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番外編、圭吾と零
やっと会えた
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「う~ん…」
出産のため実家に帰省して三週間、糸はほとんど家事をすることなく毎日のんびりと過ごしていた。
もちろん散歩は必要なので実家の犬と田舎の田んぼ道をゆっくり歩いているが、いつ陣痛がくるのかわからないので油断はできなかった。
しかしこの日、糸はなんとなく散歩に行く気にはなれず、母親から催促されるも適当な理由をつけて断っていた。
「どしたの、さっきからうんうん唸って」
いくら糸が散歩に行きたくなくても犬は連れて行かないといけないので、母親は仕方なく自分が行くかと準備しているところだった。
「いや、なんかさっきからお腹痛くて」
母親は道端で犬が排尿をした時用の水を入れたペットボトルを思わずブシュ、と押し、慌てて息子に駆け寄った。
「へ?!陣痛じゃないのあんた?!」
お腹の張りは?!破水はしてない?!と体を隈無くチェックし、どこにも異常がないことを確かめてホッとする。
「まだ予定日まで一週間あるし…便秘かしらね。もう~慌てないでちょうだい」
慌てたのはどっちだ、とツッコミを入れたいが、痛みは増すばかりであまり元気がない。
とりあえず母親の言う通りトイレに行き、糸は一生懸命踏ん張った。
母親は既に犬の散歩にでかけており、家には臨月のお腹を抱えた糸が1人。
午後四時、旦那と父親の帰宅はまだ先だ。
「あ、これやばいかも…産まれるやつだこれ…」
トイレで産むわけにはいかないと必死にパンツを上げ、ひとまずリビングのソファーに腰を下ろした。
アプリで陣痛の間隔を測るが、まだ病院に連絡するにははやい。
幸いまだなんとか動けるので、今のうちに軽食を取り体力を温存しておく。
昼寝から起きてきた実家の猫がにゃ~んと鳴きながら来てくれたので、心細かった糸は安心できた。
そこから約一時間、犬の散歩から帰宅した母はリビングで痛みに耐える息子を見て再び仰天した。
慌てふためく母親に、冷静な糸は
「本人が平気なんだからあなたが慌てなくていいの…それより高い声が頭に響くからやめて……」
と呆れた。
陣痛の感覚は少しずつ狭まり、痛みも増す。
耐えられないほどでは無いが、今はかつて自分を同じ痛みで産んでくれた母親にすらうざいと思う。
母親は今もそわそわとして犬を抱えたり下ろしたり、猫に餌をあげすぎて逆にドン引かれたり、様々な奇行に走っている。
「そろそろかな、病院連絡…」
間隔が10分程度になってきたので、自分で産婦人科に電話をした。
もちろん、夫と父親にも。
さすがに自分も母親も運転するわけにはいかないので、予め運転をお願いしていた幼い頃からお世話になっているご近所さんを呼んだ。
と言ってもまだ勤務中だが、自分の会社なので融通が効く。
母親が呼ぶとすぐに駆けつけてくれたので、2人に支えられながら車に乗った。
「それにしても糸~、ほんとにおっきくなったな~」
いくつになってもこう言われるが、中二で身長は止まっている。
自分が赤ん坊の頃から見ている人なので感慨深いのだろうが、さすがに陣痛中はやめてほしい。
「今大きいのはお腹だよ…それより安全運転でお願いね……」
空気を読めないご近所のおじさんと、息子の陣痛にそわそわしてスマホを開いては閉じる母親。
本当に大丈夫かと心配になりながら、なんとか痛みに耐え産婦人科についた。
ついたと言ってもすぐに産まれるわけではなく、またここから子宮口が開いていくのを待つ必要がある。
まだ3cm程度だと言われ、この痛みで3cmかと絶望し、夫の到着を待った。
母は痛みで唸る糸を一生懸命さすり、がんばれがんばれと応援している。
泣きそうになりながら介抱をする姿を見ると、やっぱりこの人が母親で良かったと糸は思った。
そういえば、初めて大怪我をした時もこんな感じで必死に救急車を呼んでくれたっけ、と思い出す。
思わず目を逸らしたくなる恐怖にも、母親はこうして立ち向かうのだ。
糸は迫り来る激痛に耐えながら、この子もいつか自分にそう思ってくれるといいなと思った。
陣痛が始まって約15時間、疲れきった糸の耳に赤ん坊の元気な泣き声が届いた。
「あ……」
元気な男の子ですよ~と助産師さんに抱かれるしわしわのお猿さん。
もう嫌だと何度も諦めたくなったが、頑張った甲斐があった。
妊娠がわかってから、この瞬間をどれだけ待ちわびたことか。
「かわいい……」
糸は最後の力を振り絞るように、涙を流した。
そして元気に産まれてくれた我が子を胸に乗せられ、全ての疲れを吹き飛ばす。
横で泣くのを我慢しながら糸の頭を撫でる夫と、糸よりも号泣している母。
