36 / 48
Chapter6.生の喜びと永遠の約束
6-2.賑やかな祝祭日
しおりを挟む
一週間後──アルマは碌に荷物も持たず大型の雪車に揺られていた。
雪車を引くのは二頭の馬。それを御する父は時折溌剌とした声を上げて手綱を握る。そんな父の後ろ姿を見つめつつアルマは幾度目になるかも分からぬため息を溢した。
氷点下の銀の世界だ。ため息さえも白々と色付く。それもその筈、年間のうち日照時間が最も短い今がヴィーゼンでは最も寒さが厳しいと言われる時だ。
しかしその割にあまり寒く感じないのは、やけに人口密度が高いからだろう。
アルマの両脇にはエーファとテオファネスの姿がある。もはや定員オーバーも良い所、いくら大型の雪車といえ五人も乗れば窮屈だった。
「ほらほら、アルマそんな顔しないで頂戴。折角のホリデーなんだから」
対面に座した母に言われてアルマは有耶無耶に頷いた。
──風邪が無事完治したと同時にホリデーがやってきた。それが今日だ。
今年の十二月は帰省する気が全く無かったが、様々な事がありすぎた所為でこの件を両親に言うのを忘れていた。
「今年は何日に帰るって来るのか」と母に問われたのはつい昨日。
「帰らない」と伝えたが……ホリデーの礼拝後、父が院長やゲルダに直談判して帰省の許可を取ってしまったのである。
テオファネスはどうするのか。それに帰省しないのは何も自分だけでない。エーファが良い例だ。この旨を訴えた所……「テオファネス君もその子も連れてきちゃえばいいじゃない」と母に軽い調子で言われてしまった。その結果、エーデルヴァイスの皆に口を揃えて「三人で行ってきなさい」との事。そして今に至るのである。
しかし、困ったのは彼の服だった。
彼は寝間着兼部屋着の患者衣とシュタール軍の兵士の服しか持っていない。家までの距離は短く、こんな雪の中で誰かとすれ違う事も無かろうが、それでもあの装いではあまりに目立ちすぎる。万が一見つかれば、大騒ぎに違わない。そんな事を伝えた所「こんな事もあろうかと」と、母に服を手渡された。
──長袖のシャツにサスペンダー付きのズボン。トラハットと呼ばれる男性の民族衣装だ。その上に厚手のフェルトのジャケットを纏った装いに彼は着替えたが、これが存外しっくりきた。つば付き帽子まで被ってしまえば、顔もはっきりと見えないので、顔さえ覗き込まねば田舎街の青年にしか見えやしない。
寸法もほぼぴったりだ。その所為もあって存外しっくりくる。
だが、この装いにアルマは見覚えがあった。どこだろう。と、考えて間もなく、自分が幼い頃に父が着ていた服だと気が付いた。しかしながら父は随分と横に広がっただろう。筋肉質で元々体格は良かったが……。雪車を御する父の背中を見つめつつ、そんな事をぼんやりと考えていれば、隣に座するテオファネスに声を掛けられた。
「寒くないか。完治したとはいえ本調子じゃないだろ?」
そう言って、彼は外套を脱ごうとするので、アルマは直ぐにそれを遮った。
「大丈夫、寧ろテオの方が……」
テオファネスは一度寿命を迎えた身だ。またも身体に不調を来す事を危惧したが、アルマの代わりに様子を見ていたエーファやアデリナ曰く、その後何事も無かったかのように元気に過ごしているそうだ。否、以前よりも快調らしい。それどころか目に見えて機械に侵された密度も減っており、黒く濁っていた左目の強膜も今では明度が高くなり薄い灰色になっている。
本当に大丈夫なのか……。まともに会ったのは、あれ以来今日が初めてだ。アルマがジッと彼を見つめるとテオファネスは不思議そうに小首を傾げる。
「どうした? そんなジッと見て……」
それもぎゅうぎゅう詰め状態。やたらと距離感も近く、覗き込まれるように見つめ返されたのでアルマの頬は一瞬にして赤みを帯びる。
「な、なんでもない……ただテオの身体の方心配……してただけで」
