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第一部

六十八話 灰哀シークレット 前②

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「悪魔が、王宮の中にいるってことですか?!」

 度肝を抜かれて俺は思わず大声を上げた。
 だってそうだろう。
 トロンの森の封印結界の悪魔だって、あの破壊力だぞ。あれが王宮の中にいるってことか?! 

「そうじゃ。聖女の祈りと光魔法で、奴は眠り続けておる」

 呆気に取られて俺は爺さんを見た。そして陛下と神官長を。
 この場にいる俺とグウェンドルフ以外はみんなその事実を知っているらしい。一様に険しい顔をしていた。そういえば、リビエール上級神官も身内に聖女がいるっぽかったな。だから知っているのかもしれない。

 確かに、そんな恐ろしい情報をとても世間には公表出来ないだろう。大混乱になる。
 緘口令を敷くしかなかったはずだ。

「聖女様がその悪魔を眠らせてるってことですか?」
「左様。それゆえ、聖女となった者は一度神殿に入って以降、命が果てるまでその場から離れることは出来ぬ」

 俺はルロイ神官長を見た。
 今代の聖女は、ルロイ神官長の娘だ。俺も一度会ったことがある、笑顔が素敵な品のあるおばちゃん。あの人が今、王宮の神殿で悪魔を前に祈り続けているということか。
 神官長は静かな目で俺を見返した。
 全て承知しているというその目を見て、俺はルロイ神官長の評価を改める。
 この人は、本当に帝国と封印結界を守るために生きてきたのか。

 ゲームの設定なのに、とんでもない事実が暴露されたな。これ主人公が聖女になったら一生祈りを捧げ続ける運命になるってこと?
 ルシアはそんなことを言っていなかったから、多分彼女はこの事実を知らないんじゃないだろうか。エンディングを迎えた後の舞台裏ってことなのか。
 
 というか、これ乙女ゲームじゃなかったのかよ! 設定がえぐすぎだろう。

 衝撃を受けた俺は、ふと資料館で見た内容を思いました。

「そういえば、グウェンが歴代聖女の在任期間がおかしいって言ってたよな」

 グウェンの顔を見ると、彼は小さく頷く。

「在任期間が短くなったのは、五代前のセレナ・バレンダールからだ」

 セレナ・バレンダール。
 ここでその名前が出てくるのか。

「悪魔を眠らせたのは、セレナ様です」

 ルロイ神官長が静かに口を開く。

「次期聖女が決まっていなかったあの当時、聖女候補の中で最も力の強かったのは、セレナ様と、私の妻でした」

 目を伏せながら、神官長は淡々と話を続ける。

「セレナ様と妻は叡智の塔の先輩と後輩にあたり、とても仲が良かった。セレナ様は平民からバレンダール公爵家の養子となった方でしたが、妻はセレナ様のことをとても慕っていました。あの大禍の時、」

 そこで神官長は一度言葉を区切った。
 軽く息を吸い、絞り出すように口を開く。

「本当なら、悪魔を沈めに行くのは妻でした。セレナ様は被害の大きかったバレンダール公爵領に呼ばれていた。しかし、当時妻は私と婚約しており、結婚も間近だった。セレナ様は妻を止め、自らの意思で神殿に入ったのです。そして一生の祈りと引き換えに、悪魔を眠らせてくださった。バレンダール公爵はセレナ様の義弟です。きっと、セレナ様を犠牲にしたこの帝国をずっと恨んできたのでしょう」

 ルロイ神官長は、悔やんでいるのか、悲しんでいるのか、そのどちらとも言い切れないような、複雑な顔をしていた。
 バレンダール公爵が査問会で言っていたことの意味がわかった。兄と、義姉まで失ったことが許せなかったのか。四十年解けなかった恨みが今回の事件に繋がっていたと思うと、公爵の心境もほんの少しは想像出来る。
 でもきっと、そのためにミラード卿とルシアを犠牲にしようとした時点で、彼は恨みを主張する権利を失ってしまった。
 俺は今もどこかで逃げているバレンダール公爵のことを考えた。
 捕まるかどうかはわからないが、せめてミラード卿とルシアには心から謝罪してほしい。謝って済むことではないけれど、俺は公爵が根っからの悪人だったとは、まだどうしても信じることができない。

「バレンダール公爵は、どうやってその事実を知ったんです? 当時は緘口令が敷かれていたんですよね」

 俺が疑問に思って口に出すと、ルロイ神官長は「おそらく」と言って俺を見た。

「三代前に、セレナ・リシャールという聖女がいたでしょう。彼女は幼い頃にリシャール男爵家の養子となった女性です。彼女にセレナという名前をつけたのはバレンダール公爵でしたから、彼女を目にかけているように見えて、おそらく教会内部の情報を探っていたと思われます。バレンダールの大禍の後、十年ほどしてセレナ様が亡くなったとお伝えした時は、教会に対してかなり不審を抱かれていたようでしたので。それからは見かけ上は落ち着かれたように見えたのですが、やはりリシャール男爵家の聖女から、事実を知ってしまわれたのでしょう。公爵が禁術を知っていたのは何故かはわかりませんが、やはりセレナ・リシャールから情報を手に入れたのではないか、としか推測が出来ませんが」

 ルロイ神官長が渋い顔をした。
 バレンダール公爵は、義姉の残した術による聖女の運命をその時知ってしまったんだろうか。
 聖女を犠牲にする帝国に嫌気がさしたと言っていた。それがどういう感情だったのか、俺はどれだけ想像してもきっと正しくは理解できない。

