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オメガだけど、やられてたまるか

ミッドナイト・クルーズ

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「おまえ、あんなにガンガン撃ちまくって、もしかしたら俺に当たるかもとは考えなかったのか?」

 桃真が冷静な声を出せるほど自分を取り戻したのは、廃工場を出て歩き始めてからしばらく経ってからのことだった。

 そこは海沿いのさびれた工場街だった。真夜中らしく、人の気配はない。灰色の建物が延々と続いている。ゆるやかな馬蹄形の港湾の向こう岸では、市街地のビル群がまばゆいばかりの光を放ち、無数の光柱を暗い海面に投げ落としている。

 ヒナタはあっけらかんと笑った。

「僕、ものすごく腕がいいんです。あの距離で狙いを外すなんてあり得ません」
「銃なんか、どこで手に入れた?」
「裏ウェブを検索して、地元の暴力団のアジトをみつけて、奪ってきました♪」

 桃真の表情の変化に気づいたらしい。ヒナタは気づかわしげに桃真の横顔をのぞき込み、口調を変えた。

「ああ、心配いりませんよ。無用の殺しはやってません。そういうの好きじゃないんで。……でも、さっきは。あいつら、あなたにあんなことを。生かしておけなかった」
「……」

 桃真は重いため息をついた。

 初めて出会った頃は、ヒナタのことを、望まないのに悪党の用心棒を務めている気の毒な若者だと思っていた。童顔と、子犬のように人なつっこいまなざしのせいだ。だが知り合うにつれて、こいつはとんでもない本性を次々とあらわにする。

 桃真が監禁されていた廃工場をヒナタがどうやってつきとめたのか、尋ねるのはやめておいた。きっと返ってくるのはろくでもない答えだ。

 二人の向かう方向には、クルーザーが停泊していた。こんな殺風景な工場街にはふさわしくない、純白に輝く高価そうなクルーザーだった。

「まさか、あれ、おまえが……?」
「あー。残念ながら、だまし取ることはできなかったので、腕づくで奪いました。持ち主からスマホを取り上げ、『家族全員の喉をかっ切られたくなかったら一週間は警察へ通報するな』と脅しておきましたから、当分は安心ですよ」

 ヒナタの笑顔には一点の曇りもなかった。

「僕、無理に背伸びせず、地に足をつけて、自分らしくやっていこうって決めたんです。のびのびと、自分なりのやり方で。ありのままに」
「おまえなー。メチャクチャなこと言いながら、無理やり『いい話』っぽくまとめようとすんなよ」

 ヒナタは、桃真に手を貸してクルーザーに乗せると、操縦室へ向かった。重々しくエンジンが始動し、船は夜の海に向けて進み出した。やくざの死体が転がる倉庫街が見る見るうちに遠ざかっていった。

 ヒナタは沖合で船のエンジンを切った。エンジンの轟音が消えると、深い静けさが彼らを包んだ。波が船腹に当たるかすかな音さえ聞こえるような静寂。頭上の空には星は一つも見えない。

 上部デッキの床に体を丸めるように座り込んでいた桃真は、視線を上げ、歩み寄ってくるヒナタを見返した。やられるのか、と思ったが、逆らう気力もない。

 ヒナタは桃真の隣に腰を下ろした。ものも言わず、桃真の両肩をつかんで抱き寄せた。

 唇を奪われた。ぬるっと入り込んできた舌が、桃真の歯列を端から端まで丁寧に何度もなぞった。上顎を舐められ、舌をからめられたところで、桃真はぞくりと腰に妖しい衝動を感じた。

