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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する
3-8 今夜、二人で過ごすところ
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流斗君は、ご丁寧にも「荒本さんが迷うといけないから」とわざわざ、宇宙棟から遠く離れた駐車場まで送ってくれた。
その後、気まずいまま無言で歩き、事務棟の入り口で別れた。
夜、流斗君に電話をしようとスマホを開いたら、彼からメッセージが入っていた。
『今そっち行く』
ちょ、ちょっと待って! この前、ラピスラズリを渡しにやって来た時も、突然だった。彼は、こういう不意打ちが好きなのだろうか?
メッセージに返信する前に、部屋のチャイムがなる。ドアのレンズから覗くと流斗君がそこにいたので、ドアを開ける。
「先生、こんばんは。遅くまでお疲れ様」
夜まで研究をがんばってる准教授を労いたくて、先生と言ってみる。
「那津美さんの部屋、見たくなった」
私は首を振った。
それは絶対にダメだ。部屋に入れてはいけない。だって……奥のパソコンに暗黒皇帝陛下が眠っている。
「あれ、古いパソコンみたいだね」
何で一番知られたくない物体に、わざわざ目をつけるんだろう?
宇宙の天才博士は、私の心までお見通しなの?
大体、玄関からパソコンのある窓際までは、距離がある。何で視力いいの。普通、理系の博士ってメガネかけてるのに。何でそういうところ目ざといの?
「わ、私の部屋は今度ね。話すなら、ファミレス行かない?」
私は彼の前に立ちはだかった。侵入されないように。
「那津美さんのグチャグチャした部屋見たかったな」
彼は私を何だと思ってるの? この前抱き合ってキスして「友情」を確かめ合った相手にひどくない?
「着替えるから、待っててね」
奥の部屋で、彼からもらったラピスラズリのネックレスをつけた。部屋着を脱いで、ネックレスが目立つよう、襟が大きく開いた白いシャツに着替えた。
近くのファミレスまで彼の車で乗せてもらった。
テーブルについてメニューを頼んだところで、怒りをぶつける。
「セクハラ准教授さん。なんであんな恥ずかしいこと言うの!」
荒本さんに、私と流斗君が何度もエッチをしていると宣言するなんて、何を考えてるんだろう?
「言っておくけど、喧嘩を売ってきたのはあいつだ。僕はそれまではちゃんと応対した」
それを言われて思い出してみると……確かにその通りだ。
荒本さんが最初に挑発したのは間違いない。だからといって、挑発に乗ることもないのに……。
流斗君は水の入ったグラスを置いて、私を睨みつけた。
「研究室の窓からはね、芝生の丘がよく見えるんだ。あなたが知らない親父とイチャイチャしてた」
あれを見られてたの? あの時、丘の前で手を合わせて拝んで、昔話で盛り上がった。周りから見れば、おかしな人たちに見えなくもない。でも……。
「イチャイチャしてないわ! 荒本さんは親戚なの。子どもの時、大学の敷地で遊んだから懐かしかっただけよ」
流斗君がじっと見つめている。しばらくしてからボソッと尋ねた。
「那津美さんが結婚するはずだったひどい失恋相手、あいつだよね」
彼は何を聞いているの?
「『年上。中々頼りになるお兄さん』だっけ? 結婚式の準備、大変だったんだよね」
私、そんなこと話し……た気がする。なぜ私は余計なことを話したんだろう?
流斗君の視線が痛い。こうやって黙り続けるのは、肯定しているも同然だ。
どう答えたらいいかさまよっていると、頼んだ食事が運ばれてきた。
私はタラの煮つけ御前、流斗君はパンケーキ。
「ふふ、本当に流斗君、甘いの好きだね」
「脳はね、糖類を欲してるんだよ」
甘いだの美味しいだの感想を言い合い、先ほどの険悪な空気が穏やかになった。
「それ、着けてくれたんだ」
彼が私の首あたりを指した。ラピスラズリのネックレスは職場には着けていけない。
「これね、私の誕生石なの。こういうのみんな売っちゃったから、嬉しいわ」
ついでに、おねだりしてしまおう。
「来月よ誕生日、よろしくね」
毎年来る誕生日プレゼントが、私の嫌いなあの人からだけじゃつまらない。
これで私と彼は当分の間八歳違いとなる。彼の誕生日の三月まで。聞くまでもなく物理の有名人の彼の誕生日は、検索すればヒットする。
彼がスマホをチェックしながら答えた。
「ウェブ会議が外国と入っている……でも夜遅くなら何とかなるかな」
「いーよ。その日じゃなくて。メールでもくれれば」
「そうだ! プレゼント、パソコンどう?」
「そんな高いのに悪いよ」
「高くないのあるよ。今使っているのちょっと見えたけど、かなり古そうだし」
確かに嬉しい。今のパソコンは起動が遅いのだ。でも心配なことがある。
「データ移行が大変だし……」
「ルーターにつなげれば簡単だよ。あ、その辺も僕がやっておくから」
それは嬉しいけど、悪いなあ……いや?
データ移行って……暗黒皇帝陛下もお引っ越しということで……
だめ! それだけは避けなければならない。
私の推しが、あのいやらしくも下品で最低な超絶美形の陛下だってこと、彼には知られたくない。
陛下に「哀れなバリオンよ」と言われるたびに悶絶しているなんて、バレたくない。
「いいって! それぐらい自分でできる。流斗君忙しいんだから」
「那津美さんに任せておくと心配だし」
「私、宇宙や物理はわからないけど、前の職場ではホームページ作ってたのよ」
「その辺からわかってない。元々『ホームページ』ってブラウザが最初に表示するページのことだし……」
また何か始まった。彼は、宇宙だけじゃなくて、何かとよくわからい突っ込みを入れてくる。
そこで話題を元に戻した。
「荒本さんには私からよく言っておく。でも流斗君は挑発に乗らないようにね」
「へー、あいつにまた会うんだ」
不機嫌顔に戻った。
「私も会いたくないけど、祭りを実質仕切っているから、会わないわけにいかないの」
「わかった。じゃさ、那津美さんが今度、気まずくならないように」
彼がずいっと身を乗り出した。
「あいつに言ったことリアルにしよう。それなら堂々と顔合わせられるよね」
え、え!? 彼はいったい何を言ってるの? リアルにする? 私は動けなくなった。
『リアルにしよう』
リアル、現実。流斗君が荒本さんに言ったことを現実にする?
えーと、つまり、本一冊書けるくらいの「女体験」をこれからする?
落ち着け。落ち着こう。落ち着くんだ。さあ深呼吸。肺に酸素を取り入れてスッキリするの。
「もう充分リアルよ。私とあなたは、本一冊書けるぐらい時間を過ごしたわ。おしゃべりして、ほら、渓流にも出かけたじゃない」
流斗君の目が、何か怖い。
「僕とあなたが出かけておしゃべりしました……そんな本、売れると思う?」
「う、売れるんじゃないかなあ? 流斗君のファンなら、そんなんでも気になるんじゃない?」
それは断言できる。私自身、もし彼が誰かとそんな風にお出かけしたら、どんなことを話しているのか、すごーく気になる。
「そんな本、子どもにも売れないよ。あいつはそれじゃ納得しない。僕としては、あいつを説得できるだけの実績が欲しい」
あああ、やっぱり、そういうことなんだ。
ダメに決まっている。この前プレゼントをもらった時キスしてしまったが、それ以上にダメな行為だ。
「大人をからかわないの。私たち、友だちでしょう?」
ヘラヘラ笑ってごまかす。際どい冗談にすぎない。
「僕も大人だよ。大人同士の友情なら、何も問題ない」
愛ではなく友情の延長での肉体関係。
そういう発想の人たちがいるのは認める。お互い納得しているならそれはありだ。
が、私は古い家に生まれたためか、そういう発想には抵抗ある。
「流斗君も、愛人に子ども産ませるつもり?」
今日の荒本さんとの会話を思い出す。誰だか知らないが、彼が尊敬する天才は、そんなことをしたらしい。うーん、私はそういう人、尊敬できないな。どれほど天才でも。
「僕は独身だから、愛人とは言わないな。でも、那津美さん子ども欲しいんでしょ?」
そんなこと話した気もする。
あれは、バーチャルで何でもできるという流斗君に対して、できないことのたとえで話した。
ずっと一人で生きる決意は変わらないが、正直言って、子どものいる人生に憧れはある。
「流斗君、言ったじゃない。自分の真似したって自分と同じようにできるとは限らないって。エッチな天才さんと同じことしたって意味ないわ」
精一杯、私は抵抗する。この流れでつながってしまうことへの抵抗。
ぐっと手を握られた。
「科学は模倣から始まる。追試実験もそう。何度か試さないと、無意味かどうかわからない」
諦めてくれない彼に、根負けしそう。理屈ではとても勝てそうもない。
だから、段々それもいい気がしてきた。処女を三十歳に持ち越したくないし、彼の気持ちはどうであれ、私はそれを望んでいるし……いや、だめ!