「全然大丈夫。アルマのお陰で絶好調。寧ろ身体が軽く感じるくらい……」
そんな事を彼が口走って間もなくだった。
「そうかそうか快調か。お前、雪車降りて走るか? 身体が軽いならいけるだろ。お前が重たい所為か、雪車が遅いもんでな」
僅かに振り返って父が悪戯っぽく言ったと同時だった。
「分かりました」
そう告げるなり、彼は跳ね上がるように走行中の雪車から飛び降りた。その瞬間、雪車は恐ろしい勢いで加速を始める。
「ちょ、ちょっとお父さん、悪ふざけしないで頂戴! あの子はとても真面目よ。本当に降りちゃったじゃない!」
母は慌てて捲し立て、アルマはエーファが吹き飛ばされないように抱き寄せた。
「ちょっとお父さん、流石にスピード出しすぎでしょ!」
「馬鹿言え、後ろ見てみろよ!」
豪快な笑いを溢しつつ父が言う。そうして母とエーファ三人で振り返ると、恐ろしい勢いで雪車を追い掛けるテオファネスの姿が映った。
……機甲な時点で握力が強いなどの身体能力の高さは想像出来たが、まさか脚まで早いと思うまい。それもかなり、浸食部位が減ったというのに。アルマはあんぐりと口を開けて何度も目をしばたたく。その隣でエーファもアルマと同じ表情を浮かべていた。
「すげぇな……ありゃ。こりゃ干し草を運ぶだの牧羊犬の代わりになりそうだな……」
──折角だ。帰ってから色々手伝って貰うか。なんて父は笑い飛ばし、雪車は更に加速した。
雪車を引くのは二頭の馬。それを御する父は時折溌剌とした声を上げて手綱を握る。そんな父の後ろ姿を見つめつつアルマは幾度目になるかも分からぬため息を溢した。
氷点下の銀の世界だ。ため息さえも白々と色付く。それもその筈、年間のうち日照時間が最も短い今がヴィーゼンでは最も寒さが厳しいと言われる時だ。
しかしその割にあまり寒く感じないのは、やけに人口密度が高いからだろう。
アルマの両脇にはエーファとテオファネスの姿がある。もはや定員オーバーも良い所、いくら大型の雪車といえ五人も乗れば窮屈だった。
「ほらほら、アルマそんな顔しないで頂戴。折角のホリデーなんだから」
対面に座した母に言われてアルマは有耶無耶に頷いた。
──風邪が無事完治したと同時にホリデーがやってきた。それが今日だ。
今年の十二月は帰省する気が全く無かったが、様々な事がありすぎた所為でこの件を両親に言うのを忘れていた。
「今年は何日に帰るって来るのか」と母に問われたのはつい昨日。
「帰らない」と伝えたが……ホリデーの礼拝後、父が院長やゲルダに直談判して帰省の許可を取ってしまったのである。
テオファネスはどうするのか。それに帰省しないのは何も自分だけでない。エーファが良い例だ。この旨を訴えた所……「テオファネス君もその子も連れてきちゃえばいいじゃない」と母に軽い調子で言われてしまった。その結果、エーデルヴァイスの皆に口を揃えて「三人で行ってきなさい」との事。そして今に至るのである。
しかし、困ったのは彼の服だった。
彼は寝間着兼部屋着の患者衣とシュタール軍の兵士の服しか持っていない。家までの距離は短く、こんな雪の中で誰かとすれ違う事も無かろうが、それでもあの装いではあまりに目立ちすぎる。万が一見つかれば、大騒ぎに違わない。そんな事を伝えた所「こんな事もあろうかと」と、母に服を手渡された。
──長袖のシャツにサスペンダー付きのズボン。トラハットと呼ばれる男性の民族衣装だ。その上に厚手のフェルトのジャケットを纏った装いに彼は着替えたが、これが存外しっくりきた。つば付き帽子まで被ってしまえば、顔もはっきりと見えないので、顔さえ覗き込まねば田舎街の青年にしか見えやしない。
寸法もほぼぴったりだ。その所為もあって存外しっくりくる。
