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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する

3-7 年下理系男子へ出版の勧め

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 七歳、いやもうすぐ八歳年下になる、超エリートな准教授。
 三十歳目前のフリーターの私。姫君だったのは先祖の話。今は、何の財産もないただのおばさんだ。美人でもない。どちらかというと悪役顔だ。そして大柄でアンバランスな体型。

 七年前、結婚するはずの人は、別の女性を選んだ。だから私は、宇関に残った最後の素芦もとあしの人間として生きるつもりだ。
 そのプランに変更はない。だけど、少しだけ彼のそばにいて楽しく過ごしたい。
 ハグしてキスしたけど、あの程度の優しいキスなら、男女の友だちとしてならありだ。うん、これ以上進まなければ。

 と、そんな記憶に浸ってる場合じゃない。そろそろ時間。
 私は大学を訪ねてきたミツハ不動産宇関支店副支店長、荒本丞司さんを、駐車場まで迎えに行った。


 真夏のアスファルトの駐車場のきつい照り返しを受け、荒本さんが笑っている。
「荒本さん、研究室はあちこちにあるのでかなり歩きますが、大丈夫ですか?」
「俺より那津美が心配だ」
 それはそうかもしれない。まぶしいぐらいに真夏の太陽が似合う、鍛え抜かれた身体だ。

 初めに私は、事務室で沢井さんを紹介した。
 荒本さんは、妖艶な広報課長を前に、心配するようなセクハラ言動もなく、かといって無愛想でもなく「ミツハとして、宇関の自治会として、今後も西都科学技術大学さんに、一層協力させていただきます」と、ちゃんと挨拶した。

 情報、環境、バイオ、今回参加する分野の先生方の研究室を回った。
「いや~、不動産屋には全然難しい研究はわかりませんが、よろしくお願いしますよ」と、愛想を振りまく。こういうところ、本当にそつがない。
 環境の先生は女性だったが、普通に男性の先生と同じように接していた。ほかに女性の先生はいない。もう、大丈夫。

 一番遠い宇宙棟に向かう。
「あそこの丘は、昔から変わらないんですよ」
 私は、初めて流斗君とランチした芝生の丘を指さした。
「ああ、あれは築山で、俺たちのご先祖様が眠ってるって聞いた」
「まだ約束の時間までありますね。寄ってみます?」

 私たち二人は丘の前に立ち、手を合わせた。夏休みのため、学生はあまり見当たらない。
「私たち、変に思われますよね」
「俺たちだけが、分かってりゃいいことだ」
 私は荒本さんと顔を見合わせ笑った。

「観覧車がこの辺だったか?」
「多分、あっちがメリーゴーラウンドかな?」
 父の作った遊園地を再現しようとする。
 今まで大学の構内を歩いても、遊園地のことはそれほど思い出さなかった。が、かつて遊園地を巡ったこの人と歩くと、いろいろなことが思い出される。

「私十歳のころ、お母さんがいなくなって、学校に行かないでゲームばかりしてた」
「そんなの一時いっときだろ?」
「お兄ちゃんが毎日迎えに来てくれたのに、私、駄々こねてたね」
「気にすんな。小学校も中学校も同じ敷地だから、ついでに寄っただけだ」
 荒本さんが私の頭をクシャクシャになでた。
「俺なんか、中学も高校もろくに行かず、ヤンキーな連中とつるんでた。まあ、何とかなるってんだ」

「お父さんね。私がゲームばかりしてるから、何とか外に出したくて、ゲームみたいな遊園地作ったのよ」
 大事なことを私は今まで忘れていた。いや、思い出したくなかった。忘れたことにしたかった。
 引きこもる私に父が何度も「外でもゲームできるぞ」「お父さんが作ったんだぞ」と誘ってくれたことを。

「そんなことしなくたって、那津美は勉強好きだ。いずれ学校に戻った。なのに親父さんが勝手に暴走して、周りも止めなかった……いや……」
 荒本さんが私の肩を叩く。
「ゲームみたいな遊園地って今、あるじゃないか。ちゃんとそれを作ればよかった。なのに、古い遊園地の遊具を集めて、アトラクションの名前をゲーム風にしただけだ。親父さんの発想は悪くない。がな」
 彼は一息ついた。
「それを実現する資金はなく計画は甘く実行力はなかった……悪い、言い過ぎた」
 私は静かに微笑む。
「その通りですよ。父は甘かった」

 また、私は彼に頭をクシャクシャされた。
「遊園地最後の日、お前と二人で行ったな。俺は忘れないよ」

 私としては忘れたい日だが、まさかこの男、覚えているのだろうか?
「小さな妹だった那津美が女になったんだって、思ったよ」
「やめてください! 気持ち悪い! セクハラよ!」
 できれば忘れたい。忘れてほしい。この男と最初にキスした日のことは。
「はは、悪かったな。次の先生のとこ、案内してくれ」

 私は、遠く離れた宇宙棟に荒本さんを案内した。訪問先は宇宙棟のトップの邦見先生だ。
 が、宇宙棟の入り口で、思わぬ出迎えを受ける。
「遅かったので、迷ってるかと思いましたよ」
 外に立っていたのは、訪問するはずの邦見先生ではなく、流斗君だった。


 大学の先生に挨拶したいという荒本さんを案内する中、最後の宇宙棟トップの邦見先生を訪ねようと向かったら、なぜか流斗君が外で待っていた。
 荒本さんは、早速流斗君に名刺を渡した。流斗君は慌てて笑顔を作る。
「すみません。僕、名刺を部屋に置いてきて、後で渡します」
 私たち三人はビルに入った。エレベーターに向かって進む。

「先生ですか。お若いので学生さんかと思いましたよ」
「よく言われます。実際、同年代は学生ですから。僕は、高校も大学も早く終わったので」
「すばらしいですねえ。私なんか、エックスやワイで逃げ出しました」
 二人はにこやかに会話を進めている。

 なぜ流斗君が迎えに来てくれたんだろう?
「あの、今日は邦見先生を訪ねるつもりでしたが、先生は?」
「邦見先生は委員会に出席することになったので僕が代わりました。荒本さん、でしたっけ? 大丈夫ですよ。僕が宇宙棟のブースをまとめているので」

 三人でエレベーターに乗り込む。
 荒本さんも流斗君も初対面だ。互いに何も思うことない。ただ、私が勝手に思わぬ鉢合わせに慌てているだけだ。
 片方は昔好きだった人で、もう片方が今好きな人。でも、それを知っているのは私だけだし、他の先生も普通に挨拶しただけで終わった。大丈夫。私はただニコニコ笑っていればいい。


 准教授室に案内され、流斗君はうやうやしく、名刺を荒本さんに渡した。
「はい、朝河です」
 流斗君は頭をかいて照れた。
「へえ、朝河……流斗先生か」
「宇宙研究者らしい名前って言われます」
 そのまま促され、私たちは椅子に座った。
素芦もとあしさん、荒本さんにブースの説明、した方がいい?」
「先生、簡単でいいですよ。荒本さんは、基本、任せてくださるから」
「ああ、俺は昔から、那津美には、弱いんだ」

 はい? 今、彼は何と私を呼んだ? ほら、流斗君も驚いている。
「先生、失礼。彼女は親戚で兄妹同然に育ちまして」
「荒本さん、それはいいから。先生、説明お願いします」

 流斗君は、タブレットを取り出し説明した。
「リクエストが、月と亀、ウサギ、水のどれかをテーマにと言われたので、僕たちは『月』を中心にします。僕は月の専門ではないので、メインは他の先生にお願いしています」

「へー、宇宙にもいろいろあるんですね。で、先生の専門ってのは?」
「僕の専門は宇宙生成論です。ビッグバンとか聞いたことありませんか?」
「いや~、私にはさっぱりで。そういえば、車椅子の先生が外国にいましたよね」
「あの先生は有名ですからね。僕は子どもの時、その先生の本を読みましたけど感動しました。それまで宇宙というと相対性理論でしたが、量子論といった全く違う理論を取り入れるんですから」
「ははは、先生の言ってることさっぱりですわ」

「失礼。相対性理論は、僕らが目に見えるぐらい物から、地球に太陽に銀河系といった大きなものの動きを説明に使われます。量子論は、目に見えない、原子や分子といったスケールの世界の説明に使われます。どちらも物理で重要な理論ですが、全く違う理論で、一つの理論にするのは、中々難しいんですよ。超弦理論は有力な仮説ですが」
「やっぱり、さっぱりですね。で、そいつは儲かるんで?」

 荒本さんの目がキラッと光る。儲かるかどうかはともかく、さっぱりという点は同意する。相対性理論とか量子論、なんとなく名前は聞いたことあるぐらい。とにかく同じ宇宙でも、全然違う理論があるってことね。
「先生の本はベストセラーになりましたよ」流斗君も言い返す。
「難病の人が先生やってる点がウケたんじゃないんですか?」
「それは否定しません。が、先生の業績は本物です」
「じゃ、先生も本、書けばいいじゃないですか。お若い准教授ってだけで売れますって」
 流斗君が顔をしかめた。

「僕はまだまだです。本も助教のころ書いたけど、さっぱりですね。編集さんに難しい式を入れるからだと言われました」
「ははは、そりゃ売れませんって。ほとんどの人間は、俺みたいにルートやエックスで逃げ出しますから」
「僕は、式を入れることでかえって簡単になると思ってるんですけどね」

 何か話がますます明後日の方向に行っている。
「荒本さん、そろそろ、先生も忙しいし、ね?」
「那津美、邪魔するな、俺は先生が気に入ったんだ。こんなのどうです? いかにして二十歳で准教授になったか、とか」
「二十二歳ですけどね。そういうオファーはあります。でも、僕は特別なことをしたわけじゃないし、僕と同じことをして、そうなるわけでもありませんから」
 この辺に流斗君の自負を感じる。ちゃんと自分に特別な才能があると自覚している。
「じゃあ、今までにやった女体験、いきましょうよ。先生みたいな人なら絶対ウケます」

 その場が凍り付いた。
 この男は今、何を言った? 『女体験』!?
 いたたまれず、私は立ち上がった。
「先生に失礼よ! もう帰ろうよ」
 私は、荒本さんの腕を引っ張った。が、彼は全く動かない。
「おや、駄目ですか。女を知らないなら仕方ないです。偉い先生は、女遊びする暇ないんでしょうね」
「荒本さん! 祭りがダメになってもいいの!?」
 ああ、流斗君はさぞ怒っているだろう……笑ってる!

「安心してください。本、一冊書けるぐらいの経験ならあります。ただ、僕が尊敬する天才のように、愛人に子どもを産ませた、というレベルには及びませんが」

 はい? 流斗君、何を言ってるの?
「ですが、僕はそういう本を書く以上、最低限の礼儀は必要と思います」
 私はずっと副支店長の太い腕を引っぱっているが、まったく動いてくれない。
「その手の本に最低限の礼儀なんてあるんですかね?」
「ありますよ。書く以上、相手の女性の同意は得たい。ねえ、那津美さん?」
「はい?」
 綱引きのポーズをとる私に、流斗君が話しかけた。

「荒本さんは、僕とあなたが体験した素晴らしい出来事を本にしたら売れるっていうんだけど、いいかな?」

「はい??」
 私の腕から力が抜ける。えーとそれって……。
「へえー、まさか先生、うちの那津美とヤったんですか。本一冊書けるぐらいに?」
「うちの? 違いますよね。うちの、です。彼女の所属は西都科学技術大学なんだから」
 彼は今、何を言ったの? 私と『ヤッた』? 『本、一冊』?
「りゅう……朝河先生こそセクハラです!!」

 私は、その場にいられず研究室を飛び出した。それを荒本さんが追いかける。
「荒本さんが悪いのよ!」
 が、彼が答える前に、流斗君が現れた。
「彼女が反対するんで、本は見送りです」
 それはそれは満面の笑顔だった。
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