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第5章
2話 農業視察団への参加 前編
しおりを挟む春告月の中旬。
あともう少しで刺繍が完成する、という頃になって、ニアージュは「ひとつ相談したい事がある」との理由から、アルマソンを介してアドラシオンの私室に呼ばれた。
「旦那様、私です。入ってよろしいですか?」
「! ああ、勿論だ。入ってくれ」
「失礼します。それで、相談したい事とはなんでしょうか?」
「単刀直入に言う。実は萌芽月に、幾つかの上位貴族達が農業視察団を結成して、隣国へ出発する事になっているんだ。
視察期間は、上旬から中旬にかけてとやや長くなるが、我が領地の主要産業も農業であるし、俺もその視察団に参加するつもりなんだが、君も一緒にどうだろうかと思ってな」
「え? 萌芽月って、来月じゃないですか。しかも視察期間が上旬から中旬にかけて、って……。
……もしかして旦那様、先週マルグリット様の手紙にあった、ごく親しい方々だけ呼んで旦那様の誕生日パーティーを開くつもりだ、という話が嫌で、そんな事を仰られてるんじゃ……」
「……。別に、そんな事はない」
「……。そんな風に、思い切り私から視線を逸らしながら仰られても、微塵も説得力がありませんよ?」
「ぐ……! ……はぁあ……。やはり、君を誤魔化すのは無理か……」
「今のような露骨な態度を取っておいて、誤魔化すおつもりがあったんですか……」
仕事用の執務机に座ったままガックリと項垂れ、いっそ大袈裟なほどのため息を漏らすアドラシオンに、ニアージュは両手を腰に当てながら呆れ交じりの言葉を零す。
「し、仕方ないだろう。君に思惑を根こそぎ看破されて、動揺してしまったんだ」
「動揺したからって今の態度はありませんよ。……そんなにまで、マルグリット様からのお誘いを蹴るのを後ろめたく思ってるのに、公式な用事を作ってでも出席をキャンセルしたがるとなると、国王陛下絡みですね?」
「……その通りだ……」
アドラシオンは項垂れたまま口を開いた。
「母上が、俺の誕生日を祝おうと思って下さっている事自体は嬉しいんだ。だが、母上の主催となれば、誕生日会の会場は王宮になる可能性が高いし、仮に王宮から離れた場所で行うとしても、精々離宮が限界。そうなれば、間違いなく父上も顔を出す。
父上は、昔から無神経で図々しく、挙句母上の言動を自分のいいように解釈しがちな方だからな。母上に呼ばれていなくても、勝手にパーティー会場にやって来るのは目に見えている……!」
「……以前の来訪未遂の時から、無神経な方なのは各方面から話を聞いて分かってましたが、そこまでアレなんですか、国王陛下は……。
つまり旦那様は国王陛下が、もしマルグリット様が「来るな」と言っても、そのお言葉を当たり前のように右から左へ聞き流した挙句、そのご自身の行いを悪びれるどころか、何が悪いのかさえ理解されないような、大変タチの悪いお方だと仰りたいんですね?」
「そう! そうなんだよ! まさに君が今言った通りの方なんだ! 父上は! あの無神経さと口さがのない性格だけは、何年経っても理解できない!
正直国主という立場と母上の存在がなければ、早々に後ろから刺されて死んでいてもおかしくなかったぞ!」
「確か、前にアルマソンも、似たような事言ってましたよ……。旦那様って、昔はそんな方とひとつ屋根の下で暮らしてたんですよね……。想像するだにストレスでハゲそう……」
執務机を両手の拳で叩きながら、悲痛な声と共に積年の愚痴を全力で吐露するアドラシオン。
ニアージュは、ただただ憐憫の情を一層深めるばかりだ。
「ああ……。だが、そんな人物でも父親だ。本来であれば、正面からきちんと向き合って話をして、少しでも相互理解を深めねばならない相手だというのに……。そんな事さえできない、逃げてばかりの不甲斐ない共犯者ですまない……」
「……いいえ、そんなにご自分を責めないで下さい。悲しい事ですが、この世の中には同じ言語を使う同じ人間のはずなのに、なんでか全然言葉が通じなくて、膝をつき合わせて話す事になんら価値を見出せない人種が、必ず一定数いるものなんです」
ニアージュは、打ちひしがれるアドラシオンに近付き、静かな口調で諭すように言う。
「そんな相手と無理して向き合っていると、最終的に精神を病んでしまう事もままありますから、無理をしてはいけません。
それに、逃げる事だって立派な戦術です。無謀な突撃をして無駄に命を散らすなんて、あってはいけない事ですよ」
「ニア……」
「とはいえ、善意と厚意、我が子への愛情から、誕生日パーティーを開こうと仰って下さったマルグリット様に、そんな事を馬鹿正直に話す訳にはいきませんから、やはり今回は視察団への参加を理由にして、穏便にお断りするより他ないでしょうね。
私もグレイシア様への手紙の返信に、それとなく旦那様をフォローするような事を書いておきます」
「……ありがとう、ニア……。何だか俺は、君に色々と教えられて、助けられてばかりいるような気がするな」
「ふふっ、そんな事ありませんよ。私だって今日この日まで、旦那様に教えてもらった事や助けてもらった事が、山ほどあります」
「はは、そうだろうか。そうだといいな。……それでその、君は視察団に参加してくれるんだろうか?」
「ええ勿論。2人で、お隣さんの農業技術や知識をたくさん学んできましょう。領地と領民達の明るい未来の為に!」
「……ああ!」
屈託のない笑顔で言うニアージュに、アドラシオンもしっかりと顔を上げ、微笑みながらうなづいた。
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