9 / 72
正編
09
しおりを挟む
「島国ペリメライドの良いところは、青い海が美しく、新鮮な魚介類が豊富なところでございます。まさに神からの贈り物……しかしながら、他国へと移動するには飛空挺か船を利用しなくてはならなりません。しかも民のうちの半数は、既に聖女フィオナ様の洗脳魔法で操り人形状態。はてさてヒメリア嬢は、本当に大丈夫ですかな」
「……つまり、爺やの見解ではヒメリアが、この国から脱出するのに手間取ると思っているのだろう? フィオナの洗脳魔法のこともあるし、僕も同意見だ」
王太子クルスペーラの教育係である爺やが、聖女フィオナの暗躍により、ヒメリアの旅立ちが困難になりそうなことを示唆。
「今日は天候だけは良いですからなぁ……クルスペーラ様も出掛けるのにはちょうど良いかと」
「……爺や、気を遣わせてしまって済まない」
本来ならば、婚約破棄したクルスペーラ王太子が見送りをすることはあり得なかったが、聖女フィオナが何か企んでいるとなれば話は別。洗脳魔法除けの特別なロザリオを胸にかけて、魔法の杖を手にクルスペーラは立ち上がる。今更未練がましい自分に苦笑いしつつ、『お忍びで出かける』準備を始めた。
* * *
同刻、ヒメリアもまた旅立ちに向けて、順調に身支度をしていた。
「これでよし、髪も切ったし。顔も日焼け止めだけ塗れば、すっぴんで充分よね。だって私はこれから修道女になるのだから」
普段は美しく巻かれていたヒメリアの長い栗色の髪は、修道院へ入るための覚悟を表すため、バッサリとショートヘアになっている。洋服は旅行しやすい白襟のシャツとグレーのジャンパースカート、貴重品を収めたウエストタイプの小さなバッグ。その姿は旅行者特有のものだが、伯爵令嬢には見えない質素さだ。
顔はノーメイクで、パーティー会場の華と呼ばれていたヒメリアの面影は消え失せていた。だが、生来の柔らかい少女的な魅力があり、まるで本物の聖女のようでもあった。
「ヒメリアお嬢様、本当にこの国から出て行かれるのですか? 大陸の修道院で一生シスターとして、余生を過ごしたいとのことですが。ご両親はもちろん使用人も皆、心配しているんですよ」
「ごめんなさい、迷惑かけているのは分かっているわ。けれど私は神様から、大陸で祈りに専念するようにと勅命を受けているの。神の思し召しに従うべきなのです」
メイド達に決意を判らせるために、小さな聖書を胸に抱いてロザリオで祈りを唱えると、信仰深いメイドの数人は感動して涙を流し始めた。
「あぁっ! お嬢様は、なんと信仰深くお優しい方なのでしょう。まさか王太子の新たな恋人に王妃の座を譲るために、自ら遠い国の修道院に行くなんてっ」
ヒメリアの両親やルーイン家の使用人達は、必死にヒメリアを止めようとした。しかし、島を守る神の意思に従うと伝えれば、逆える者は少ない。それでもヒメリアの身を案じて、引き止める使用人もいたが……。
「もし王太子が他の女性と婚姻されるのであれば、ヒメリア様には別の縁談を取り付けるとの話もありますが。大陸の貴族様がぜひ妻に……と。海外から迎えが来るまで待たれてはどうでしょう?」
「まだ、間に合いますよ。ヒメリアお嬢様!」
別の縁談がうまくいったことは、過去四回のタイムリープにおいて一度もない。小国とはいえ王太子の元婚約者を貰い受けるような者は、外国くらいしかいない。そしてここは、移動に制限がかかりやすい島国なのだ。
計画の中断はヒメリアだけでなく、一族全員の滅亡を導いてしまう。ヒメリアは控えめな態度で……。
「派手な社交界には未練がないの……でも気遣ってくれてありがとう」
と、うまく誤魔化した。
* * *
窓の向こうを見ると家の門の入り口に迎えの馬車が用意されて、いよいよ旅立つ時間が来た。ヒメリアはようやく一族の破滅から逃れられると安堵しながら、カートとボストンバッグを手に部屋を出る。
「お父様、お母様、今までありがとうございました。みんなも御元気で」
「ヒメリア、修道院ではすぐに正式なシスターになるわけではない。お父さんは、お前が戻ってこられるように、ずっと神様にお祈りするつもりだよ」
「あぁっ! ヒメリア可哀想にっ。お母さんはね、お前がこの島から出ていくなんて心配で心配で……。どうして私の可愛い娘が……うぅ」
名残惜しさを堪えて涙の別れを済ませた後は、すぐさま護衛付きの馬車に乗り込む……が。
その様子を暗い目で見つめる新入りのメイドが一人。
――ヒメリアの逃亡は、まだ成功しているわけではないのである。
「……つまり、爺やの見解ではヒメリアが、この国から脱出するのに手間取ると思っているのだろう? フィオナの洗脳魔法のこともあるし、僕も同意見だ」
王太子クルスペーラの教育係である爺やが、聖女フィオナの暗躍により、ヒメリアの旅立ちが困難になりそうなことを示唆。
「今日は天候だけは良いですからなぁ……クルスペーラ様も出掛けるのにはちょうど良いかと」
「……爺や、気を遣わせてしまって済まない」
本来ならば、婚約破棄したクルスペーラ王太子が見送りをすることはあり得なかったが、聖女フィオナが何か企んでいるとなれば話は別。洗脳魔法除けの特別なロザリオを胸にかけて、魔法の杖を手にクルスペーラは立ち上がる。今更未練がましい自分に苦笑いしつつ、『お忍びで出かける』準備を始めた。
* * *
同刻、ヒメリアもまた旅立ちに向けて、順調に身支度をしていた。
「これでよし、髪も切ったし。顔も日焼け止めだけ塗れば、すっぴんで充分よね。だって私はこれから修道女になるのだから」
普段は美しく巻かれていたヒメリアの長い栗色の髪は、修道院へ入るための覚悟を表すため、バッサリとショートヘアになっている。洋服は旅行しやすい白襟のシャツとグレーのジャンパースカート、貴重品を収めたウエストタイプの小さなバッグ。その姿は旅行者特有のものだが、伯爵令嬢には見えない質素さだ。
顔はノーメイクで、パーティー会場の華と呼ばれていたヒメリアの面影は消え失せていた。だが、生来の柔らかい少女的な魅力があり、まるで本物の聖女のようでもあった。
「ヒメリアお嬢様、本当にこの国から出て行かれるのですか? 大陸の修道院で一生シスターとして、余生を過ごしたいとのことですが。ご両親はもちろん使用人も皆、心配しているんですよ」
「ごめんなさい、迷惑かけているのは分かっているわ。けれど私は神様から、大陸で祈りに専念するようにと勅命を受けているの。神の思し召しに従うべきなのです」
メイド達に決意を判らせるために、小さな聖書を胸に抱いてロザリオで祈りを唱えると、信仰深いメイドの数人は感動して涙を流し始めた。
「あぁっ! お嬢様は、なんと信仰深くお優しい方なのでしょう。まさか王太子の新たな恋人に王妃の座を譲るために、自ら遠い国の修道院に行くなんてっ」
ヒメリアの両親やルーイン家の使用人達は、必死にヒメリアを止めようとした。しかし、島を守る神の意思に従うと伝えれば、逆える者は少ない。それでもヒメリアの身を案じて、引き止める使用人もいたが……。
「もし王太子が他の女性と婚姻されるのであれば、ヒメリア様には別の縁談を取り付けるとの話もありますが。大陸の貴族様がぜひ妻に……と。海外から迎えが来るまで待たれてはどうでしょう?」
「まだ、間に合いますよ。ヒメリアお嬢様!」
別の縁談がうまくいったことは、過去四回のタイムリープにおいて一度もない。小国とはいえ王太子の元婚約者を貰い受けるような者は、外国くらいしかいない。そしてここは、移動に制限がかかりやすい島国なのだ。
計画の中断はヒメリアだけでなく、一族全員の滅亡を導いてしまう。ヒメリアは控えめな態度で……。
「派手な社交界には未練がないの……でも気遣ってくれてありがとう」
と、うまく誤魔化した。
* * *
窓の向こうを見ると家の門の入り口に迎えの馬車が用意されて、いよいよ旅立つ時間が来た。ヒメリアはようやく一族の破滅から逃れられると安堵しながら、カートとボストンバッグを手に部屋を出る。
「お父様、お母様、今までありがとうございました。みんなも御元気で」
「ヒメリア、修道院ではすぐに正式なシスターになるわけではない。お父さんは、お前が戻ってこられるように、ずっと神様にお祈りするつもりだよ」
「あぁっ! ヒメリア可哀想にっ。お母さんはね、お前がこの島から出ていくなんて心配で心配で……。どうして私の可愛い娘が……うぅ」
名残惜しさを堪えて涙の別れを済ませた後は、すぐさま護衛付きの馬車に乗り込む……が。
その様子を暗い目で見つめる新入りのメイドが一人。
――ヒメリアの逃亡は、まだ成功しているわけではないのである。
1
お気に入りに追加
925
あなたにおすすめの小説
完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
お飾り公爵夫人の憂鬱
初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。
私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。
やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。
そう自由……自由になるはずだったのに……
※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です
※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません
※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります
あなたをかばって顔に傷を負ったら婚約破棄ですか、なおその後
アソビのココロ
恋愛
「その顔では抱けんのだ。わかるかシンシア」 侯爵令嬢シンシアは婚約者であるバーナビー王太子を暴漢から救ったが、その際顔に大ケガを負ってしまい、婚約破棄された。身軽になったシンシアは冒険者を志して辺境へ行く。そこに出会いがあった。
前世の記憶を取り戻したら貴男が好きじゃなくなりました
砂礫レキ
恋愛
公爵令嬢エミア・シュタイトは婚約者である第二王子アリオス・ルーンファクトを心から愛していた。
けれど幼い頃からの恋心をアリオスは手酷く否定し続ける。その度にエミアの心は傷つき自己嫌悪が深くなっていった。
そして婚約から十年経った時「お前は俺の子を産むだけの存在にしか過ぎない」とアリオスに言われエミアの自尊心は限界を迎える。
消えてしまいたいと強く願った彼女は己の人格と引き換えに前世の記憶を取り戻した。
救国の聖女「エミヤ」の記憶を。
表紙は三日月アルペジオ様からお借りしています。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。
七辻ゆゆ
ファンタジー
「偽聖女リーリエ、おまえとの婚約を破棄する。衛兵、偽聖女を地下牢に入れよ!」
リーリエは喜んだ。
「じゆ……、じゆう……自由だわ……!」
もう教会で一日中祈り続けなくてもいいのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる