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第一部『悪魔と人』

蜷川大輔の場合ーその②

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「……私にあなたの護衛をしろ……具体的に述べるとそういう事ですか?」

文室千凛は来客用の茶室で茶を立てながら言った。今の彼女の姿は当然ともいえるが和服姿であった。着付けといい立ち居振る舞いといい彼女の動きは完璧であった。側から見れば若い茶道の先生だと思ったかもしれない。
千凛は茶筅と呼ばれる茶を立てるための道具でお椀の中の抹茶を立てていく。それから茶道の動作に従って茶碗を回し、来客に手渡す。
一方で来客の方も身に纏っている衣服こそ侘び寂びとは程遠いはずなのだが、きちりと両手を畳の上に揃えて丁寧に頭を下げて、それから先程千凛が回したのと逆方向に茶碗を回してから茶を味わったのである。それから用意されたもので懐紙と呼ばれる紙で拭っていく。
それから茶碗を置くと、いつもの笑顔を浮かべて言った。

「そうなんだよぉ、あんただって最上真紀子の事は知ってるだろ?」

「えぇ、存じております」

千凛は背筋を伸ばし、両膝の上に手をくという茶道の手法を遵守しながらも表情だけは険しかった。

「あの女は生きていてはいけない女です。人の皮を被った寄生虫とでもいうべき存在でしょうか……とにかく、私はあいつが許せないのですッ!」

「ならさぁ、おれがそいつを殺してほしいって依頼したら受けてくれるかな?」

「……依頼が被る事になってしまいますが、それでよろしければ」

「……なら助かります」

大輔は冷血動物を思わせる様な笑いを浮かべた後に丁寧に頭を下げたのである。
そのまま二人は茶室を出て、彼女が経営する神社の中へと入っていく。
神社の中で彼は取り引きを交わされ、その中に彼が考案した計画の事を話し、取り引きでそれは了承されたのである。
その中に大輔はアドリブで思い付いたある計画を組み込んだ。

「じゃあさぁ、今度最上真紀子と接触する時にはおれの護衛をしてよ。おれ一人だけだとあいつに殺されそうでさ……」

こんな形で懇願すれば殺し屋を納得させるのには十分であった。
こうして大輔はあっさりとサタンの息子の一人を計画へと引き摺り込んだのである。
こうして彼女が天敵とする殺し屋を護衛として忍び込ませているので、真紀子としてはどうする事もできまい。
真紀子は大輔が考案した計画に乗る事を了承したのである。
去る間際に大輔は悔しそうに下唇を噛み締めている真紀子に口付けを交わしてキザな調子で言った。

「じゃあな真紀子ちゃん。その日は変な予定なんて入れないでちゃんと空けておいてよ」

「……わかりました。けど、あたしも一つだけ言っておきますよ」

「へぇ~例えばどんな事?」

大輔は軽い調子で真紀子に尋ね返す。
「それはこのままだとあんたが地獄に堕ちるかもって事ですよ。可哀想に!」

「おれが地獄に?まさか」

「大抵の博打だとあんたみたいなタイプが大体損をするんです。あたしのパーティーの出資者や参加者の中でも下手な事業に手を出して落ちぶれた人はいましたよ」

「でもそれって僅か二ヶ月かそこらの話でしょ?おれは大丈夫だよ、なにせ明治の頃から続く大銀行の御曹司だし、幼少期から先の先を見通し、人の器を見抜く力を備え付けられてこられたからね、成り上がりのおっさんたちとおれを一緒にしてもらったら困るよ。んで、そんなおれが地獄を見るとでも思うの?」

「……そりゃあご立派な事だが、あんたのその人を軽く見る性格を直さねーと、今にとんでもねー事になるぞ」

「おーこわ、じゃあなるべく直すようにしておくよ」

大輔は軽い調子で語っている事から真紀子のその警告を受け入れていない事はよくわかる。彼はそのまま手を振って『ゲルニュート』を後にした。彼はそのままゲレンデベンツに乗り込むと、そのまま『ギンガ』の本社へと向かっていく。
目的は『ギンガ』の社長である二本松秀明である。今をときめくIT企業の社長が実はこのゲームの参加者であるサタンの息子であり同時に最上真紀子の腹違いの兄であるというのも大輔は知っていた。
大輔は会社の駐車場にゲレンデベンツを停めて社長室へと向かう。

社長室は広くて大きな部屋であったが、他の会社によく見られるような形式ばったものではなく、明るい壁紙と床の部屋の中に欧州式の棚にビーズソファーやスタンド式の灰皿だけが用意されていた。意外と簡素な部屋だ。大輔は部屋に入った時の感想がそれだった。
御曹司の息子で銀行総裁の父親を持つ彼は幼い頃から様々な会社に父親に連れられて、多くの会社の社長室に連れられた彼からしてもこれ程大きな社長室は見た事がない。
用意されたビーズソファーに腰を掛けながらその光景に圧倒されていた。
生憎と社長の秀明はオフィスで仕事をしており不在であるらしいので、彼は不満そうにビーズソファーに腰を掛けながら持ってきた煙草を取り出し、ライターで火をつけてそのまま楽しそうな表情を浮かべてふかしていく。

