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オメガだけど、やられてたまるか

シーサイド・メイヘム(2)

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「おまえは、山王寺先生の美術品を根こそぎ盗んだ泥棒と共犯ぐるなんだろう?」

 頭がぐらぐら揺れている。目がかすむ。聞き覚えのない、妙に甲高い男の声だけが聞こえてくる。

「その泥棒は何者だ? 今どこにいる? それさえ吐けば、おまえは見逃してやってもいい」
「……何の話だかわかんねーよ」

 朦朧とした意識の中で、桃真は反射的に言い返した。とたんに、みぞおちに何か固い物――感触からすると、たぶん革靴の爪先――が激しく叩き込まれ、その痛みで意識がはっきりした。

 コンクリートの床の上に、鉄柱にもたれかかるようにして座り込んでいる。
 その鉄柱に後ろ手に縛りつけられている格好だ。

 頭がズキズキ痛むのは、どうやら連れ去られる際に殴られたらしい。

 とうに日が暮れたらしく、辺りは真っ暗だった。すぐ近くに金属製の作業台らしき物があり、その上に置かれているアウトドア用ランプが唯一の光源だった。錆びついた製造ライン、倒れた製造用ロボットなどからして、ここは廃工場だろう。かなりだだっ広い空間のようだ。声がよく響く。

 ランプの光の環の中で人影が動いた。
 やくざたちだった。人数が五人に増えていた。

 桃真を蹴りつけた甲高い声の男は、四十代ぐらいで、口髭を生やしており、地味な縦縞のスーツを着ていた。ビジネスマンに見えなくもなかったが、底冷えするほど冷たい瞳が男の暴力性を物語っている。

「そういうのは、俺の聞きたい返事じゃねえ」

 口髭男はカマキリを思わせる動きで小首をかしげた。

「盗まれた美術品は合計すると時価数十億円相当の代物だ。それと比べると、てめえみたいなチンピラの命なんか、鼻クソほどの重みしかねえってことはわかるだろう。俺たちはどんな手を使ってでもてめえの口を割らせろと命令を受けている」
「あー。山王寺さんには世話になったから、できることなら協力してやりたいんだが。本当、俺は何も知らねーんだ。俺はただのギャンブラーだよ。美術品なんか関係ない」

 桃真はへらへらと口先だけの返事をした。恐怖も緊張も態度に出さない、それがポーカープレイヤーというものだ。

 口髭男の眉間に怒気が集まってきた。

「てめえがお屋敷に来たのと泥棒野郎が侵入したのとは、タイミングがぴたり合ってる。それが偶然だとでも言うのか?」
「世の中いろいろな偶然があるさ。最初に配られた手札でいきなりロイヤルストレートフラッシュが揃ってることだってある。それと比べりゃ、驚くような偶然じゃない。そうだろ?」

 そのとき、それまで黙っていた大男の一人が口を開いた。

「鬼谷さん。そいつ、オメガですぜ。うなじに噛み痕がありました」
「……ふーん。それで?」
「俺、今『ライブ・セブン』持ってるんスよ」

 一瞬、辺りが静まりかえった。桃真は内心ぞっとし、それを顔に出さないよう必死で努力した。

 「ライブ・セブン」というのは裏社会で出回っている、抑制剤と真逆の効果を持つ非合法薬剤だ。オメガに強制的に発情期を起こさせる効果がある。もっぱら風俗産業で使われている。

 オメガのフェロモンにアルファやベータは抵抗できないため、発情期のオメガを風俗業に従事させることは法律で禁止されている。けれども、確実に金になる商売をやくざがあきらめるはずはない。場末の繁華街では、オメガに「ライブ・セブン」を飲ませて客寄せに使うのは、当たり前のようになっていた。

 ふと気づくと、床に座り込んだ桃真を見下ろす男たちの目の色が、さっきまでと変わっている。明らかに性的対象を眺める目つきだ。

「いい方法かもしれねえな。『下の口がゆるめば上の口も』ってやつか」

 鬼谷と呼ばれた口髭男が、考えにふける風でつぶやいた。

 大男たちが近寄ってきて、品定めをする目で桃真を眺め回した。

「きれいな顔してやがる。女でもここまできれいなのはなかなかいねえ」
「俺、こいつなら全然いけますよ、鬼谷さん。やりましょうよ」
「サカったオメガは理性がぶっ飛ぶ。キモチ良くしてやれば、こいつ、何でもしゃべるんじゃないですか?」

 下卑た視線と言葉が降り注いでくる。

 桃真は絶望という名の暗幕が目の前に下りてくるのを感じていた。

 ――〈赤足〉についての情報を、いくら殴られても吐かない自信はある。それどころか、嘘の情報で敵を混乱させることだってできるだろう。けれどもライブ・セブンを使われたら、性欲に支配された獣に堕ちる。敵の言う通り、快感でわけがわからなくなって、何でもしゃべってしまいそうだ。
 それに、こんな薄汚いやくざどもに体を自由にされるなんて、ぞっとする。

(俺はいつまで経ってもオメガという性から逃れられないのか? いつまでも、誰かの性欲のはけ口にされる、弱い存在なのか?)

「――なんだ? もう、へらず口はおしまいか?」

 不意に汗ばんだ手に頬をなでられ、桃真はびくりと肩を揺らした。鬼谷がしゃがみ込んで彼の顔をのぞき込んでいた。

「びびってんのか。へっ……そそるじゃねえか、その顔つき。心配すんな。かわいがってやるよ、よってたかってな。五対一だから休んでる暇はねえぜ。楽しいパーティの始まりだ」

 笑いながら、鬼谷は膝を伸ばし、立ち上がった。

 桃真は大きく息を吸い込んだ。これが最後のチャンスだ。思いつけ、とびっきりの嘘を。こいつらがライブ・セブンを使うのをやめようと思うぐらい美味しい偽のエサをちらつかせるんだ。
 一つひらめいたことがあった。そう言えば山王寺はS県の県議会議員を務めていたはずだ。S県といえば――!

 ベルトを外すカチャカチャという音。桃真の鼻先に、異臭を放つ肉塊が突きつけられた。明らかによく使い込まれているそれ・・は、赤黒くてらてらと光り、鬼谷の下腹部に突くぐらい勃起している。

「まず、口でサービスしてもらおうか」

 居丈高な口調で、鬼谷が命じた。

 周囲の大男たちの間から笑い声が起きた。

「あれ、鬼谷さん、ライブ・セブンは使わないんスか?」
「それは、俺が一発やってからだ。俺は嫌がってる奴をひいひい泣かす方が好きなんだよ」
「ああ。いいなー、それ。俺もそういうの好きです」
「どうせなら、全員で一発ずつ輪姦まわしてからライブ・セブンにしません?」
「てめえら、無駄口ばかり利いてねえで、さっさとこいつの服を脱がせろ」

 鬼谷は懐から銃を抜いた。安全装置をカチリと外し、桃真の額に突きつけた。

 固く冷たい銃口の感触に、桃真は観念した。

 おずおずと、鬼谷の雄に舌を這わせた。刺すような酸っぱい味と悪臭に吐き気がこみ上げてきた。師匠にもこんな奉仕は命じられたことがない。

「くわえろ」

と鬼谷が命じた。

 桃真はためらった。言葉を発せなくなることは、反撃の最後のチャンスさえ失うことを意味する。

 しかし、額に銃口をぐりぐりねじ込まれている状態で、選択の余地はなかった。

 鬼谷が手を添えて唇に押しつけてくるもの・・を、桃真はくわえた。思った以上に巨大で、口の中が肉塊でいっぱいになる。反射的に吐き出そうとして喉がひくつく。

「俺は、サービスしろと言ってんだぞ。舌を動かせ。吸い上げろ。気が利かねえΩだな、え?」
「んっ、んぅ……」

 肉塊に口内を埋め尽くされている状態では、自分の舌を動かすことさえままならない。桃真は何とかそれ・・を舐めようと努めた。

 初めは、あり得ないほど不快な味に、吐き気が止まらなかった。けれども唾液が口に溜まり、味は気にならなくなってきた。無残に開かれた桃真の唇から唾液がしたたり落ちた。

 縛られ、銃を突きつけられ、口を犯される。完全に手も足も出ない。その間にも、何本もの手が伸びてきて、乱暴に衣服を剥ぎ取っていく。男たちの手は服を脱がせるだけでは止まらなかった。体のあちこちを摘まみ、まさぐり、揉みしだく。

「んんっ! んううっ、んっ!」

(結局、これがオメガというやつなのか。いたぶられ、搾取されるだけの存在。
 俺は弱い。自分の身さえ守れない。
 香港でのあの夜も、師匠も自分も守れなかった)

「悶えてんじゃねえよ、淫乱め。口がお留守になってんぞ」

 桃真の抗議の呻きを嬌声と勘違いしたのか。鬼谷は桃真の髪をわしづかみにし、激しく腰を打ちつけた。

 喉奥を雄で突かれ、桃真はえづいた。

「んぅ! んんんんっ!」

 その時、轟音が静寂を突き破った。
 密閉された空間の中で響いたそれは、銃声だった。

 鬼谷の頭が赤い花火のように破裂し、消滅した。命を失った鬼谷の体は、棒立ちのままどさっと横ざまに倒れた。

 涙ににじんだ桃真の視界に、闇の中ひらめくマズルフラッシュが映った。鼓膜を麻痺させるようなすさまじい銃声が連続して響いた。桃真を囲んでいた男たちが次々と撃ち倒された。

 倒れた男たちは呻き声ひとつあげない。即死だ。

 突然訪れた静寂は死そのもののように不吉だった。

 桃真たちがいる場所は、真っ暗な廃工場の中、そこだけがランプで明るく照らし出されている場所だ。闇に身を潜めた襲撃者にとっては絶好の的だ。

 桃真は、再び銃声が響いて自分にとどめを刺すのではないかと、息をつめて暗闇の気配をうかがっていた。

 やがて、かつん、かつん、と足音が近づいてきた。
 ランプの作る光の輪に歩み入ってきたのは、ひどくなじみ深く感じられる青年だった。

「よかった! 桃真さん。生きててくれて!」

 ヒナタは、ファストファッションのシャツの上につけたホルスターにデザートイーグルを収め、桃真の脇にかがみ込んだ。桃真の手首を縛るロープを、武骨なアーミーナイフで手早く切った。

「あなたがやくざみたいな連中にさらわれたって、カフェの店員から聞いて……心配で心配で気が狂いそうでした。コンクリートの靴を履かされて海へ放り込まれたんじゃないかって。……よかった。本当によかった。お願いです、ちょっとだけ……抱きしめさせてください」

 そして、桃真の返事を待たずに、太い腕を桃真に巻きつけてきた。

 その抱擁は頼もしく、温かい。桃真は目を閉じ、ぬくもりに身を任せた。
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