 ルロイ神官長は、「私の責任です」と言って目を伏せた。

「強い神聖力を持つ王族がいるラムル神聖帝国に援助を求めましたが、あちらも当時は国が不安定で国同士の繋がりも決して良くはなく、返事はありませんでした。私は代々の神官長を歴任する者として、セレナ様の魔法を途切れさせてはならないと誓いました。そのため、聖女となった者に苛酷な運命を強いてきたのです」
「神官長、そなたの責任ではない。そうせよと命じたのは私と、私の父だ」

 陛下がルロイ神官長に強い口調で言った。

 どうすれば良かったのかなんて、俺にもわからない。

 悪魔が目覚めてしまえば、甚大な被害が出るだろう。眠りの術を途切れさせる訳にはいかなかったという、神官長と陛下の言うことも理解できる。

「五代前からの聖女達が、在任期間が短いのはそのためです。皆、十年ほどで祈りの魔法に力尽きてしまう。聖女に選ばれた者には就任式の前にその事実を伝えますが、もし拒否したいという場合、忘却の術をかけて辞退させてきました」

 ルロイ神官長の言葉を聞いて驚愕した。
 それでは、歴代の聖女はこの事実を知ってなお神殿に入ったのか。俺はその崇高な精神に圧倒されると同時に、畏怖さえ抱いた。

「そもそもは、儂が悪魔を押し戻すのに失敗したがゆえ。儂もこの事実に対する責任の一端を担っておる」

 総帥も沈んだ顔で発言した。
 現役時代の爺さんが勝てなかったって、王宮にいるのはどんだけ強い悪魔なんだ。

「俺とグウェンドルフが二回闘ったルロイ公爵領の悪魔とは違う奴ってことですか? 王宮にいる悪魔は」

 俺の質問に、爺さんは頷いた。

「王宮で眠るのはアシュタルト。魔界の第一階級の悪魔の一人じゃ。ルロイ公爵領でお主達が闘った悪魔は、奴の配下じゃろう」

 あれより更に強い悪魔ってことか。

 俺は腕組みをして考える。

「更に、アシュタルトは口から人間には毒となる瘴気を吐き続ける。長期戦で闘うことは不可能じゃ」

 瘴気。

 瘴気か。

 俺は少し考えて、爺さんの顔を見た。

「でもアシュタルトっていう悪魔が眠ったってことは、そこそこのダメージを与えられたってことですよね」
「うむ。奴の額に聖女の宝剣が刺さっておる。それを媒介にして眠りの術をかけられたのじゃ」
「そうすると、総帥の感覚ではあとどれくらいの戦力があればアシュタルトを押し戻せたと思いますか?」

 俺の質問に、爺さんは少し黙った。

「そうじゃな……。瘴気を常に浄化できる上級神官が数人と、防御と後援魔法が使える宮廷魔法士数十人、それは今の体制でもなんとか集められるじゃろうが、しかし儂ほどの魔力量を持ち、戦闘に秀でた者が、せめてあと二人以上はいなければ……」
「三人ならどうです?」

 俺の口にした質問を聞いて、全員が俺を見た。

「総帥と、グウェン、それから俺は精霊力ですけど、チーリンのおかげで保有量としては総帥には引けを取らないと思います。あと、グウェン、お前って魔力暴走そろそろだよな」

 急に話を振られてグウェンドルフは少し躊躇ったが「ああ」と返事をした。

「あと一週間程度か」
「そっか。あれからもうそんなに時間が経ったんだな」

 まぁ、俺とグウェンがこういう関係になるくらいには時が経ったよな。まさか前回の魔力暴走を助けた時は、グウェンドルフとこんなことになるとは思いもしなかったが。

「だったら、その分の魔力も俺がもらえるから、やっぱり総帥プラス三人分くらいの戦力はありますよ、今。戦闘スキルは残念ながら俺にはないけど、魔力量だけ見るならその基準をクリアしてるんじゃないですかね。どうです?」

 俺がそう言うと、爺さんは珍しく目を見開いた。

「レイナルド、お主まさか」
「いつまでも同じ様に眠らせ続ける訳にはいかないでしょう。宮廷魔法士の爺さん達と総帥が現役でいるうちに、奴を魔界に戻さないと」

 しん、と部屋の中が静まり返った。
 
 陛下すら、呆気に取られて俺を見ている。

「ああそうだ」

 と、俺は続けて手をポンと叩いた。

「それからうちのベル、チーリンですけど、瘴気なら祓えるんです。あまり危険なことはさせたくないけど、一緒に連れて行けば戦闘中の瘴気は気にしなくて大丈夫ですから」


 また沈黙が続いた。


 俺は何か、おかしなことを言っているだろうか。

 爺さん達がぽっくり逝ってしまう前に、チャレンジしておいた方がいいと思ったんだけど。


 しばらくして、総帥が大きく息を吐いた。

「これは、儂も予想外じゃった。お主を引き抜いたことが、こんな結末を引き連れて来てくれるとは」

 しみじみとそう言って、爺さんは陛下を見た。

「陛下、よろしいでしょうか」

 少し考える間があった後、陛下は真剣な眼差しをして俺たちを見回す。

「……よい。ファネル、四十年前の雪辱を果たせ」

 戦闘民族ではないルロイ神官長とリビエール上級神官は間いた口が塞がらないといった顔をしているが、総帥は一度目を閉じてから、強い光を藍色の瞳に宿して目を開いた。そして俺をまっすぐに見つめる。

「よかろう。儂も死ぬまでに、片付けねばならぬと思っておった」


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