だが、いくら煙草をふかして待っていても二本松は戻ってこない。
やむを得ずに彼が携帯電話を開き、そこに入れていたゲームアプリで遊ぼうかと思っていた時だ。
ようやく社長室の扉が開き、二本松社長が姿を見せた。
彼は明るい声を出して出迎えたのであった。

「遅かったねぇ~しっかし、おたくの会社は売れてるからいいけど、他所の会社だと考えられないよ、大銀行の御曹司をここまで待たせるなんてさ」

「よく言うぜ、昨日の夜の電話が正しけりゃあ用事は例のゲームだったはずだよな?会社とはなんの関係もない用件だったはずだ」

「まぁまぁ、落ち着きなって、ここは同じ学生同士親睦を深め合ってから話そうよ」

と、大輔は自身の懐から煙草の入った箱を取り出し、その一本を取り出しながら言った。
秀明は当初こそこの申し出を突っぱねようとしたのだが、困った事に彼も煙草好きである。歳の離れた腹違いの弟と交流を始めるようになってからは殆ど吸わなくなっていたが、こうも露骨に見せつけられては吸いたくなるというものだ。
彼は大輔から渡された煙草を手に取り口に咥える。
「点けてやるよ」と、大輔は自ら立ち上がって秀明の煙草に火を点けたのである。お互いに煙草を咥えたまま二人は会話を始めていく。

「んで、サタンの息子の一人に何の用だ?」

「何の用かって?そりゃあ、お前さん……例のゲーム以外の何があるって言いたいんだい?」

「まどろっこしいな、ビジネスにおいてそういう態度は嫌われるんだぜ」

「日本だと好まれた筈だけどなぁ~」

「他所はどうか知らんが、おれの会社じゃ欧米基準だ」

「だが、おれはあんたの会社の社員じゃあない」

「じゃあ、おれがそういう態度が嫌いって事にしておいてくれ……とにかくこの場で話を円滑に進めたいんだったらそういう態度はやめてくれないか」

「分かったよ、わがままな奴だな……じゃあ単刀直入にいくぜ、おれは今度増えすぎたサタンの息子たちを一斉に減らす一大プロジェクトを企画してんだよ」

「一大プロジェクトだと?」

「そうだよ、開催地は郊外の廃ビル……そこならば思いっきりやれる」

「おれには無関係の話だ」

「おっと、意外とそうでもないんじゃあないの?」

大輔の目が怪しく光る。

「どういう意味だ?」

秀明が突っかかる。

「あんたは確か腹違いの妹に脅されて、いかがわしいパーティーに参加してたよな?それに弟くんとも関わってる。知ってるよ、あんたがこっそりと弟くんやその家族には内緒でその家を援助してるのも」

秀明は拳を強く握り締めた。白い血管が見えるまでに強く握っていたので向こうにもバレてしまったかもしれない。
だが、秀明からすれば知った事ではない。憎悪の炎を宿らせた両目で大輔を強く睨んだ。
大輔はそれを見てわざとらしく肩をすくませて言った。

「おお、こわ!おれを脅すのはやっぱり兄妹譲りだなぁ、そこんところ血は争えないや」

「黙れ、お前……志恩に何をするつもりだ?」

「何ってあの子もサタンの息子なんだったら出席させないとね。なにせこれは増えすぎたサタンの息子を減らすための計画なんだから」

「志恩に……弟に何かしてみやがれ!ただじゃあおかねぇぞ!」

今にも掴みかからんばかりに突っ掛かる秀明を見て、大輔はわざとらしい悲鳴を上げて社長室の扉の前へと避難した。

「おお、こわ……今日のあんたを見るに退散した方が得策かな」

「そうだろうなッ!さっさと失せやがれ!」

拳を突き出して追い出そうとする秀明に向かって大輔は相変わらず人をおちょくるような口調で言った。

「じゃあ、今日のところはおれ帰るけど、この後に弟くんの家を尋ねようと思ってるんだ。あんたは参加しなさそうだし、あんたがあの怖いお姉ちゃんのパーティーに参加してる事を告げてあげるね」

その一言は秀明にとっては銃口を突きつけられたに等しい言葉であった。
その言葉を聞いて断る事などできない。こうして、大輔は乱闘に参加する事を了承させたのである。
大輔は上機嫌でゲレンデベンツを乗り回しながら志恩の家へと向かう。
家に乗り込む際の口実としては銀行の新しいカードや口座を勧めるというものでいいだろう。
志恩とはその後に接触すればよいのだ。
そこでちょっとした心理戦を仕掛ければすぐに落ちてしまうだろう。
大輔は泣きそうになった顔をした少年を想像して思わず口元を緩ませた。
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