57 / 71
8.16年目のKiss、あなたが私を選ぶ理由
3
しおりを挟む「新しい生活について動き出すまで、この子たちをお願いできませんか」
「あら。私はそのつもりでいましたよ? 明日転校するわけにもいかないでしょう? 私は孫と暮らせるなんて嬉しい限りだから、急がず決めてくれていいわ。札幌のご両親とも話し合わなければいけないでしょう?」
「ありがとうございます」
結局のところ、東京で頼れるのは義母だけだ。
二十年も東京で暮らしてきたけれど、大学時代の友達は就職や結婚で住まいはバラバラだし、社会人になってからの友達はこんな時に頼れるほど親しくなかった。
結婚してからは、表面上のママ友付き合いばかり。
今更だが、必死に生きていたんだなと思う。
善は急げで、お義母さんと吉川さん、子供たちで荷物を取りにマンションへ行くことになった。
その間に、私は匡に連れられてとあるマンションに来た。
義母宅から区を跨いでも車で二十分ほどの場所にある、十階建てで、黒の外壁は高級感が漂う。
単身者向けに見えるが、奥行きがわからない。
タクシーの中で聞いたところによると、トーウンコーポレーションから与えられている部屋。
「ワンフロアにワンルームで、どの部屋もトーウンの関係者が利用している。長期的な目で見ると、ホテルに滞在するよりも安いし、まぁ、会社の資産運用の面からしても都合がいいんだよ」
ふかふかの絨毯に、ピカピカに磨かれて鏡のように私たちの姿を映しそうな室内の壁は、義母宅の応接室のテーブルによく似ている。
「ねぇ、社外監査役って?」
「ああ、それは――」
「――っていうか、どうして東京に来たの?」
「え? それは――」
「――しかも、家族になりたいとか――」
「――ストップ! 落ち着け」
まくし立てる私を制止した匡は、エレベーターの階数表示のパネルをじっと見上げた。
「俺の部屋、八階だから」
「うん?」
「ちゃんと憶えろ」
階数ボタンは、確かに八階が点灯している。
「東京に残るなら、ここを使え」
「え?」
「子供の学校の手続きとかすぐにできないだろ?」
「うん……」
「あと、親権を移すのに弁護士が必要なら俺が手配するから」
「え? いいよ。住む場所も自分で――」
「――いいから!」
珍しく強い口調でそう言った匡は、やっぱりパネルを見上げている。というより、睨みつけている。
怒っているように感じる。
「匡、なんか――」
ポーンッと優しい電子音と共に扉が開く。
同時に、私は匡に肩を抱かれ、引きずられるようにしてエレベーターを降りた。
五メートルほど先の正面には玄関ドアがあり、カードキーをかざすことで開錠された。
「入って」
押し込まれるように部屋に入る。
当然だが室内は静か。
梅雨の蒸した熱気はさらりと吹き流されて、瞬く間に涼しい空気に包まれた。
バタンとドアが閉まると同時に、ウィーンとオートロック機能により施錠されたのがわかる。
「千恵」
背後から抱きしめられ、私の身体はまた熱気に包まれる。
「良かった……」
心から安心したような囁きが耳朶をくすぐる。
「匡……」
「あんな電話で終われるわけないだろ」
冷静になってみれば、随分酷いことをした。
十六年前。大事なことを何も話してもらえないまま別れることになって、自分がどんなに傷つき、怒り、引きずってきたかを思えば、すぐには無理でもちゃんと説明すべきだった。
「ごめん……」
私の胸の前でクロスされた匡の腕に、自分の手を添える。
「ごめん」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
163
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる