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第三章

91 レオンハルトの秘密

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「君が俺のことを避けてくれた理由はよくわかった」
 メインである肉を丁寧に切り分けて食べ終えた後、レオンハルトはそう言った。
「誠に申し訳ございませんでした」
 ミモザは先ほどからずっと額を机に擦り付けるようにして平身低頭したままである。
 その頭の周囲には手付かずの食事がずらりと並べられていた。
 食事を運んでくるボーイはさすがに一流店なだけあって、そのような不審な状態のミモザを見ても無表情でレオンハルトの食べ終えた皿を片付けて去っていく。
「まぁ、そろそろ顔を上げて食べなさい」
 レオンハルトの許しを得てミモザはゆっくりと顔を上げた。
 レオンハルトはにっこりと微笑む。
「自己申告したことに免じて貸し一つで許してやろう」
「なんでもお申し付けください」
 笑顔がとにかく怖い。
 いっそ不機嫌な顔をされた方がまだマシである。
 ミモザはふるふると身を震わせながら再び頭を下げた。
 レオンハルトはそんなミモザの様子に意地悪く口を吊り上げる。
「そうだな……、では、今度君の時間をもらおうか。
その日一日、俺の言うことを聞け」
「はい」
 正直いつもとそこまで変わらない気もするが、いつもは言わない無理難題をふっかけられるのかも知れない。
 しかしそうだとしてもそれを断ることはミモザには出来なかった。
 完全にミモザが悪いからである。
 再びレオンハルトは「顔を上げろ」と命じた。
「食事を取りなさい。せっかくのディナーだ」
「はい」
 ミモザは顔を上げると、気を落ち着かせるためにまずは水を飲んだ。
 正直味がする気はしないが、食べろと言われている以上食べないわけにはいかない。
 気まずい沈黙の中、ミモザはナイフとフォークを手に取る。
 とてつもない高級店のとてつもなく美味しいはずの食事は、砂を噛み締めるようになんの味もしなかった。
「それで? 俺の家の離れの話だったな」
「あの、お話ししたくなかったら無理には……」
 恐縮するミモザに彼は首を横に振る。
「いや、別に説明が面倒だっただけでな。大したことはないんだ」
 その言葉にミモザは、なんだと胸を撫で下ろす。変に意味深に隠されているから気にしてしまったが、やはりオルタンシアの時と同様、たいした秘密ではなかったのだとーー、
「あそこには父親が住んでいるんだ」
 とんでもない言葉が飛び出してきた。
「ち、父親?」
 思わず口に含んでいた食事が変なところに入ってミモザはむせる。
「ああ、落ち着け、危ないな」
 いやいやいや、とミモザは首を横に振る。
 レオンハルトの父親といえば、レオンハルトのことを長年虐待し、右目に酷い火傷を負わせた張本人である。
「大したことでは?」
 やっとの思いでミモザはそう言った。
「そうか?」
 レオンハルトはきょとんと首を傾げる。
 二人は顔を見合わせた。
「……な、なんでそんなことを?」
 聞くのが怖いが聞かないことには話が始まらないので恐る恐るミモザは尋ねる。いよいよ食事をする気にはなれず、ナイフとフォークは完全に皿へと置いた。
「いやなに、聖騎士になって身を立てた頃に復讐でもしてやろうかと思ってな」
 レオンハルトはワインに舌鼓を打ちながらのんびりと話す。
「好きなだけ酒と飯を与えて飼い殺しにしたんだ。自堕落な生活をさせて、貶めてやろうかと思ったんだが……」
 そこで彼は憂鬱そうに頬杖をついた。
「予想通り酒浸りになって人間としての尊厳も何もないような生き物に成り果てたんだが……、思ったより面白くなくてな。以来、様子も見ずに放置している」
 使用人に世話は焼かせているからどうやら生きてはいるようだが、とこともなげに言うレオンハルトに、
「追い出しましょう!」
 ミモザは拳を握って強く主張した。
「何故?」
「貴方の精神衛生上よろしくないからです!」
 それはもう、全てにおいていいはずがない。
 これがもしそうすることでレオンハルトが溜飲を下げて楽しんでいるというのなら話は違ってくるが、今の話を聞いている限り、ただの目の上のたんこぶになっているようにしか聞こえない。
 しかし彼は負担になっている自覚がないようで首をひねった。
「そうか?」
「そうです!」
 ミモザの言葉に彼はうーん、と考え込むようにうなる。ワインのグラスをくるくると回してその色を確かめた。
「しかし追い出すと言ってもなぁ、戻す場所もないし」
「それこそ病院なり施設なりにぶちこんだらいいでしょう、お金はあるんだから」
 ミモザははぁ、とため息をつく。
「適当な施設に放り込んで存在そのものを遠ざけたほうがいいです。それかもうちょっとちゃんと復讐してください」
 首を横に振る。
「中途半端が一番まずいです」
「まずいか」
「まずいですよ」
 何がまずいかというとレオンハルトの中で何も終わっていないのがまずい。消化不良のまま延々と腹の中にわだかまる恨みほど不健康なものもないだろう。
 恨みは報復をやり切るか忘れるかしか救いはないのだ。
「そうか」
 彼はふむ、と頷く。
「ならば適当な施設を探そう」
「そうしてください」
 はぁ、とミモザはため息を吐いた。
(なんだかとんでもない話が出てきたな)
 びっくりどころの騒ぎではない。
 前々から薄々思ってはいたが、レオンハルトは自身の痛みに鈍感な傾向がある。そうすることで自身の心を守っているのかも知れないが、傷を傷と認識しないというのはすなわち治療や自身を労わる行動が伴わないということだから厄介だ。
 いつまでも傷口をむき出しにして血を流したままにされても困ってしまう。
「もう少し、自分のことを大切にしましょうね」
 思わず幼子に言って聞かせるようにミモザは言った。それにレオンハルトはわずかに目を見張る。
 しかしすぐにふっとその目元を和らげて微笑んだ。
「しているつもりなんだが」
「全然足りてないです」
 のんきな様子のレオンハルトを、ミモザはじっとりと睨んだ。

