迷える機甲と赦しの花

日蔭 スミレ

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Chapter6.生の喜びと永遠の約束

6-3.許せざる来客

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 アルマの家は牧草地の小高い丘の上にぽつんとある。昔ながらの木工張りで古ぼけた家屋だが、一階部分の外壁は石造りでどっしりとした佇まいだ。
 家について直ぐに、母はエーファに夕飯に食べたいものを聞いていた。エーファは直ぐに母に心を開いたのか、母の後をちょここまかとついて回り「何か手伝いたい」と言っていた。

 片やテオファネスと言えば、家に着くなり父に引き摺られ、羊舎の掃除に駆り出された。三つ下の弟デニスも羊の世話の手伝いだ。一応はテオファネスの件を父母から聞かされていたようで、弟は彼を見ても全く驚きもしなかった。

 皆で食卓を囲い、食後に父は弦を奏で皆で歌を歌い、ホリデー初日の夜は賑やかに更けていった。
 そして明朝。空も暗い早朝にアルマの家に予想だにしない客が訪れた。

 羊の世話中だったのか、雪と干し草に塗れた父が家に招き入れたのは、毛皮のついた真っ黒ながいとうを纏った金髪の美女だった。手には大きな革のバッグと上品な傘を持ち、まるで貴族の女主人のようにさえ見えてしまう。
 その姿を見るのは半年以上ぶりだろう。アルマは彼女の顔を見た途端、煮えくりかえる程の怒りを覚えて彼女に掴みかかる。
 途端に剣幕になった娘に驚いたのだろう。母の持っていたカップが割れた音が静かな室内に響き渡った。

「軍人は最低だ! どうして、どうして教えなかったんですか! カサンドラさん!」

 背の高い彼女に背伸びしてコートの襟元を掴むものの、彼女はびくともしなかった。ただ涼しい目をしてアルマをジッと見下ろすだけで……。

の時とは言った。その訪れるとは言わなかった事は詫びるが、全て言ってしまえば君は引き受けてくれなかっただろう。私と君は、一つの命を尊重したいという思いだけは変わらなかっただろう」

 確かにそうだ。絶対に彼を匿う事など引き受けたりしなかった。結果良かったから良しだとしても、最後の時間を幸せに過ごす為に送り込んだだの知らされていなかったのだ。あまりに惨い。治るものだと信じてアルマはカサンドラに手紙を送り続けていたのだ。

「──だからと言って!」

 アルマは喉がはち切れんばかりに叫ぶと、母が合間を割った。

「アルマやめなさい、軍人さんなのでしょう」

 無礼よ。と、厳しく言うと、母はアルマを引き剥がしカサンドラに頭を下げる。

「いいえ、シュメルツァー夫人。私が娘様に大きな負荷を負わせたに変わりない。その非礼も詫びまして先払いにはなりますが、慰謝料を……」

 そうしてカサンドラは手に提げた大きなバッグをテーブルの上に置いた。ずしりと重たそうな事は目に見て分かる。恐らくとんでもない大金が入っている事は容易く想像出来た。母は目を丸くしてカサンドラとバッグを交互に見るが……直ぐに首を振る。

「いいえ、受け取れませんね。私はそんな話を娘から微塵も聞いていませんでしたから。娘が彼を匿い守っていたと知った事もつい最近ですし」

「そうですか。ですが、これは私が出来る最大限の謝罪です。私は貴女の娘の良心に漬け込み危険に晒した悪しき女です。罪滅ぼしにもなりませんが、受け取って頂けたらと思います」

 謝罪させて下さい。と、言うと、カサンドラは母とアルマに向かって深々と頭を垂れた。
 今すぐその後頭部を殴り飛ばしたいくらいだった。それ程アルマははらわたが煮えくりかえっていた。
 剣幕な空気に臆したのだろう。部屋の隅でエーファは不安そうな顔でアルマとカサンドラを交互に見ていた。

「それでも受け取れませんよ。娘を危険に晒した事は母としては許せませんが、貴女だって良心故の行動だったと娘の手記からうかがえました」

 母が静かに語り始めると、カサンドラは緩やかに顔を上げる。
 凜とした端正な面は少しばかり歪んでいた。見るからに様々な感情が交ざっているが、簡単に形容するのであれば、心底申し訳無さそうな顔だった。

「娘が一番よく分かっている筈です」

 母の言葉にアルマの怒りは僅かに凪いだ。確か母のいう通りだ。カンサンドラは軍令に背いて彼を託したとはいえ、彼の命を尊重したいからこその行動だった。アルマは冷静な心を取り戻して、彼女から一歩退いた。

「命は皆同じ。尊いものに変わらない。人として彼を尊重した貴女を咎める事は出来ませんよ。それに貴女はきっとアルマを見て、アルマの人間性を認めてくれたからこそ彼を託したのだとうかがえます」

 母が優しく語りかけると、カサンドラは深く頷いた。

「親としては人に頼られる子に育つ事はとても誇らしく思えます。そしてこの子を少し大人へと成長させたに違いない。アルマ、軍人さんを許しなさい」

 そう告げきると母は優しく笑んで、アルマとカサンドラを交互に見る。もはや言葉も出て来ず、アルマはただ頷いた。それから間もなくだった。

「軍人さんのお姉さん……あのね」

 弱々しくエーファが声を出したので皆は一斉に彼女に注目する。

「……エーファのお兄ちゃん、探してくれてありがとうなの」

 とても嬉しかった。と言って彼女は懐から兄の認識票を出して仄かに笑むと、深々とカサンドラに頭を下げた。

「いいや、お役に立てたなら何よりだよ」

 そう言って彼女は優しく笑み、エーファに近付くなり跪き、彼女の首から提げた認識票に向かって祈る姿勢を取った。

「テオファネスがたまに語っていた話だが、彼の母国では死者は皆、星になって空で守りたかったものを照らすと言うらしい。それはきっと、どこの国でも同じかも知れない。お兄さんは君の事もいつだって見守り、明るい未来を照らしてくれるに違いない」

 カンサンドラは優しくそう告げると、エーファは薄く涙を浮かべて何度も頷いた。
 しかし、その言葉がアルマの胸の中に妙に引っかかった。

 熱に魘された後からテオファネスが戦場に行く夢を繰り返し見る所為だろうか。

 大戦が終われば彼は亡命する。きっと戦場に再び行くなどありえない。そもそもシュタール軍では亡き者……否、廃棄兵器とされたに違いない。
 人であって人でない。死せる時は人として天に行けるように彼の心に潜った時に祈ったが、それがしかと果たされるかなんてアルマには分からなかった。だが、そう信じる他無い。彼にいつか本当の最期の日が訪れたら星になれれば良い。出来れば人と同じように──。妙に心苦しく思い、アルマは下唇を噛んだ。
 
 その後、カサンドラは直ぐに帰って行った。
 昼食でも食べていかないかと母が誘ったが、彼女は丁重に断り家を出た。一応見送ってやりなさいと母に言われて、アルマは彼女と二人雪原を歩む。

「今は、休戦中ですか」

 当たり障りの無い事をくと、少し先を歩む彼女は頷き、後方のアルマをいちべつする。

「そうだよ。ただね、技術者はほぼ年中無休さ。ぼんやり過ごしていても、またも殺し合いの日々がじきに始まる。だからこそ備えねばならない」

 彼女はそう語ると、再び前を見た。

「ところでアルマさん。現在の戦況はどうなっているか知っているかい?」

「いいえ。劣勢で恐らく負けるだろうとは……随分と前にテオから……」

 そう答えれば彼女は深く頷いた。

「そう。あの子の言う通りさ。大戦は近い未来終結すると思うよ。私の予測では来年のうち、恐らく六月には終結するだろうね。三帝国が敗北して世界は大きく変わる」

 やはり軍人が〝敗北〟を口にするのは違和があった。だが、以前のような憤りは感じない。寧ろ、軍人が言うくらいなのだから、本当の事だろうと思えてしまう。アルマは黙ってカサンドラの言葉に耳を傾けた。

「テオファネスは寿命を迎えて死す筈だった。だから本音で言えば、私は亡命なんて頭に微塵も入れてなかった。だが、君が奇跡を起こした。羊舎に寄って彼を久しく見たが、見るからに侵食率が下がったね」

 身体を占める金属質な部分の事だろう。アルマがけば、カサンドラは静かに頷いた。

「……機甲マキナは機械工学と錬金術の複合で生産されるとは言うが、これは詳しい詳細も無い。機械産業が発展した今じゃ信じられんが、黒魔術に似た従属の呪いだ。つまり人に戻す術も無い。平均して二年程度の寿命で、寿命が近付く程に機械に肉体を食い潰され絶命する。それを君が救った。君はある筈も無かった彼の未来を創り出した」

 感謝しかない。と、付け添えたカサンドラの声は心なしか少し震えているように思えた。

「だから……今、私に出来る事は〝無かった筈の彼の未来〟を考える事だ。フェルゼンへ亡命させ、国籍を得て人権を与える事だ。だがその工作には未だ時間がかかる」

 霊峰の裏側とはいえ、現在国境は全てが厳重に警備されている。それはもう彼をここに運んだ時とは比にならない程。恐らくこれは戦後も続くだろう、通行するには審査も厳しいに違わない……。そう語り、彼女は振り返りアルマと向き合った。

「アルマさん、君には感謝している。そして心から申し訳無かった。どうか今少し、しがない軍人の我が儘に付き合い、私をどうか赦してくれないか?」

 そう言って彼女は深々とアルマに頭を下げた。
 軍人に頭を下げさせるなど、やはり尋常な光景でない。アルマは「顔を上げて下さい」と直ぐにカサンドラの肩を揺する。

「赦します。でもカサンドラさん、が狡いんですよ」

 ふて腐れるように言えば、彼女はようやく顔を上げ美しい笑みをアルマに向けた。
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