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第一部

六十九話 灰哀シークレット 後①

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 このアシュタルトという悪魔との戦闘については、限られた者だけに情報が伝えられ、迅速に準備が始まった。

 宮廷魔法士の爺さん達は、みな四十年前の生き残りで、その凄惨な出来事を覚えている。総帥からの知らせを受け、爺さん達は「ついにこの日が来た」と狂喜乱舞していたらしい。それから皆で総帥と一緒に研究室に篭ってしまった。
 近衛騎士団の方には、逆にほとんど知らされていない。もし失敗した場合に、帝国を守護する騎士団が壊滅する様な事態を避けるためだ。代わりに、四十年前に生き残った退役者にのみひっそりと情報が伝えられた。

 準備にかかる時間は、グウェンドルフの魔力暴走が起こるまでのあと一週間ほどと、彼の体調が全快するまでの数日。
 もっと時間をかけてもいいのかもしれないが、どうせいつまで待っても同じだ。爺さん達は老いていくし、悪魔を相手に絶対に勝てる作戦も何もない。それに、一月ほど前に代替わりして聖女になったルロイ神官長の娘さんも、今ならまだ救える。
 後から神官長に少し聞いたのだが、聖女は祈りに入るとトランス状態になり身体の老化や新陳代謝は停止するらしい。ちょうど、ルシアがこの前昏睡したのも同じような状態だったそうだ。そのため一度深い祈りに入ると再び覚醒することは困難になる。一月ほど経ってしまっているとはいえ、今ならまだ祈りを中断しても覚醒出来るかもしれないということだった。

 ちなみに爺さん達が研究室に篭っている間、俺はルロイ神官長とリビエール上級神官に、教会本部で光属性魔法のスパルタ特訓を受けた。
 総帥からの命令で、取り急ぎ、魔法陣を使わなくてもベルの力を借りて光魔法を使えるようになれと。結構無茶な注文である。

「一週間で上級光魔法を使えるようになりたいだなんて、あなた、バカなんですか?」

 リビエール上級神官は冷たい眼差しで俺を見た。
 俺だってバカなの? って思ってるわ。
 でもやらなきゃいけないんだから仕方ないだろう。俺の仕上がり具合で皆の生存率が変わるんだよ。

 そう言いながらも、リビエール上級神官は真剣に俺の特訓に付き合ってくれた。

「レイナルド卿、貴方は風の加護をお持ちなんですよね? それでなんでわからないんですか。光は吸い上げるんじゃなくて、自分の周りに集めるんです。おわかりですか?」

 わかんねーよ。

 自分の中に光の精霊力を貯められれば、魔法陣はなくても魔法が使えるだろう。それはわかっているんだけど、光の力は捉えどころがなくてベルから吸い上げるとすぐに霧散してしまう。
 リビエール上級神官がため息をついた。
 彼は攻撃魔法を中心に教えてくれたのだが、俺に対する塩が強すぎて何回か後ろから光の槍を刺しそうになった。
 それでも以前ベルの力を使って瘴気を祓った時に、杖で魔法を安定させたことを思い出した俺は、杖を使ってなんとか光の精霊力を保ちながら魔法が打てるようになってきた。

 ルロイ神官長からは結界の魔法を理論詰め込みで教授され、俺は久しぶりに頭がおかしくなるかと思った。瘴気を祓う結界は俺とベルにかかっているし、戦闘中の防御の結界も必要不可欠だから、神官長も真剣だった。
 朝から夕方まで神官長の執務室で講義を聞かされ、その後リビエール上級神官が放つ攻撃に耐える結界が張れるようになるまで、俺は教会から出られなかった。最終的にリビエール上級神官がナイターさながらの強力な光魔法で教会の庭を照らし、ノック百本ならぬ結界百本張るまで許されなかった。教会のスパルタ修行が過酷すぎる。
 俺が力尽きて膝をつくと、リビエール上級神官が笑顔でサポーターを持ってきた。俺がその昔ルロイ公爵領で売り捌いたやつを。
 
 ちなみに、補足するとリビエール上級神官はベルにはデレデレだったのである。
 最初に教会に連れて行って会わせた時は、上級神官は初めて見るチーリンに感動して両手を合わせて感涙していた。
 今も「ベル様」って言ってひたすら崇めている。ベルが首を傾げるだけで胸を抑えているから、多分俺とは喋れるって知ったら発狂するかもしれない。
 リビエール上級神官が動物好き属性があるとは思わなかった。
 俺が短い休憩時間にベルの立髪をなでなでして癒されていると、ベルも俺の首元にまろい鼻を寄せてくんくんしてくる。そのまま地面に押し倒されて顔をぺろぺろ舐められていたら、水分補給していたリビエール上級神官は俺たちを見て般若の顔をしていた。持っていたアルミのボトルがべこっとへこんでいた。
 ベルと仲良しアピールすると、上級神官が嫉妬に狂った目で見てくるから多少怖いが気分は良い。思いがけず彼をぎゃふんと言わせる手段を手に入れてしまった。


「ベル、どう? 瘴気を祓うの出来るようになりそう?」

 俺が百本ノックの合間にへとへとになりながらベルの前にしゃがんでそう聞くと、ベルは首を傾げた。

ーーうーん、わかんない!