「だめ! あなたの彼女が悲しむよ」
忘れるところだった。いや都合よく忘れていた。
「彼女?」
大きな目がポカンとしている。彼も忘れちゃったのだろうか?
「毎晩話す好きな女の子、いるんでしょ?」
もしかして、彼女と別れたのだろうか? だったら……?
「ああ、彼女ね。それは心配しなくていい。そういう付き合いじゃないし、彼女が悲しむことはないから」
そんな私に都合のいい話にはならなかった。
以前、ラブホテルの前を通過したとき言ってたことを思い出す。
彼女はまだ子どもだから、そういう関係は結べないみたい。
大きな目に射すくめられた。この場の空気にこれ以上耐えられない。
「この話はおしまい。荒本さんと会った時、注意しておくから。流斗君もいちいち挑発に乗らないでね」
内心の動揺をごまかすために、私は笑ってみせた。彼はただじっと見つめている。
彼の手を振り切り伝票を取った。
「たまには私にごちそうさせて」
友だちなのに、いつも奢ってもらうのは変だ。
レジで支払いを済ませ、後を追ってきた彼に頼んだ。
「流斗君、家まで送ってくれる?」
彼は無言でうなずき、車を出す。
車内での沈黙に耐えられず「流斗君は夏休み取らないの? 実家に帰ったりしない?」など、無難な質問をしてみた。
「今は、休む時間はないよ。実家に帰るのは年明けかな。帰ったら弟と妹の相手しないとな」
「いいなあ。弟、妹がいるって」
そんな風にポツポツと話していたため、気がつくのが遅れたのだろう。周りの景色が違うことに。
「流斗君、うちと逆方向だよ。今から教えるね」
が、私が道を教えようとする前に、流斗君がさえぎった。
「間違ってないよ。最初に那津美さんが僕を乗せてくれたのと同じ道だよ」
頭が真っ白になった。
この車はどこへ行くのだろう。
「明日は休みだから、いいよね」
私は何も答えられなかった。
やがて私たちは大学のある地区に入り、その後、ロータリーのある十階建のマンションに到着した。
車窓から見える自動販売機は、初めて彼と会った時と同じように光っていた。
マンションの駐車場に車が止まった。私が口を開く前に、流斗君は助手席のシートベルトをスルスルっと外す。
運転席から降りた彼が、私の手を取った。
「家に帰して」
「話が終わったらね」
「話は終わったと思ったけど、それなら、ここで話を聞くわ」
「こんなところで? ここに住んでるの大学の人間ばかりだ。目立つよ」
彼に手を引かれるように私は車を降り、オートロックの入り口まで連れていかれる。
流斗君がカードをかざすと自動ドアがゆっくりスライドした。また、彼に手を取られる。
「変なことしないよね」
「変ってなに?」
「リアルにしようってさっき、言ったじゃない」
エントランスのエレベーターに乗り込んだ。
「だからそれについて話し合おうってこと」
五階で降りて、そのまま彼の部屋に向かう。
ドアが開け放たれ、私は扉の前で立ち止まる。一歩踏み出すことへのためらい。
「わ、私は納得してないわ」
「心配しなくていいよ。あなたが納得できるよう、これから説得するから」
そして。
私は一歩を踏み出した。ためらいより好奇心が、モラルより下心が勝った。
扉がカチャっと閉ざされた。
その後、気まずいまま無言で歩き、事務棟の入り口で別れた。
夜、流斗君に電話をしようとスマホを開いたら、彼からメッセージが入っていた。
『今そっち行く』
ちょ、ちょっと待って! この前、ラピスラズリを渡しにやって来た時も、突然だった。彼は、こういう不意打ちが好きなのだろうか?