「んううっ」

 反射的に身を引こうとした。けれどもしっかり巻きついた腕がそれを許さなかった。

 その間にも、分厚い掌が、なだめるように桃真の髪を撫で続けている。

 ヒナタはそっと唇を離した。鼻と鼻がぶつかるぐらいの距離で、うっとりと桃真をみつめた。

「消毒完了です」
「……何だって?」
「あなたは僕の味だけ知っていればいい。他の男の味なんか忘れちゃってください、全部」

 桃真があっけにとられているうちに、ヒナタは彼の首筋に顔を寄せ、スンスンと鼻を鳴らした。

「ああ、もうっ。すごくいい匂いがしてる。理性飛びそうだよ。ねえ桃真さん、フェロモン出始めてますよ。自覚してます?」
「出してたまるか、そんなもん」

 桃真はヒナタの顔めがけて手加減なしの肘打ちを繰り出した。

 ヒナタはひらりとかわし、立ち上がった。笑顔で数歩後じさった。

「僕の理性がまだ仕事をしているうちに、失礼します。今夜はゆっくり休んでください。いちばん下のフロアに寝室があるので、そこを使ってくださいね」

 意外な言葉に、桃真はポーカーフェイスを取りつくろうことができなくなった。驚きを晒してしまった。

「……やらねーのか? おまえみたいなセックス大好き猿野郎が?」
「ひどい言い草だなぁ。僕だって、さすがに遠慮しますよ。今夜は大変な夜だったし。……桃真さん、さっき震えてたし」

 「さっき」というのは、廃工場で抱きしめられた時のことを言っているのだ。

 桃真はかっとなった。自分の頬が紅潮するのがわかった。

「俺はびびってない。俺はそんな弱虫じゃない」
「いや。待ってください。違うんですよ。弱虫呼ばわりしたかったわけじゃなくて……何て言えばいいのかなぁ」

 ヒナタは目玉をぐるりと回し、もどかしげな仕草をした。

「人間なんて強いばっかりじゃない。誰でも強いところと弱いところがある。そういう弱さを補い合える二人になりたいなーっていうか……一緒に生きていきたいんですよ、桃真さん。ずっとずっといつまでも。本当は今だってやりたくてたまらないけど、でも、それだけじゃない。僕のそばで、あなたに安心してもらいたいんです」
「…………」

 桃真はヒナタの口の動きを茫然とみつめていた。平易な日本語なのに、噛み砕いて理解するのに時間がかかる。ヒナタの言っていることはひどく不可解だった。いくら考えても腑に落ちなかった。

 ヒナタがふと、眉を寄せた。何かの匂いを嗅ごうとするかのように再びスンスンと鼻を鳴らし、首をかしげた。

「桃真さん。さっき助けたお礼に、一つだけ『真実』を下さい。嘘をつかないで、僕の質問に正直に答えてください。いいですね?」

 桃真は即座に「ああ、いいぜ」とうなずいた。プロの嘘つきにとって「嘘をつかない」という約束は何の重みも持たない。そんなことさえ悟れないヒナタがむしろ不思議だ。

 ヒナタは丸い瞳におそろしく真剣な光をたたえて桃真をみつめていた。

「山王寺島で初めて会ったとき……桃真さんも本当は、僕を見て何かを感じてくれたんですよね? 僕のことが気になったから、山王寺さんから僕を奪ってくれたんですよね? 僕と一緒にいるときに限って、そんなにフェロモンが出るってことは……」
「……」

 桃真はしばらくためらった。

 嘘をつくなんて簡単なはずだ。この件については前にも一度嘘をついている。
 けれども抉るような真剣なまなざしに縫いとめられ、どうしても手軽な嘘を絞り出すことができなかった。

 桃真は逃げるように視線をそらした。

「……助けてくれた礼に、金を払うよ。金額を言ってくれ。すぐに振り込むから。……『真実』とかそういうのはなしだ」

 ――何が「魂の番」だ。そんなのは都市伝説だ。
 初めて出会った瞬間に視線を奪われたからって、それが何だと言うのか。ただの気の迷いだ。妙な小理屈でからめ取られたくはない。

 けれども。優しくキスをされ、「一緒に生きたい」と言われてから、どうしようもなく火照ほてり続けているこの体は……?

