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 もともと着替え程度の荷物しか持ってきていなかったからさほどかからず荷解きは終わった。その頃にはセツの心臓も少しは落ち着いた。
 あれはカレルなりの揶揄だったのだろうがセツには効果抜群すぎた。ともすればしばらく再起不能になりかねないほどで、ちょっぴり抑えて欲しい気持ちがないこともないのだが、しかしカレルから供給されるものを拒むのはなかなか難しい。心臓が持たなくても再起不能になりかねなくても、カレルが齎してくれるものはすべて享受したい、セツが彼にできることがあるならすべて行いたい、だって推しだもの。
 それでもどうして、推しと夜伽をすることになるなんて展開を想像できようか。しかし昨夜の予行練習で、情事の中のカレルの姿を、カレルが与えてくれる快楽を知ってしまったセツは今夜するであろう交わりに対して、楽しみ……ともまた違うが、なんというか、好奇心めいたものを抱いてしまっている。傍にはずっと引け目があるのにもかかわらず、カレルと繋がるかもしれないと思うと、未知の体験に思いを馳せると、セツの熱は上がり、動悸が高鳴り、取り戻した落ち着きがまた遠のきかける。
(いけないいけない)
 顔を横にぶんぶんと振って、セツはすくっと立ち上がり、心を無にして空になった段ボールをたたんだ。

「終わったか」
「うん」
「じゃあ、昼食べに行くぞ」

 花の手入れに移動に荷解きにと思えば朝食を食べてからそれなりの時間が経過していた。ぼうっとしてしっかりとは聞き取れていなかったが、荷解き前にカレルが食堂が云々と言っていた気がする。
 ゲーム内でも同じ寮のヒロインと食堂で食事をするシーンがあるのだが、料理のグラフィックがかなりよくてとても美味しそうな印象があった。一番気になっていたのはデミグラスソースがかかったオムライスで、思い浮かべたら、腹の虫が小さく鳴り、空腹を実感した。
 連れ立って部屋を出て、先に来た道を戻り一階を目指す。

「サマーホリデーなのに食堂開いてるんだ」
「頭と終わりだけな。事情があって帰省が遅めの生徒や早めに帰ってくる生徒のためらしい」
「事情」
「終わりの方はガーディアンズ。頭の方は補習。まぁ、家庭の事情ってやつでそもそも帰らないのもいるがな」

 食堂にたどり着くと、席はぽつぽつと埋まっていた。

「あれ」

 その中に覚えのある顔を見つけた。奥の方の席に座るその人に視線を向ければ気付いたのか、相手もこちらを向く——主人公・リヒトだ。
 彼は目を丸く見開くと、ぱっと席を立ってこちらに近づいてきた。

「え、なんでセツさんがここに? もしかしてお花屋さんのお仕事ですか?」
「俺より先にセツに話しかけるのかよ」

 呆れたようにそう言ったカレルの声のトーンは先よりもわずかに上がっていて、外行きのやわらかさを孕んでいた。

「いやぁ、びっくりしちゃって。昨日振りだな、カレル」
「というか、なんでここにはこっちのセリフでもあるんだけど。まだサマーホリデーは終わってないぞ。あ、終了日勘違いしてたとか?」
「勘違いしてないし。カレルの誕生パーティーに出るために早めに帰省を切り上げたんです~。昨日から寮生活に戻ってんの」
「それはどうも」
「あ、帰省土産買ってきたからあとで渡すね」

 笑顔で気安いやり取りを交わすカレルに、セツは心の中でシャッターを切りつつ、この世界の主人公はジュノー寮生だったのかと思いつつ、そっと後ずさっていたのだが。

「それで、セツさんは? なんでここにいるんですか」

 リヒトに声をかけられてセツの足はぴたりと止まる。カレルの視線もセツの方に向く。その眼差しがゆっくりと下され、先とは変わったセツの立ち位置を捉えた。

「一緒に昼食を食べにきたんだけど……セツはどこに行くつもりかな」

 穏やかな声の問いかけにセツの心臓はどきりと跳ねる。

「い、いやぁ、あとはお若い二人でどうかと思ったんだけど」
「なんですか、それ。お見合いじゃあるまいし」

 リヒトがくすくすと笑う。セツとしては、カレルが心置きなく友人との時間を過ごせるよう距離を置いて気遣いたかったのだが。

「っていうか、セツさんもそう歳変わらないでしょ」
「一応、二つ上だよ」
「え、まじですか。同い年くらいだと思ってた」
「あー、まぁ、幼顔とはたしかに言われたことはあるかな」

 主にリュカに。「セツって幼顔だよね。見ているとお菓子をあげたくなる」と実際にクッキーの詰め合わせを渡されたり「アンナがセツにかわいらしい服を着せてみたいって話していたよ。あのお顔立ちなら絶対似合うと思うの、って。我が妃のために一肌脱いでみないかい?」と冗談半分に迫られたこともあった。
 セツとしては自分の顔立ちは一モブらしい平々凡々なものだと思うし、そもそもとして、リュカと比べたら誰だって幼く見えるというものではないだろうか。リュカは第一王子としての威厳と教養をその身に携え、振る舞いや顔つきには常にそこいらの大人顔負けの落ち着きと精悍さがある。王子として仕事をしている姿を見ているときなんかは特に、本当に同い年なのか自分なんかが気安く話しかけていい存在なのかと不思議な気持ちを覚える。だが、セツを捉えた彼が向けてくる笑顔はいつだって紛れもなく友人のそれだった。

「ですよね、制服もすごく似合ってますし……ん、制服?」

 と、リヒトは今、セツが魔法学校の制服を纏っていることに気づいたらしい。

「もしかして、セツさん編入してくるんですか?」

 瞳を煌めかせたリヒトが一歩セツの方迫ってくる。さすが恋愛ゲームの主人公、人懐こく相手と距離を詰めることへの躊躇いがない、そしてそこに嫌な感じもしない。

「えっと俺は」
「セツは俺の世話係として、今日から俺の部屋に一緒に住んでもらうんだ」

 セツが答えるより先に、カレルがそう言った。
 その声にほんの少し違和感を覚えて顔を上げると、カレルは変わらないやわらかな笑顔を浮かべている。セツは内心で首を捻った。
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