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第5章
3話 農業視察団への参加 中編
しおりを挟むアドラシオンがマルグリット宛に急ぎ出した、誕生日パーティー開催の中止を願い出る手紙への返信は、3日と経たないうちにエフォール公爵家に届いた。
時期的に視察団の出立時期が近い為、マルグリットが気を遣ってくれたのだと思われる。
マルグリットからの手紙にはまず、「領主として、領民の未来を慮った仕事をするのは大変よい事です。視察先で学ぶべき事をしっかりと学んでくるように」と書かれていた。
また、手紙の中に否定的な文言は一切見受けられず、アドラシオンとしては安堵の一言だ。
だがその後に、「どうせあの人はあなたの誕生日を憶えていないから、あまり気を揉まなくても大丈夫よ。でも念の為、来年の誕生日にはそちらへお邪魔させてもらって、私とあなた、それからニアージュだけで、ささやかなパーティーを開きましょうか」とも書かれていた。
どうやら、初めから誕生日パーティーに出席するのを厭う理由を、完全に見透かされていたようだと知ったアドラシオンは、ただ苦笑いを浮かべるばかりである。
それから。
手紙の追伸に、「あなたの立場と心情を思いやり、あなたの味方をしてくれる心優しい妻を得られた事を、天の神々と精霊様に感謝するのですよ」…と書かれているのを見て、わずかばかり苦い感情が湧いてくる。
彼女が本当の自分の妻であってくれたなら、どれだけ喜ばしく幸福な事であっただろうか、と。
「――いや。いつまでも苦い気持ちを内側に抱えるだけで、このままずっと何もせずにいるのではあまりに情けない。状況を変えたいなら、自ら動かなければ駄目だ」
アドラシオンは静かに独り言ち、執務机から立ち上がった。
「まずは、彼女に好意を持ってもらえるように努力する。そして、少しずつ距離を縮めていく。そう、まずはそこからだ……!」
そう。ただ心の中に想いを秘めるばかりでは、何も伝わらないし、何も始まらない。
望む未来を手繰り寄せる為には、能動的な立ち回りが必須である。
「……まあ、もし振られてしまったとしても、彼女は優しいし思いやりのある人だ。手酷い事は言われない。大丈夫、それが分かっているだけでだいぶ気が楽じゃないか……」
しかしながら、生来の慎重な性格と、かつての騒動で負った心の傷が未だ完全には癒えていない今のアドラシオンは、傍から見れば、まだまだ後ろ向きな思考から脱却し切れていなかった。
更にそこから時は流れ、萌芽月の上旬。
ニアージュとアドラシオンは、王都郊外にあるバラト侯爵家の別荘にやって来ていた。
とはいえ、別段バラト侯爵家の別荘に用がある訳ではない。
単純に、今回の農業視察団の立案と参加人員の募集を行ったのが、他ならぬバラト侯爵であり、バラト侯爵が視察団への参加者が出立直前に集合する場所に、この別荘を指定した為、ここへやって来たのだ。
アドラシオン曰く、バラト侯爵の領地は、元々農業よりも商業や、二次産業を営む領民が多数を占めているのだが、数年前、自領に抱えていたとある紡績場が後継者問題によって閉鎖の憂き目に遭い、今もその跡地が丸々空いたままである事から、その土地を農業地に転用しようとしているのだという。
また、その近くにある平野の一部を併せて開墾する事で、領内の食料自給率を底上げし、いずれ有事の際の為の備蓄を、多少なりとも増やしていければ、と考えているらしい。
しかしながら、バラト侯爵領の領民達の中に、農業に関して多少の知識を持つ者はいても、開墾作業に明るく、また、その陣頭指揮を取れるだけの技量を持つ者は存在しない。
つまり、農地に作物を植えて食料を増やすという話以前に、開墾作業を開始する所にまで到達できていない、という訳である。
その問題点を解消する為、バラト侯爵は現王の許可を得て、ここ100年のうちに自国の土地を大幅に切り開き、農業大国としての名を内外へ大きく知らしめるに至った隣国――ザルツ・ウィキヌス帝国に親書を送り、帝国領内に視察へ行く為の許可取りをした、という話だった。
「成程……。バラト侯爵は目先の事ばかりでなく、領地の未来の更にその先を見据えていらっしゃるのですね。素晴らしいです」
「そういう事だ。……流石はバラト侯爵、視野を広く持っておいでだ。俺も同じ領主として見習わねばなるまい」
「そうですね。私ももっと知識を蓄えないと……」
「――いえ。私は領民達と話し合い、彼らの方策を助けているに過ぎません。かような手放しの賛辞を頂戴しては、いささか座りが悪うございますな」
「! バラト侯爵。お出でになられていたのか」
「お久し振りです、バラト侯爵」
ニアージュとアドラシオンが真剣な面持ちで話し合っている所に、バラト侯爵が苦笑しながらやって来た。アドラシオンは公爵としてバラト侯爵に略礼での挨拶を行い、ニアージュはカーテシーでバラト侯爵に挨拶する。
「エフォール公爵閣下、エフォール公爵夫人、このたびは視察団への参加をご希望頂きました事、大変嬉しく思っております」
「こちらこそ、視察団への参加を許可して頂けた事、大変嬉しく思う。互いの領地の先をよりよいものとする為にも、よき学びがある事を願っている」
「はい、全く持ってその通りでございますな、閣下」
バラト侯爵はニアージュ達の挨拶に応え、アドラシオンとの会話に興じ始める。
だがバラト侯爵は、以前に対面した時より目に見えて体重が落ち、幾分やつれているようにも見えた。
もしや、件の修道院の放火事件で娘を失った事が、多少なりとも彼の心に影となって落ち、身体にもその影響が表れているのだろうか。
(そうよね。外から見ればやらかしまくりな非常識令嬢でも、バラト侯爵にとっては血を分けた我が子なんだもの。先立たれれば悲しいし、辛く思うのも当然よね。
でも……だとしても私からこの人に言える事なんて何もないし、そもそもそんな権利もない。というか、ここで下手な物言いをしたら、却ってバラト侯爵の心に余計な負担を与えてしまうかも。きっとここは、『何も言わない』事が最適解なんでしょうね)
ニアージュは内心で独り言ちる。
遠目に、バラト侯爵が用意したとおぼしき長距離移動用の馬車が数台、こちらへ近づいてきているのが見えた。
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