糸にとって、人生最大の幸せがここにある。
_____________
出産のため実家に帰省して三週間、糸はほとんど家事をすることなく毎日のんびりと過ごしていた。
もちろん散歩は必要なので実家の犬と田舎の田んぼ道をゆっくり歩いているが、いつ陣痛がくるのかわからないので油断はできなかった。
しかしこの日、糸はなんとなく散歩に行く気にはなれず、母親から催促されるも適当な理由をつけて断っていた。
「どしたの、さっきからうんうん唸って」
いくら糸が散歩に行きたくなくても犬は連れて行かないといけないので、母親は仕方なく自分が行くかと準備しているところだった。
「いや、なんかさっきからお腹痛くて」
母親は道端で犬が排尿をした時用の水を入れたペットボトルを思わずブシュ、と押し、慌てて息子に駆け寄った。
「へ?!陣痛じゃないのあんた?!」
お腹の張りは?!破水はしてない?!と体を隈無くチェックし、どこにも異常がないことを確かめてホッとする。
「まだ予定日まで一週間あるし…便秘かしらね。もう~慌てないでちょうだい」
慌てたのはどっちだ、とツッコミを入れたいが、痛みは増すばかりであまり元気がない。
とりあえず母親の言う通りトイレに行き、糸は一生懸命踏ん張った。
母親は既に犬の散歩にでかけており、家には臨月のお腹を抱えた糸が1人。
午後四時、旦那と父親の帰宅はまだ先だ。
「あ、これやばいかも…産まれるやつだこれ…」
トイレで産むわけにはいかないと必死にパンツを上げ、ひとまずリビングのソファーに腰を下ろした。
アプリで陣痛の間隔を測るが、まだ病院に連絡するにははやい。
幸いまだなんとか動けるので、今のうちに軽食を取り体力を温存しておく。
昼寝から起きてきた実家の猫がにゃ~んと鳴きながら来てくれたので、心細かった糸は安心できた。
そこから約一時間、犬の散歩から帰宅した母はリビングで痛みに耐える息子を見て再び仰天した。
慌てふためく母親に、冷静な糸は
「本人が平気なんだからあなたが慌てなくていいの…それより高い声が頭に響くからやめて……」
と呆れた。
陣痛の感覚は少しずつ狭まり、痛みも増す。
耐えられないほどでは無いが、今はかつて自分を同じ痛みで産んでくれた母親にすらうざいと思う。
母親は今もそわそわとして犬を抱えたり下ろしたり、猫に餌をあげすぎて逆にドン引かれたり、様々な奇行に走っている。
「そろそろかな、病院連絡…」
間隔が10分程度になってきたので、自分で産婦人科に電話をした。
もちろん、夫と父親にも。
さすがに自分も母親も運転するわけにはいかないので、予め運転をお願いしていた幼い頃からお世話になっているご近所さんを呼んだ。
と言ってもまだ勤務中だが、自分の会社なので融通が効く。
母親が呼ぶとすぐに駆けつけてくれたので、2人に支えられながら車に乗った。
「それにしても糸~、ほんとにおっきくなったな~」
いくつになってもこう言われるが、中二で身長は止まっている。
自分が赤ん坊の頃から見ている人なので感慨深いのだろうが、さすがに陣痛中はやめてほしい。
「今大きいのはお腹だよ…それより安全運転でお願いね……」
空気を読めないご近所のおじさんと、息子の陣痛にそわそわしてスマホを開いては閉じる母親。
本当に大丈夫かと心配になりながら、なんとか痛みに耐え産婦人科についた。
ついたと言ってもすぐに産まれるわけではなく、またここから子宮口が開いていくのを待つ必要がある。
まだ3cm程度だと言われ、この痛みで3cmかと絶望し、夫の到着を待った。
母は痛みで唸る糸を一生懸命さすり、がんばれがんばれと応援している。
泣きそうになりながら介抱をする姿を見ると、やっぱりこの人が母親で良かったと糸は思った。
そういえば、初めて大怪我をした時もこんな感じで必死に救急車を呼んでくれたっけ、と思い出す。
思わず目を逸らしたくなる恐怖にも、母親はこうして立ち向かうのだ。
糸は迫り来る激痛に耐えながら、この子もいつか自分にそう思ってくれるといいなと思った。
陣痛が始まって約15時間、疲れきった糸の耳に赤ん坊の元気な泣き声が届いた。
「あ……」
元気な男の子ですよ~と助産師さんに抱かれるしわしわのお猿さん。
もう嫌だと何度も諦めたくなったが、頑張った甲斐があった。
妊娠がわかってから、この瞬間をどれだけ待ちわびたことか。
「かわいい……」
糸は最後の力を振り絞るように、涙を流した。
そして元気に産まれてくれた我が子を胸に乗せられ、全ての疲れを吹き飛ばす。
横で泣くのを我慢しながら糸の頭を撫でる夫と、糸よりも号泣している母。
糸にとって、人生最大の幸せがここにある。
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