だが、この装いにアルマは見覚えがあった。どこだろう。と、考えて間もなく、自分が幼い頃に父が着ていた服だと気が付いた。しかしながら父は随分と横に広がっただろう。筋肉質で元々体格は良かったが……。雪車を御する父の背中を見つめつつ、そんな事をぼんやりと考えていれば、隣に座するテオファネスに声を掛けられた。
「寒くないか。完治したとはいえ本調子じゃないだろ?」
そう言って、彼は外套を脱ごうとするので、アルマは直ぐにそれを遮った。
「大丈夫、寧ろテオの方が……」
テオファネスは一度寿命を迎えた身だ。またも身体に不調を来す事を危惧したが、アルマの代わりに様子を見ていたエーファやアデリナ曰く、その後何事も無かったかのように元気に過ごしているそうだ。否、以前よりも快調らしい。それどころか目に見えて機械に侵された密度も減っており、黒く濁っていた左目の強膜も今では明度が高くなり薄い灰色になっている。
本当に大丈夫なのか……。まともに会ったのは、あれ以来今日が初めてだ。アルマがジッと彼を見つめるとテオファネスは不思議そうに小首を傾げる。
「どうした? そんなジッと見て……」
それもぎゅうぎゅう詰め状態。やたらと距離感も近く、覗き込まれるように見つめ返されたのでアルマの頬は一瞬にして赤みを帯びる。
「な、なんでもない……ただテオの身体の方心配……してただけで」
「全然大丈夫。アルマのお陰で絶好調。寧ろ身体が軽く感じるくらい……」
そんな事を彼が口走って間もなくだった。
「そうかそうか快調か。お前、雪車降りて走るか? 身体が軽いならいけるだろ。お前が重たい所為か、雪車が遅いもんでな」
僅かに振り返って父が悪戯っぽく言ったと同時だった。
「分かりました」
そう告げるなり、彼は跳ね上がるように走行中の雪車から飛び降りた。その瞬間、雪車は恐ろしい勢いで加速を始める。
「ちょ、ちょっとお父さん、悪ふざけしないで頂戴! あの子はとても真面目よ。本当に降りちゃったじゃない!」
母は慌てて捲し立て、アルマはエーファが吹き飛ばされないように抱き寄せた。
「ちょっとお父さん、流石にスピード出しすぎでしょ!」
「馬鹿言え、後ろ見てみろよ!」
豪快な笑いを溢しつつ父が言う。そうして母とエーファ三人で振り返ると、恐ろしい勢いで雪車を追い掛けるテオファネスの姿が映った。
……機甲な時点で握力が強いなどの身体能力の高さは想像出来たが、まさか脚まで早いと思うまい。それもかなり、浸食部位が減ったというのに。アルマはあんぐりと口を開けて何度も目をしばたたく。その隣でエーファもアルマと同じ表情を浮かべていた。
「すげぇな……ありゃ。こりゃ干し草を運ぶだの牧羊犬の代わりになりそうだな……」
──折角だ。帰ってから色々手伝って貰うか。なんて父は笑い飛ばし、雪車は更に加速した。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
氷麗の騎士は私にだけ甘く微笑む
矢口愛留
恋愛
ミアの婚約者ウィリアムは、これまで常に冷たい態度を取っていた。
しかし、ある日突然、ウィリアムはミアに対する態度をがらりと変え、熱烈に愛情を伝えてくるようになった。
彼は、ミアが呪いで目を覚まさなくなってしまう三年後の未来からタイムリープしてきたのである。
ウィリアムは、ミアへの想いが伝わらずすれ違ってしまったことを後悔して、今回の人生ではミアを全力で愛し、守ることを誓った。
最初は不気味がっていたミアも、徐々にウィリアムに好意を抱き始める。
また、ミアには大きな秘密があった。
逆行前には発現しなかったが、ミアには聖女としての能力が秘められていたのだ。
ウィリアムと仲を深めるにつれて、ミアの能力は開花していく。
そして二人は、次第に逆行前の未来で起きた事件の真相、そして隠されていた過去の秘密に近付いていき――。
*カクヨム、小説家になろう、Nolaノベルにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる