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 リヒトに校内を一通り案内してもらった頃にはすっかり日が傾いていた。
 一緒に寮へ戻ると、リヒトは「夕飯一緒にどうですか」と誘ってくれた。ぶんぶん振れている尻尾の幻覚が見える朗らかな笑顔での誘いを断るのは心苦しかったけれど、カレルとの約束を守るべく首を横に振った。リヒトは気を悪くした様子はちっとも見せず、爽やかな笑顔で手を振ってくれた。
 部屋に戻ってもまだカレルの姿はなかった。ガーディアンズの会議が続いているのか、もしかしたら別の用事もあるのかもしれない。
 そういえば、カレルはどのタイミングでユーティアの水やりを行なっているのだろうか。まさに今だったりするだろうか。
 またあの美しい花の様子を見にいきたいから、カレルが帰ってきたら聞いてみようと思いつつ、部屋を見渡して、セツははたと思った。

「す、座れる場所がない……」

 日頃カレルが使っている空間に立ち入るだけでも恐れ多いのに、椅子やベッドに勝手に腰を下ろすなんてのはもってのほか。
 (いや、まぁ、それも今更と言えば今更なんだけど……)
 実際カレルにも指摘されたが、セツは王宮のカレルの私室で、とんでもないことをして、盛大に汚して、一緒に寝ている。それでもやっぱり躊躇が晴れることはなくて、ならば床か、とベッドのそばで三角座りをしてみる。

「……」

 床を見つめてみる。

「…………」

 窓を見つめてみる。

「………………」

 ドアの方を見つめてみる。
(どっちにしても落ち着かない……!)
 腰を落ち着かせてみても、また別の考えがセツをそわつかせた。

「今夜、するんだよなぁ……」

 足の親指を擦り合わせながらぽつりと零す。口にしてみると、余計に意識してしまって心臓がうるさくなる。

「するなら、準備した方がいいのでは……?」

 しかし準備をするとしてどこですればいいのだろうか。この部屋の中には廊下に繋がっているもの以外にももうひとつドアがある。おそらくそこに洗面所とかお風呂とかトイレがあるのだろう。ゲーム内で見たリヒトが生活する二人部屋にもそういった設えの描写があった。
 だが、準備をしてそこを汚してしまうのはいかがなものか。だからといって共用トイレや大浴場を使うわけにもいかないし……。
 一応、荷物として持ってきたバッグの中にそれに必要な道具入れてきたけれど、準備する場所のことなど一切考えていなかった。

「こ、困った……」
「なにが」
「どこでしようかと……え?」

 顔を上げると、いつの間にかドアが開いていて、そこにカレルが立っていた。

「カカカカカレルサンドウモオカエリナサイ」
「なにが困ったんだ」
「ナナナナナニモコマッテナイデス」
「堂々と嘘を吐くな」

 青空の瞳を眇めたカレルが「つうかなんで床に座ってる」と言いながら、手に持っていた大きな包みをテーブルに置いた。

「床以外に座る場所がなくて」
「椅子もベッドもあるだろ」
「カレルのものを勝手に使うのには躊躇いがありまして」
「どうせこれから使うのに」
「どうせこれから使うとしても……ぅえっ!?」

 ふいにカレルがセツに手を掴んだかと思うと引き上げた。そして、セツをベッドの方にぶんと放り投げた。
 反射的に目を瞑れば、シーツとマットレスがセツの体を受け止める感触がした。次いで目を開ければ、セツの真上にカレルが覆い被さっていた。
 なんというデジャヴ。夢か現実かこれから早速する気なのかと目を瞬かせるセツを見下ろしながら、カレルが瞳を細めた。

「なにが、困った」
「な、なんでそんなに聞くの」
「その動揺っぷりをみるに、夜伽のことだろう」
「う」
「分かりやすすぎ」
「やっぱり俺、わかりやすいんだ……」
「何を今更」
「今更なんだ……」
「そんなことより。夜伽のことなら、俺にも関係がある」

 正論かもしれないけれど、この件においてはセツだけの問題と言えなくもないのではないか。
 そう思うもカレルにじっと見つめられると誤魔化しの言葉が何も出てこなくなってしまう。

「……準備、どうしようかと、思って」
「準備」
「するなら必要だと思ったけど、する場所に困った、みたいな、話です……」

 自白している途中で耐え難くて堪らなくなったけれど、カレルの瞳から逸らせるはずもなく、美しい青に情けない自分の顔が反射した。
 カレルは変わらない表情でセツを見つめ、無言の間がしばし落ちる。
 気まずさになにか言おうかと思ったそのとき、カレルがセツの顎を掴んだ。

「部屋に風呂がついている。準備はそこで一緒にする」
「一緒に……一緒に!?」
「だから困ったことは何もないし心配することもない」

 カレルがふんと鼻を鳴らして、セツの上から退く。それからテーブルの包みを解き出す。
(一緒に準備するって)
 本で読んだあれやこれやという準備のすべてを、カレルに見られながらするということだろうか。
 想像しようとするたびに思考回路がショートする。
(それって困ったことと心配なことが変わっただけでは)
 セツはしばらくベッドの上から動くことができなかった。
 カレルに「夕飯食べるぞ」と促されてようやく体を起こしはしたものの、次いで「きちんと食べないともたないだろ」と言われたセツの動揺が止むことはなかった。
 カレルが食堂から持ち帰ってきたメニューはそれはもう美味しそうなハンバーグとパンだったのだが、今のセツには当然その味を認識する余裕などなかった。
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