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48 ボロウスキ公爵夫妻
しおりを挟む浄化が終わって徐に、ミハウはボロウスキ公爵を呼び出した。
ボロウスキはどこか気が抜けて張りの無い不服げな顔をしていた。
「公爵の領地はルーク湖と接しているな」
ミハウが切り出すと喚いた。
「あすこには魔獣がおります。竜種の恐ろしい魔獣ですぞ!」
「あれはサーペントだ。大人しいものだ」
「何処がだ!!」
公爵はミハウにかみついた。
「近寄れば水を吐くわ、大波を起こすわ、風を呼ぶわ」
それはサーペントが湖を荒らす湖賊に対して怒っているのだ。ミハウはサーペント一族の長と従魔契約をしたが、ボロウスキには言わない。
「湖の湾港を整備してはどうか」と何食わぬ顔で誘う。「サーペントより湖賊が出るだろう? アレを何とかしろ」
湖賊とは湖に出る海賊であった。荷物は奪うわ、船は燃やすわ、人は殺すわ、ろくでもない連中である。しかも後から後から湧いて出る。食い詰めた山賊とか傭兵とかも入る。
「頑張って。湾港を建設して、船を建造して、通行料を取れば、儲かるぞ」
への字口でむくれている男に勧める理由を話す。
「誰も、安全に渡りたいからな。積み荷も大事だ。人も大事だ」
公爵は返事をしない。握りこぶしを作っている。
「やる気がないなら他の奴にこの仕事は回す」
「くそう、やらんと言っている訳じゃあねえ。お前が気に入らんと言っている」
「上等だ。計画書を出せ」
公爵はミハウを睨みつけると部屋を出て行った。
「にやー」
書棚の上でアストリ猫が鳴く。
「ま、人はそう変わるもんじゃない。運上金を幾らにするかな」
猫は書棚からシュタッと飛び降りると、ドアの前で待機する。誰かがドアをノックして入って来ると、猫はするりと出て行った。
(くそう、若造め)
ボロウスキ公爵は心の中で吠えた。
国王の印章を押してある書類が出納審査執務室で弾かれて、領内の事業予算に対しての支払いが滞っている。ひとり公爵家だけではないのだ。一門の事業が宙に浮いている。もちろん水増し請求や、予備費上乗せや、すぐには手を出す予定の無い予算や、誇大広告予算とか、遠慮なく請求しているが、弾かれた。
ルーク湖に関しては湖賊を放置している。何なら彼らに便宜を図って上前を撥ねていたりする。湖賊の所為にしないでサーペントの所為にしたりもする。ボロウスキ公爵は紛れもなく悪党であった。
すべてバレた上であの小僧は港を作れというのだ。
誰が作るか、と言いたいところだが、非常に旨味がある。国が後押しをするのだ。交易で得られる莫大な利益を考えると否とは言えない。それを思うとまた腹が立って来る。
機嫌の悪い公爵に、取り巻きが機嫌取りに誘う。
「王都に最近できた酒場なんです」
「綺麗なピンクの髪の女性が店をやってて」
「怪しい店じゃないか。捕まえて吐かせろ」
「まあまあ」
機嫌の悪いボロウスキ公爵は、怪しい酒場の女を取っ捕まえてふん縛って甚振ってと、悪い妄想を抱いてその店に行った。
その店は王都の富裕な庶民や下位貴族らの屋敷や、服飾品や装身具などの店のある表通りから一歩入った目立たない所にあった。
落ち着いた店であった。店内は狭いが趣味のよい家具が並べられている。店にはガタイのよいバーテンダーと綺麗めの女給がいて、そして──、
美女がいた。
半眼にこちらを見る青い瞳、形のよい柳眉、薄っすらと微笑んだ赤い唇。ピンクの髪が柔らかく縁取った白い肌。ボリュームのある胸。ふっくらとした指の先の赤いマニキュア。もろに好みであった。
ボロウスキ公爵は四十代で妻も子もいる。妻は三人目だ。最初の妻は死に、二番目の妻とは離縁した。三番目の妻は年若いガキであった。言うことがいちいち自分の娘よりも子供であった。離縁も子守りもめんどくさくて、適当に散財させて放置している。
色気のある顔、豊満な肢体、気の利いた会話。
公爵は女にのめり込んだ。しかし、この男にしては純情であった。いつものように上から威張り散らすことが出来なかった。初恋がこんなひっそりとした裏通りの店に転がっていようとは、人生恐ろしいものである。
「俺の中の竜が暴れるのだ」
「あら、身の内に竜でも飼っていらっしゃるの、ステキね。真面目な方より、ちょい悪でお強い殿方の方が好ましいかも──」
ピンクの髪の女性がにっこりと笑う。
(そうだ。俺は竜になるのだ。海を制する竜に──。湖賊になんぞ負けん!)
公爵は明後日の方向に走り出した。
ボロウスキ公爵夫人は、実家から伴ってきたお付きの侍従や侍女にせっつかれて、近頃どこぞに出かけてやっと帰ってきた自分の夫に苦言を呈した。
「旦那様がどこぞの飲み屋のマダムに入れ揚げていると伺いました」
「五月蝿い。俺は今忙しいんだ。俺に文句があるなら国王を落としてみよ。あの男はお前のような女が好みだそうだ」
年若い(と言っても、行き遅れの二十歳で公爵家に嫁に来て、もう五年になるのだが)公爵夫人は驚いた。
即位式の時に一度見ただけの国王夫妻は絵に描いた人形のような方々であった。噂だけが独り歩きして誰も話もした事がない。王妃様は後宮で薬作りに勤しんでいるそうな。その薬が馬鹿にならない効き目である。夜会に出なくともなにも困らない王妃である。そして国王と非常に仲が良いという。
明後日の方向に走るという意味では似たもの夫婦かもしれない。公爵夫人は国王ではなく王妃に会う事にした。効き目のある薬に興味があったし、そのような薬を作る方は聖女のような人かもしれない。王妃がどのような方か知るべきだと思ったし、好奇心に負けた。
何とか目通り叶わぬかと押しかけても会えない。薬草を育てているのであれば、離宮裏の庭園に行ってみようか。
公爵夫人は前王の王子の婚約者だったが彼は病で死んでしまい、ボロウスキ公爵に嫁いだという経歴の持ち主であった。後宮には時々遊びに来ていて勝手知ったる庭園で、抜け道も知っている。
王宮の侍女の服に似たドレスで、こっそりと庭園に忍び込んだ。
「にゃあ……」
哀れげな猫の声がする。
「まあ、猫さんどうなさったの?」
何と白くて美しい猫が罠にかかっていた。トラバサミが足に食い込んで血が出ている。公爵夫人は急いで罠を外した。そしてその場にパタリと倒れた。
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