メッセージに返信する前に、部屋のチャイムがなる。ドアのレンズから覗くと流斗君がそこにいたので、ドアを開ける。
「先生、こんばんは。遅くまでお疲れ様」
夜まで研究をがんばってる准教授を労いたくて、先生と言ってみる。
「那津美さんの部屋、見たくなった」
私は首を振った。
それは絶対にダメだ。部屋に入れてはいけない。だって……奥のパソコンに暗黒皇帝陛下が眠っている。
「あれ、古いパソコンみたいだね」
何で一番知られたくない物体に、わざわざ目をつけるんだろう?
宇宙の天才博士は、私の心までお見通しなの?
大体、玄関からパソコンのある窓際までは、距離がある。何で視力いいの。普通、理系の博士ってメガネかけてるのに。何でそういうところ目ざといの?
「わ、私の部屋は今度ね。話すなら、ファミレス行かない?」
私は彼の前に立ちはだかった。侵入されないように。
「那津美さんのグチャグチャした部屋見たかったな」
彼は私を何だと思ってるの? この前抱き合ってキスして「友情」を確かめ合った相手にひどくない?
「着替えるから、待っててね」
奥の部屋で、彼からもらったラピスラズリのネックレスをつけた。部屋着を脱いで、ネックレスが目立つよう、襟が大きく開いた白いシャツに着替えた。
近くのファミレスまで彼の車で乗せてもらった。
テーブルについてメニューを頼んだところで、怒りをぶつける。
「セクハラ准教授さん。なんであんな恥ずかしいこと言うの!」
荒本さんに、私と流斗君が何度もエッチをしていると宣言するなんて、何を考えてるんだろう?
「言っておくけど、喧嘩を売ってきたのはあいつだ。僕はそれまではちゃんと応対した」
それを言われて思い出してみると……確かにその通りだ。
荒本さんが最初に挑発したのは間違いない。だからといって、挑発に乗ることもないのに……。
流斗君は水の入ったグラスを置いて、私を睨みつけた。
「研究室の窓からはね、芝生の丘がよく見えるんだ。あなたが知らない親父とイチャイチャしてた」
あれを見られてたの? あの時、丘の前で手を合わせて拝んで、昔話で盛り上がった。周りから見れば、おかしな人たちに見えなくもない。でも……。
「イチャイチャしてないわ! 荒本さんは親戚なの。子どもの時、大学の敷地で遊んだから懐かしかっただけよ」
流斗君がじっと見つめている。しばらくしてからボソッと尋ねた。
「那津美さんが結婚するはずだったひどい失恋相手、あいつだよね」
彼は何を聞いているの?
「『年上。中々頼りになるお兄さん』だっけ? 結婚式の準備、大変だったんだよね」
私、そんなこと話し……た気がする。なぜ私は余計なことを話したんだろう?
流斗君の視線が痛い。こうやって黙り続けるのは、肯定しているも同然だ。
どう答えたらいいかさまよっていると、頼んだ食事が運ばれてきた。
私はタラの煮つけ御前、流斗君はパンケーキ。
「ふふ、本当に流斗君、甘いの好きだね」
「脳はね、糖類を欲してるんだよ」
甘いだの美味しいだの感想を言い合い、先ほどの険悪な空気が穏やかになった。
「それ、着けてくれたんだ」
彼が私の首あたりを指した。ラピスラズリのネックレスは職場には着けていけない。
「これね、私の誕生石なの。こういうのみんな売っちゃったから、嬉しいわ」
ついでに、おねだりしてしまおう。
「来月よ誕生日、よろしくね」
毎年来る誕生日プレゼントが、私の嫌いなあの人からだけじゃつまらない。
これで私と彼は当分の間八歳違いとなる。彼の誕生日の三月まで。聞くまでもなく物理の有名人の彼の誕生日は、検索すればヒットする。
彼がスマホをチェックしながら答えた。
「ウェブ会議が外国と入っている……でも夜遅くなら何とかなるかな」
「いーよ。その日じゃなくて。メールでもくれれば」
「そうだ! プレゼント、パソコンどう?」
「そんな高いのに悪いよ」
「高くないのあるよ。今使っているのちょっと見えたけど、かなり古そうだし」
確かに嬉しい。今のパソコンは起動が遅いのだ。でも心配なことがある。
「データ移行が大変だし……」
「ルーターにつなげれば簡単だよ。あ、その辺も僕がやっておくから」
それは嬉しいけど、悪いなあ……いや?
データ移行って……暗黒皇帝陛下もお引っ越しということで……
だめ! それだけは避けなければならない。
私の推しが、あのいやらしくも下品で最低な超絶美形の陛下だってこと、彼には知られたくない。
陛下に「哀れなバリオンよ」と言われるたびに悶絶しているなんて、バレたくない。
「いいって! それぐらい自分でできる。流斗君忙しいんだから」
「那津美さんに任せておくと心配だし」
「私、宇宙や物理はわからないけど、前の職場ではホームページ作ってたのよ」
「その辺からわかってない。元々『ホームページ』ってブラウザが最初に表示するページのことだし……」
また何か始まった。彼は、宇宙だけじゃなくて、何かとよくわからい突っ込みを入れてくる。
そこで話題を元に戻した。
「荒本さんには私からよく言っておく。でも流斗君は挑発に乗らないようにね」
「へー、あいつにまた会うんだ」
不機嫌顔に戻った。
「私も会いたくないけど、祭りを実質仕切っているから、会わないわけにいかないの」
「わかった。じゃさ、那津美さんが今度、気まずくならないように」
彼がずいっと身を乗り出した。
「あいつに言ったことリアルにしよう。それなら堂々と顔合わせられるよね」
え、え!? 彼はいったい何を言ってるの? リアルにする? 私は動けなくなった。
『リアルにしよう』
リアル、現実。流斗君が荒本さんに言ったことを現実にする?
えーと、つまり、本一冊書けるくらいの「女体験」をこれからする?
落ち着け。落ち着こう。落ち着くんだ。さあ深呼吸。肺に酸素を取り入れてスッキリするの。
「もう充分リアルよ。私とあなたは、本一冊書けるぐらい時間を過ごしたわ。おしゃべりして、ほら、渓流にも出かけたじゃない」
流斗君の目が、何か怖い。
「僕とあなたが出かけておしゃべりしました……そんな本、売れると思う?」
「う、売れるんじゃないかなあ? 流斗君のファンなら、そんなんでも気になるんじゃない?」
それは断言できる。私自身、もし彼が誰かとそんな風にお出かけしたら、どんなことを話しているのか、すごーく気になる。
「そんな本、子どもにも売れないよ。あいつはそれじゃ納得しない。僕としては、あいつを説得できるだけの実績が欲しい」
あああ、やっぱり、そういうことなんだ。
ダメに決まっている。この前プレゼントをもらった時キスしてしまったが、それ以上にダメな行為だ。
「大人をからかわないの。私たち、友だちでしょう?」
ヘラヘラ笑ってごまかす。際どい冗談にすぎない。
「僕も大人だよ。大人同士の友情なら、何も問題ない」
愛ではなく友情の延長での肉体関係。
そういう発想の人たちがいるのは認める。お互い納得しているならそれはありだ。
が、私は古い家に生まれたためか、そういう発想には抵抗ある。
「流斗君も、愛人に子ども産ませるつもり?」
今日の荒本さんとの会話を思い出す。誰だか知らないが、彼が尊敬する天才は、そんなことをしたらしい。うーん、私はそういう人、尊敬できないな。どれほど天才でも。
「僕は独身だから、愛人とは言わないな。でも、那津美さん子ども欲しいんでしょ?」
そんなこと話した気もする。
あれは、バーチャルで何でもできるという流斗君に対して、できないことのたとえで話した。
ずっと一人で生きる決意は変わらないが、正直言って、子どものいる人生に憧れはある。
「流斗君、言ったじゃない。自分の真似したって自分と同じようにできるとは限らないって。エッチな天才さんと同じことしたって意味ないわ」
精一杯、私は抵抗する。この流れでつながってしまうことへの抵抗。
ぐっと手を握られた。
「科学は模倣から始まる。追試実験もそう。何度か試さないと、無意味かどうかわからない」
諦めてくれない彼に、根負けしそう。理屈ではとても勝てそうもない。
だから、段々それもいい気がしてきた。処女を三十歳に持ち越したくないし、彼の気持ちはどうであれ、私はそれを望んでいるし……いや、だめ!
「だめ! あなたの彼女が悲しむよ」
忘れるところだった。いや都合よく忘れていた。
「彼女?」
大きな目がポカンとしている。彼も忘れちゃったのだろうか?
「毎晩話す好きな女の子、いるんでしょ?」
もしかして、彼女と別れたのだろうか? だったら……?
「ああ、彼女ね。それは心配しなくていい。そういう付き合いじゃないし、彼女が悲しむことはないから」
そんな私に都合のいい話にはならなかった。
以前、ラブホテルの前を通過したとき言ってたことを思い出す。
彼女はまだ子どもだから、そういう関係は結べないみたい。
大きな目に射すくめられた。この場の空気にこれ以上耐えられない。
「この話はおしまい。荒本さんと会った時、注意しておくから。流斗君もいちいち挑発に乗らないでね」
内心の動揺をごまかすために、私は笑ってみせた。彼はただじっと見つめている。
彼の手を振り切り伝票を取った。
「たまには私にごちそうさせて」
友だちなのに、いつも奢ってもらうのは変だ。
レジで支払いを済ませ、後を追ってきた彼に頼んだ。
「流斗君、家まで送ってくれる?」
彼は無言でうなずき、車を出す。
車内での沈黙に耐えられず「流斗君は夏休み取らないの? 実家に帰ったりしない?」など、無難な質問をしてみた。
「今は、休む時間はないよ。実家に帰るのは年明けかな。帰ったら弟と妹の相手しないとな」
「いいなあ。弟、妹がいるって」
そんな風にポツポツと話していたため、気がつくのが遅れたのだろう。周りの景色が違うことに。
「流斗君、うちと逆方向だよ。今から教えるね」
が、私が道を教えようとする前に、流斗君がさえぎった。
「間違ってないよ。最初に那津美さんが僕を乗せてくれたのと同じ道だよ」
頭が真っ白になった。
この車はどこへ行くのだろう。
「明日は休みだから、いいよね」
私は何も答えられなかった。
やがて私たちは大学のある地区に入り、その後、ロータリーのある十階建のマンションに到着した。
車窓から見える自動販売機は、初めて彼と会った時と同じように光っていた。
マンションの駐車場に車が止まった。私が口を開く前に、流斗君は助手席のシートベルトをスルスルっと外す。
運転席から降りた彼が、私の手を取った。
「家に帰して」
「話が終わったらね」
「話は終わったと思ったけど、それなら、ここで話を聞くわ」
「こんなところで? ここに住んでるの大学の人間ばかりだ。目立つよ」
彼に手を引かれるように私は車を降り、オートロックの入り口まで連れていかれる。
流斗君がカードをかざすと自動ドアがゆっくりスライドした。また、彼に手を取られる。
「変なことしないよね」
「変ってなに?」
「リアルにしようってさっき、言ったじゃない」
エントランスのエレベーターに乗り込んだ。
「だからそれについて話し合おうってこと」
五階で降りて、そのまま彼の部屋に向かう。
ドアが開け放たれ、私は扉の前で立ち止まる。一歩踏み出すことへのためらい。
「わ、私は納得してないわ」
「心配しなくていいよ。あなたが納得できるよう、これから説得するから」
そして。
私は一歩を踏み出した。ためらいより好奇心が、モラルより下心が勝った。
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