 うん。かわいいから良いの。

「そうかそうか、よしよし。まぁ駄目なら駄目で、俺がやればいいんだよな」

 ベルの首元の被毛をなでなですると、羨ましそうな顔で見ていたリビエール上級神官が「でしたら、ベル様の分も貴方が頑張るということですよね」と言って言質をとったと言わんばかりに頷き、俺を引きずって修行を再開させた。なぜか百本ノックが千本ノックに増えていた。殺す気か。

 夜を徹して行われる修行が始まること三日、ルロイ神官長とリビエール上級神官が仕事で俺に付き合えない日が来ると俺は屍になりながらグウェンに手紙蝶でSOSを出した。彼は早朝にも関わらず俺とベルを教会まで回収に来て自分の家まで連れ帰った。


「グウェン……俺は早まったかもしれない……悪魔と闘うより恐ろしい、あの草食民族の皮を被った二人が……」

 グウェンの部屋のソファで彼に膝枕されながら、俺は自分の軽率な選択によって引き起こされた惨事を呪った。
 早朝、グウェンドルフの部屋に運ばれてから五時間ほど眠り、今は昼前で俺はグウェンに甘えて膝枕してもらい三日で蓄積した精神的ストレスの減退に努めていた。この家には人が少ないとはいえ、マーサに見られたら少し恥ずかしい気がするが、彼女にはもっとヤバい有様を見られている。今は疲弊した精神を癒す方を優先しよう。
 ちなみにベルは俺がソファに寝そべった上に乗り上げてうたた寝をしている。少し窮屈そうだが上手いこと身体を俺の足の間に押し込んで腹の上に頭を乗っけている。少し重いが、いいのだ。これが幸せサンドなんだ。

「君は、偶に信じられないようなことをしでかすが、今回のは私もさすがに驚いた」

 グウェンが俺の髪を撫でながら言う。
 俺が陛下の前でアシュタルトに闘いを挑もうと発言したことを言っているんだろう。

「だってさ、総帥だっていくら現役とはいえ、さすがにそろそろ戦闘力落ちるだろ。むしろ今いる爺さん達がみんないなくなったら、俺とお前で闘うの? って話になるよ多分。俺は、グウェンの腕が飛んでくとこなんか、絶対に二度と見たくない。戦力が揃ってるうちに片付けるべきだ。それに犠牲になる聖女様達だって気の毒じゃないか」

 俺がため息を吐きながら答えると、グウェンは「うん」と言って目元だけ軽く緩めた。

 それからこれは彼には言わないけど、王宮にいる悪魔を魔界に追い返したら、そこでようやくゲームのシナリオは全部かたがつくんじゃないかと思うのだ。それで俺は、本当にシナリオから解放されるんじゃないかって。

 グウェンが俺の頭を撫でる手が気持ち良い。
 幸せを感じて気持ちがふわふわしてくる。
 寝不足だった頭がまた眠気を覚え始めたが、眠ってしまうのが惜しくて俺はグウェンの髪に手を伸ばした。短くなった彼の黒い髪に触れて軽く引っ張る。
 グウェンは長かった髪を切った。
 あの陛下の執務室での集まりの後、そのままその部屋で決戦日についての打ち合わせになり、その時形代の術を用意すると言った総帥が、準備するには魔力が足りないかもしれないと発言したのだ。
 そこで手を挙げたのがグウェンドルフだった。彼は自分の髪を使ってはどうかと提案した。魔力持ちの場合髪に魔力を溜められる。彼ほどの魔力量で長い髪なら、確かに相当な量の魔力を確保できるだろう。
 爺さんは「そうじゃな。グウェンドルフの魔力なら儂とも親和性があるからなんとかなるじゃろう」と言って、なんと本当にその日のうちにグウェンの髪を切ってしまったのである。

 まだ見慣れないグウェンドルフのうなじにかかる短い髪をつんつん引っ張っていると、彼が俺を見下ろして首を少しだけ捻る。

「変だろうか」
「ううん。見慣れないだけ。よく似合ってるよ。ちょっとなんか、どきどきする」

 思えば叡智の塔に通っていた時からグウェンの髪は長かった。だから短い髪の彼を見るのは初めてだ。少し落ち着かない様な気もするが、短い髪もうなじがよく見えて良い。いつもは彼自身の性格もあって実年齢より老生して見えるけど、髪が短いとなんだかグウェンの顔は年相応に見える気がする。ちょっと学生時代の彼を思い出してどきどきするくらいだ。さすが俺のグウェン。結論、どんな髪型でもカッコいい。
 へらっと笑いながらそう言うと、グウェンドルフは口元を緩めた。

「君は、在学中は髪が長かったな」
「そういやそうだな。長い方が良い?」

 洗うのは確かに面倒だけど、夏とか一つに結べると確かに涼しくて楽なんだよな。
 そう聞くと、グウェンは少し考えるような顔をしてから真面目な顔で「君はどちらも似合うから、選べない」と答えた。
 その返事を聞いたらなんとなく背中がくすぐったいような気分になって、俺はまた笑う。

「そっか。俺もグウェンの髪は短くても長くてもどっちも好きだよ」

 少し照れながら言うと、彼はまた目元を緩めて「うん」と小さく頷いた。
 
 なんだよこの馬鹿みたいな会話。

 背中がむず痒くなるような、大声で笑い出してしまいたくなるような浮かれたやりとり。でも内容がくだらなければくだらないほど心地よくなる。こんな会話なら一生してても良い。

 俺が小さく笑うと、グウェンがそっと顔を近付けてきた。
 俺もすぐに目を閉じて彼の唇を待つ。

 その時、けたたましい音で警報が鳴り響いた。
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