を思い出してフレデリカとゼオルは苦笑いした。除霊師の使い魔か式神という説を考えていたが、そうでないのならあの太り具合はアレンのせいだろう。「沢山食べろよー」と言いながら餌を与えている姿が容易に想像出来る。
(デブ犬の世話とか、負担になりそうなもんだけど)
 フレデリカは除霊師に問うた。
「…ねぇ、アレンの部屋で寝泊まりして良い?」
「こやつ、食らうつもりですか」
「除霊師さん、今すぐ小屋の周りに侍を…」
 フレデリカは隣のゼオルを叩くと、除霊師の方を向いて叫んだ。
「そんなんじゃないわよ!」
 確かにフレデリカはアレンに対して異様な執着を見せていた。それは事実だし、今も執着している。だがそれ程にアレンが心配なのだ。
「あの小屋にデブ犬と二人っきりって寂しいでしょ?それに、私にしか出来ない事もあるかも知れないの」
 アレンの中に眠るトロバリオンに干渉して、情報を得たい。アレッサンドロが変貌した理由、今のアレンの状態…正直、トロバリオンの返答は期待していない。あれは万物を終焉へ導く者であって、感情のある生命体ではないのだから。
 アレンの側に居たいという気持ちを感じ取った除霊師は溜息を吐きながら言った。
「分かりました。けど、剣は見せないでください」
 フレデリカは空間魔法で大剣を取り出して除霊師に渡す。
「あんたが持ってて。それなら安心でしょ」
「ええ。それでは、こちらでも宜しくお願い致します」
 そう言って除霊師は大剣を受け取ると、空間魔法で仕舞った。
 フレデリカは立ち上がると、来た道を戻って足早に小屋の方へ向かう。早くアレンに会いたい。会って話がしたい、唯その一心だった。
 傾斜の急な坂道を生きを切らしながら走るように向かうと、坂の上に御代官様が居る。くるりと巻いた尻尾は嬉しそうに振っている。どうやら、でぶだとか太ってるとか言った割には懐かれたらしい。
「歓迎してくれるの?」
 フレデリカは足を踏み出した。
 御代官様の後に続いて小屋の方へ向かうと、鯉に餌をあげているアレンと目が合う。漸く、二人で話が出来るのだ。
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