「――!」

 ダダッという大きな音が響いた。それが足音だと気づいて桃真が視線を戻すと、ヒナタの姿が消えていた。

「ごめんなさい! やっぱり我慢できない! そんな美味しそうな匂いっ……我慢できるわけない!」

 桃真には何が起きたのかわからなかった。ヒナタがどこから襲いかかってきたのかも見て取れなかった。気がつくとデッキに押し倒され、顔じゅうにキスを浴びせられていた。服の隙間から潜り込んできたヒナタの手は焼きごてのように熱く、それでいて、耐えがたいほど甘い疼きの軌跡を残した。

「やっ、んあっ」

 あっという間に全身の力が抜けた。深々とキスされ、舌をからめて吸い上げられ、その間にも胸の飾りをいじられると、あまりの気持ち良さに呼吸いきの仕方もわからなくなる。

 不意に、大きな掌で股間を握り込まれ、桃真は息を呑んだ。
 服の上からではあるが、その手はやわやわと、でも執拗に、揉み込んでくる。

「あっ、あーーっ」

 強烈な刺激に、理性を手放してしまいそうだ。溺れる人が救命具にしがみつくように、桃真はヒナタの二の腕をつかみ、必死で快感をやり過ごそうとした。

「桃真さんったら。もうこんなに大きくなっちゃって。いやらしいなぁ」

 ヒナタがかすかに笑った。その息に敏感な耳をくすぐられ、桃真の体がびくびく震えた。

「し、仕方ねーだろっ。おまえが変な風にさわるからっ。……さっきまで『やらねー』って言ってたくせに!」

 息も絶え絶えに言い返す。
 ヒナタの手が再び服の内側に潜り込んできた。今度は直接握り込まれ、桃真は「ひゃっ」と悲鳴をあげた。

「桃真さんは、さわられたら、誰が相手でもこんなになっちゃうんですか?」

 ヒナタの切実な囁き。
 誠実さを煮詰めて結晶にしたみたいな瞳。子犬のようにみつめてくる。
 その一方で、桃真の中心を握り込んだ手は、ねっとりと卑猥な愛撫を加えてくる。

 桃真は視線をそらした。息が上がり、会話を続けるのが難しくなりつつあった。

「……な、なるわけねーだろっ。おまえだけだ」
「じゃあ、やっぱり、僕があなたの『特別』だってことですね。発情するのも……僕と一緒にいる時だけなんでしょ?」

 優しく囁きながらも、ヒナタの手の動きは荒々しい。桃真の下肢の着衣を手際よく剥ぎ取り、限界いっぱいまで脚を開かせた。なめらかな内腿に手をすべらせた。

 濡れそぼった後孔に触れられて、桃真はびくりと身を震わせた。

「たまたまだ、そんなの……ヒートが起きたときに、たまたまおまえが居合わせただけだ。偶然だよ。あん、やっ、ううっ……」

 指先でくちゅくちゅと弄られ、ひとりでに雄を誘う声が漏れてしまう。腰がいやらしくくねる。

 ヒナタは微笑んだ。

「体と同じぐらい、あなたの口が正直になるまで、たっぷり愛してあげますね」

 ヒナタもそれほど余裕があるわけではないらしい。発情期に入ったオメガの吸引力はアルファの理性を奪う。まして、破れたシャツ、むき出しの下半身、履いたままのソックス、という桃真の姿は、どんなアルファでも狂わせるほど淫靡だ。

 ヒナタはいきなり押し入ってきた。

 ずん、と突き上げられ、桃真はのけぞった。

「あっ! ああっ!」

 誰もいない夜の海に、桃真の嬌声が拡散していった。

 両脚を目いっぱい押し開かれ、激しくむさぼられた。熱い塊が桃真の体内を暴れ回った。

 もう、自分の上で荒々しく往復運動ピストンを繰り返す、たくましい男の体のことしか考えられない。桃真はヒナタの首筋にしがみつき、理性も何もかも焼き払う情欲の炎に身を任せた。
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