明日の朝を待っている

紺色橙

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 世間はもうクリスマスで、リョウさんと出会ってから半年ほどが経っていた。
 深呼吸すれば口から喉を通り冷たい風が体を芯から冷やしていく。指先がかじかみ、ポケットの中で布に擦り付けた。手よりも先に入っていたスマホは氷のように冷たくはないがひんやりとしている。

「明日緒形タカヒロが動画上げるよ」
 昨日リョウさんはそう言って、にやりと笑った。それに彼がいるのかと問うが答えは来ず、明日になればわかるよとだけ言われた。
 おれはだから、あちらの公式SNSでそれを確認し、ただひたすらに公開を待っていた。予定時刻は18時で、まだ時間がある。
 予想したって無意味なことは分かっているけれど、どうしたって気になった。わざわざリョウさんが言ってくるくらいなんだから彼が映っている可能性は高いだろう。でもあくまでも緒形タカヒロの動画なわけで、先のarisaの楽曲のように顔は見えないかもしれない。もしかしたら影だけかもしれない。影だけだとしても、リョウさんを探し出す自信はあった。

 安心して家で動画を見れるようにと行動予定を立てる。不測の事態で外で18時を迎えることも有り得ると、スマホの充電とありかを気にした。
 電車にさえ遅れがなければ無事家にはつける。寄り道せずに大学から駅へと向かい、電光掲示板を凝視する。今のところどこにも遅延や事故の情報は無いと安心し、少ない人の列に並んで待った。
 無事に最寄り駅で降りれば急いで夕食の買い物を済ませ、ここでミスったら一巻の終わりだと周囲を注意深く見た。点滅する青信号に合わせ歩調を緩め止まり、どこかから車が突っ込んで来やしないかと目だけで左右を見る。心の中はずっとリョウさんのにやけた顔を思い出して浮ついているけれど、時間はそんなに早く過ぎはしない。
 遊び帰りだろう子供の自転車を避け、コンビニへと搬入するトラックから離れて過ぎる。
 家に帰ったらすぐに風呂に入ってしまおうか。いやまずはご飯を食べておこう。動画を見てすぐおれは飛び出して公園でリョウさんを待つことになるかもしれない。その確率は低くはない。


 18時。準備万端でパソコンの画面を更新し、一拍置いて読み込み再生された動画を瞬きも少なく見つめた。動画に映っていたのは緒形タカヒロその人と、その影のように動く一人のダンサーだった。
 広く殺風景なコンクリート床の部屋。倉庫だろうか。ライトは緒形タカヒロを頼りなく照らし、彼が動くに合わせている。曲はどこか切ないもので、誰かとの別れを歌っている気がした。抑揚のなかった声にだんだんと感情が乗っていく。最初は影を見なかった彼が後半それに気づき、ひたすらに目で追っている。手を伸ばし、シンクロしたダンスをして、そして最後には倒れこむような影を抱き支えた。
 影は間違いなくリョウさんだった。ライトの当たらないところで踊るリョウさんは、それでもその動きが明確に彼である。にやついていたのはおれが喜ぶと分かっていたからなんだなと笑えた。

 動画の概要欄に書かれていた歌詞を読む。これは別れだろうか。歌詞の言葉はあいまいで、誰かを特定しているものではない。自分自身のような、自分の半身のように親しい人のような、誰とも言えない誰かを憎み、悲しみ、捨て、そして愛している。
 緒形タカヒロという人は"俳優"なのだなとこれを見て思った。そしてリョウさんは緒形タカヒロの対比として存在している。淡々と始まる歌とは違い最初から必死さを出しているリョウさんの踊り。二人は重ならず、緒形がついにリョウさんに気付き見つめることになっても、最後までリョウさんが緒形を見ることは無い。

 作詞は緒形タカヒロその人になっていた。リョウさんは何を思ってこれを踊ったんだろうか。この歌の歌詞の中にダンサーの動きを示すようなものは一切ない。だけれど最初からリョウさんは叫ぶように必死さを表している。でも、歌の主を見てはいない。
 少しリョウさん自身に重なるところがあるような気がした。彼が先日おれに対し愚痴ってくれたように自分やその環境に不満があって、諦めていて、だけれど実際には目をそらしているふりをしているだけ。
 繰り返される単純なメロディは少しずつ音を足していく。

 五分ほどの動画を繰り返し、繰り返し、繰り返す。
 そしてある種の確信をもって、夜の公園へと向かった。



 日がすっかりなくなってしまえば、またずいぶんと寒い。冬なんだから当たり前とリョウさんに笑われるけれど、感想はどうしたって「寒い」だ。
 あの動画のコメント欄には「クリスマスプレゼントだ」とファンからメッセージが寄せられていた。緒形タカヒロのファンにとっても、おれにとってもそうだ。この年になって、もうクリスマスなんて楽しみにはしていなかったけれど、あのにやついたリョウさんがくれたプレゼントはとても嬉しいものだった。

 細く吐いた息は白く、冷えた空気は耳を痛くする。すっかり葉が落ちてしまった木々を仰げば、葉に当たらなくなった街灯がステージを照らしている。
 年が明ければリョウさんはもうコンサートに出るためにここには来なくなってしまう。会えるのはあと少し。このタイミングで出された新曲をきっと彼はやるだろう。ダンサーとしてもしかしたらリョウさんも地方へ行くのかもしれない。そうしたら本当に、長いこと会えなくなってしまう。

「寂しいなぁ」

 半年近く会えなくなる。たとえコンサートの追加チケットが今後入手できたとしても、遠く遠くから見つめるしかない。普通は、ファンとしてこんなに好きな人に会えることなんかない。今が特殊すぎるんだとわかっているけれど、寂しい。

 寒空の下では寂しい思いが加速してしまう気がした。でもそれも足音が聞こえるまでのこと。

「よぉ」

 いつものようにゆっくりと呼吸を整えるリョウさんが登場すれば、意識が全部そちらに行く。頭の中で再生される先ほど見たばかりの動画。

「新曲すごく良かったです。コメントに多くあったように、おれもクリスマスプレゼントだって思いました」
「明るい曲でもないけどな」
「でもいい曲ですよね。最後にきちんと向き合えて、崩れ落ちる前に抱きとめてあげられたんだなって」

 リョウさんは目を細めておれを見た。肩でついていた息は穏やかになり、ゆっくりと歩み寄る。

「リョウさん。あれ、リョウさんが振り付けしましたか?」
「なんで?」
「違いますか? なんか、っぽいなって思って」
「あってる」

 昨日のように彼はにやりと笑う。きっと振り付けを任されたことが嬉しくもあるんだろう。

「俺っぽいってある?」
「なんだろう、不自然さがなかったんです。いつも『踊ってます!』って感じは無いんですけど、もっと違って……。緒形タカヒロがしている踊りもそのままリョウさんで再生できるというか」

 リョウさんは声を上げて笑った。

「お前、怖」
「好きだから仕方ないです」

 きっとおれ以外の人だって、好きならこんなことになってしまう。ひたすらに見て、感じて考えて、飲み込んで。
 リョウさんは渡した羽織を抱え持ち座ると、弾む声で話してくれた。

「振り付けちゃんと任されて、それが作品になって世に出るってすごいよな。修正だってたくさんしたけど大きく変わったわけじゃない。あの人に合わせたり、客から見た様子として調整しただけ。おれがいいって思ったものがそのまま認めてもらったみたいで」

「ほんと、よかった」と彼は暖かなため息を零した。
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