「それでは、お父様は当施設で確かに預からせていただきます。施設までご一緒なさらなくて大丈夫ですか?」
 施設の職員の質問に
「ああ」
 とレオンハルトは軽く頷いた。
 ミモザに言われて一緒に確認した離れの中には、使用人に世話を任せていたため体だけは清潔な年老いた老骨がベッドに力無く寝そべっていた。
 最後に見た時はまだ贅肉がついていて、それなりに口もきけたものだったが、今はもはや見る影もない。おそらくはろくに運動をしない自堕落な生活と酒のせいだろう。まだ40か50かという年齢にも関わらず足は萎えて筋力もなく年齢以上に老いている。当時も記憶障害が見られ始めてはいたが、今はそれどころか目の前の物すら認識しているのかどうかも怪しい始末だ。
 自己管理ができない人間に好きな物を求めるだけ与え続けるとこうなるのだな、とレオンハルトはいっそ感心した。
「哀れなものだなぁ」
 しげしげと間近で眺めても何も言わず、レオンハルトに反応も示さない枯れ木のような男に、思わず呟く。
 自分の父親はこんなに小さいものだったのか、とぼんやりと思った。
「同情しているのですか?」
 いつかと同じようにミモザが聞いてきた。その欠片もレオンハルトが同情しているとは思っていない表情に苦笑する。
 こういう時、本当ならば嘘でも哀れんで見せる方が外聞が良いのだ。しかしそれはレオンハルトの本心ではないし、彼女はそれを咎めないだろうという確信があった。
「いや?」
 レオンハルトは笑う。
「せいせいした」
 こうしてどうしようもなく惨めで自分一人ではとても生きてはいけない様子の男を見て、初めてレオンハルトは満足した心地がした。
「もっと早くに来れば良かったな」
 そう言いつつも、きっとミモザと一緒でなければ来なかっただろうなとも思う。
 きっとレオンハルトは、この男が幸福なままなのではないかと、それを見てしまうのが怖かったのだ。
 だから一人では確認する気が起きず、ずっと放ったらかしていた。
 そんなレオンハルトにミモザは唇を尖らせた。
「そうですよ、もう、放置なんかして」
 彼女は腰に手を当てて言った。
「ちゃんと家の中は整理してください」
「すまなかった」
 その部屋を散らかした子どもを叱るような口調に、レオンハルトは愉快げに口元を緩める。
 何も恐れるほどのことではなく、その程度のことだったのだ。
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