深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子

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たたり振袖(一)

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「おや……」

 駆け足で通り過ぎた夕立のお陰で、うだるような蒸し暑さが和らぎ、束の間の涼風に誰もがほっと息を吐いている日暮れ時のことだった。縁側で軒下の風鈴の音に耳を澄まし、赤々と染まる西の空を眺めていた青年が、不意にこちらを振り向いた。

「おりん、お客人のようだよ」

 歌うような主の声を耳にして、茶の間で膳の用意をしていたお凛は慌てて駆けつけた。
 風情のある石燈籠を置いた池を中心に、築山と松や杉、躑躅つつじや竹林を配した広い中庭をうかがうと、確かに表庭の方から、下男の富蔵が誰かと話している声が切れ切れに聞こえてくる。

「困りましたねぇ。もう夕餉時だっていうのに」

 きゅっと顔をしかめてぼやいたお凛は今年十五で、この屋敷の主、仙一郎せんいちろうの身の回りの世話をする女中を務めてそろそろ半年になる。
 仙一郎は浅草田町にある高級料理茶屋『やなぎ亭』の二十五になる次男坊で、一見すればいかにも垢抜あかぬけた風采をした優男なのだが、中身は掴みどころのない心太ところてんのような変人で手が焼ける。数年前までは、柳亭の旦那様やお内儀様が、暖簾分けして店を持たせてやろうとか、いい婿入り先を探してやろうとか散々心を砕いたらしいが、根っからの放蕩息子である仙一郎ときたら、

「嫌ですよ、そんな気ぶっせいなのは。こんな極楽とんぼに、商いだの婿だのが勤まるわけないでしょう? どら息子に夢を見すぎですよ、おとっつぁんたちときたら。いやいや、おとっつぁんやおっかさんに恥をかかせたくないから言うんです。店の名前に傷がついたらどうします? 
 それよりも、どこかに適当な屋敷の一つでももらえませんか。そうしたら大人しくのらりくらり暮らしますんで。その方がずっと安上がりだと思いますよ。ね?」

 などと、お凛が母であったら拳固を頭にお見舞いしたくなるようなことをぬけぬけとのたもうて、しかし親も大甘なものだから、深川木場に程近い風光明媚な別荘地に、数寄屋すきや造りの瀟洒しょうしゃな屋敷を与えたのだった。そして仙一郎は宣言した通り、そこで誰はばかることなく、のらりくらりと趣味事にふけって暮らしている。その趣味事というのがまたふるっていて、いわく因縁付きの、がらくたまがいの珍品の蒐集ときたものだ。
 怪しげであればあるほどいいと言っては、厄介払いをしたがっているお客から妙な品を喜んで引き受けるので、幽霊が出てくる掛け軸だの、ひとりでに歩き出す人形だの、笑う箪笥だのといったものを持ち込む客が後を絶たない。ついには、屋敷は「あやかし屋敷」と揶揄されて、主に至っては「天眼通てんげんつうの旦那」などという胡散臭いあだ名をつけられる始末だ。「あやかし屋敷」はともかく、仙一郎の目は天眼通ではなくて節穴ふしあなの間違いだろう。

「そんなもの、まがい物に決まっているじゃありませんか。ゴミを増やすのはやめてくださいませんか」

 と毎度お凛が目を三角にして止めるのだが、五回に一回くらいは妙なものをこっそり受け取ってしまっていて、いつの間にか屋敷の中にがらくたが増えてしまっているのだった。
 ただでさえ夕餉時だというのに、客に長居をされたら迷惑なのだ。たいてい仙一郎は客と熱心に話し込んで時を忘れてしまうし、お凛は主の挙動を見張っていなくてはならないから、家事に大いに差し支えるし腹も空く。

「またしょうもないがらくたを持ち込もうっていうお客様じゃありませんか。適当に言って出直してもらいますから」

 そう言って縁側を下りようとすると、仙一郎が慌てたように追ってきた。

「追い返しちゃいけないよ。出来るだけ手短にすませるからさ、頼むよお凛。すごい珍品を持ってきたお客だったらどうするんだい。もし逃したら後悔しきれないじゃないか」

 拝むように言う仙一郎の顔は、早くも期待に輝いている。

「珍品なんてあるわけないでしょう。先日なんて、笑う箪笥を押し付けられたのをお忘れですか? 何ですか、箪笥が笑うって。馬鹿みたい。下駄が笑うならまだわかりますけれど」
「ゲタゲタゲタ、って? お前でも駄洒落だじゃれを言うんだねぇ」

 手を叩いて喜びかけた主は、絞め殺しそうな目で睨むお凛を見て、笑いを引っ込めた。

「おまけに、にかわで抽出しを貼り付けてあって使いようがないし。邪魔でしようがありません。そうだ、壊して焚き付けに使ってもいいですか?」
「駄目だよ! 恐ろしいことを言うね、お前は。力持ちのお前が言うと冗談にもならないよ。でもさ、人形を飾る場所が出来て丁度よかったじゃないか。ほら、あの歩く人形……」
「歩かないし、歩いたからどうだっていうんですか。使いを頼めるわけでもなし。飾る場所なんてなくて結構です。あれだって、私が着物を仕立て直してやって、やっとみられる姿になったくらいぼろぼろだったじゃありませんか。余計な手間を増やさないでください」
「うんうん、お前の裁縫の腕はなかなかどうして、立派なもんだよね。いかにもおどろおどろしい、呪われてござい、ってな人形だったのが、すっかり毒気が抜けちゃってさ。いやぁ、祟りも呪いも、お前にかかると形無しだよ。ちょっとつまらないけどねぇ」
「つまるとかつまらないとかの問題じゃありません!」

 きっと睨むお凛を無駄に涼しげな笑顔でいなし、ほらほら、と庭の方を指し示す。

「夕餉がどんどん遅くなるよ。ね、明日甘いものを食べに連れてってやるから。そう膨れっ面をしてると、かわいい顔が台無しだよ」
「ご自分が食べたいだけでしょう。おだてたってききません」

 頬を膨らませながらも、お凛は下駄を引っ掛けて、しぶしぶ雨に濡れた庭の敷石を踏んで行った。

「あっ、こりゃあ、どうも……」下男に案内されて表庭に立っていた男が、慌てて言いかけて首を傾げた。子供が何をしに出てきたのかと戸惑っているらしい。お凛は構わずぐいと平たい胸を張り、男を値踏みするように見回した。

 どこかのお店者か、屋号を染め抜いた袢纏をまとっている。年のほどは二十四、五だろうか。童顔の主とは正反対の、目尻の上がったきりりとした顔つきをしている。背中に風呂敷包を背負っているのを見ると、嫌な感じだ、とぴんときた。

「主に何かご用でございますか」

 棒で鼻をくくったようにして尋ねると、男は気を取り直した様子で腰を屈めた。

「へぇ、手前は深川八幡の門前仲町にあります古着・太物屋『すえ吉』の手代、藤吉と申しやす。こちらの旦那様が、珍しい、その、いわく付きのものを蒐集しておられるとか耳に挟みまして……お見せしたいものがあり、参りました次第です」

 やっぱり。お凛は小さな唇をへの字に結んだが、ここで追い返すわけにもいかない。

「……左様でございますか。その、いわく因縁つきの物とは、一体どのようなお品でしょうか」

 まずは主人にご用の向きをお伝えして参りますので、と付け加えると、藤吉と名乗った男はごくりと喉を鳴らした。無意識のように風呂敷の結び目を握った手を見て、お凛はさすがにどきんとした。──寒くもないのに、男の腕にはびっしりと鳥肌が立っていた。
 急に光を失ったかのような虚ろな目をお凛に向け、やがて藤吉が掠れた声を発した。

「……振袖。呪われた振袖でございます」
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