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「俺が入っていいの」
「入らないでどうやって花を見る」
「それは、そうだけれど」
「……それとも、入りたくないのか」
「カレルの秘密基地だろ、ここ」
カレルの瞼がわずかに持ち上がる。夜の光と青空色が絡み合う瞳はいっそ恐ろしいほどに神秘的で美しい。
「俺は、カレルが触れてほしくないところには触れたくない」
見つめ合ったまま、静かな時間が流れていく。時折やわらかな夜風が吹くと、草花が内緒話をするように擦れ合うのが聞こえた。
こつ、とカレルが靴を鳴らしてコンサバトリーから一歩出てくる。
やっぱり思い直したのかとセツが後退ろうとしたら、カレルがセツの手首を掴んだ。そしてカレルはそのまま、コンサバトリーの中へとセツを引き入れた。
カレルがコンサバトリーの扉を閉じると、外の音が一切聞こえなくなった。
「触れてほしくなかったら、連れてきてない」
ぽつりとカレルは呟き、セツの手首を掴んだまま、歩き出す。
(ここはもうカレルの秘密基地じゃなくなったってこと?)
たしかにあれ以来、カレルがここを秘密基地と呼んでいるのを聞いていない。そして、カレルが秘密基地と呼ぶものを無闇に探ってはならないと思っていたから、セツはこのコンサバトリーの正体について他の誰にも尋ねたことがない。
けれどもし、もうここがカレルの秘密基地ではないとするのなら、このコンサバトリーはもともとカレル個人の所有物ではなかったとか、客人を立ち入れることができない特別なコンサバトリーを自分のテリトリーにしたかった幼いカレルの戯れにすぎなかったとか、そういうことだろうか。それはそれでとってもかわいいけれど。
しかし未だに禁忌に立ち入ってしまった罪悪と倒錯が混ざったような不思議な心地がある。それに加え手首を掴むカレルの温度や感触に、セツは鼓動を逸らせたまま、広々としたコンサバトリーを進んでいく。
あたりには様々な花々が咲いていた。珍しい品種や育てにくいものもあったが、しかしそのどれもが鮮やかにみずみずしく咲いていて、とても丁寧に世話されていることが伝わる。
しばらくして辿り着いた最奥にあったのは、丸テーブルとその中央に鎮座する鉢植え。そこに咲くのは、鈴のような形をした白い花。
「これってまさか、ユーティア?」
セツは驚いた。ユーティア——言わずもがなモデルは鈴蘭なのだろうが、この世界では非常に貴重かつゲーム内でもミレーというヒロインを攻略する際のキーアイテムとなる花なのである。
ミレーは有名な魔法士一家の令嬢で、大魔法士である父を尊敬し、父のような強い力を持って弱きを守る存在になりたいと才能を磨いてきた。しかし、魔法学校に入学してすぐにミレーの父が魔族の悪事に加担していたこと、そして立派に育ったミレーのことも利用しようと企てていたことが判明してしまう。その後母は夜逃げし、ミレーは魔法学校の学長に引き取られるが、尊敬していた父の裏切りにひどく傷ついて心を閉ざし、授業には出席せず図書室に引きこもるようになった。それでいて魔法学の成績は常にトップ、魔族との争いの場には積極的に姿を表し常に一番の戦績をあげることから周囲からは「恩讐の魔法狂」なんて呼ばれるようになった。
そんな彼女に愛を伝えるアイテムとしてユーティアは登場する。ユーティアはまず種の入手から困難である。ユーティアはここからはるか北にある雪と氷に覆われた土地の地中で、極稀に突然的に発生するのだ。それでも、年に二、三度は発見の知らせが出回るのだが、しかし、この種のさらに難儀なところは市場に流通させられないこと。
ユーティアはとても不思議な花で、最初に種と目があった者を親だと認知する、インプリンティングを持っているのだ。そして親と認知した者のてずから毎日同じ時間に、同じ量だけ水を注がれることで、およそ十から二十年をかけてユーティアは白い鈴のような美しい花を咲かせる。花が完全に膨らむと落ち、神が地上に舞い降りるような高らかな音を鳴らして美しい宝石となる。
よって花の方は市場に出回ることもあるのだが、極々稀なうえに目が飛び出るほどの額である。なにせ、少しでも水やりの時間や量がずれればユーティアは萎れるし、親以外が水を注いだり触れたりすれば黒い瘴気を放つ毒花となる。育成も非常に困難な上、そこまでして育てた親は大概我が子を売りに出さない。売りに出ているユーティアは高確率で遺品整理の産物と呼ばれている。
ミレールートのトゥルーエンドを目指す際に、主人公は誰のことも信じられなくなってしまったミレーに愛を証明するためにこの難儀な花を育て贈ることを決意する。ゲーム上では種を入手するべく北へ向かうため複数のイベントを捨てることになり、種を手に入れたら入れたで夜行動が制限されステータス育成が非常に困難になる。ステータスが足りていなかったら終盤にあるミレーの父親との対決イベントで敗北しバッドエンドとなってしまう、非常に難易度の高いルートとなる。
「現物を見るのははじめてだ……すごい、綺麗……え、もしかしてこれ、カレルが育ててるの?」
「じゃなかったらお前に助言を求めたりしない」
「じゃあ、北の地まで種取りに行ったの!? いつの間に!? しかもそれをよくここまで……こんなに花がこれだけ大きくなっているってことは、もう四、五年くらい育ててるよね?」
「まぁ、そんくらい」
「魔法学校に通いながらでしょ。すごい……やっぱりカレルは真面目で健気で……う、ちょっと涙出てきそう」
「そんなことより……ここ」
カレルが指さしたのは、右側の葉のふち。たしかにしんなりと褪せている。
「この間、どうしても外せない用事があって……水やりがいつもより一分遅れてしまったんだ。それ以降はきっちり守ってるが、元気になる兆しがない。育成法を見る限り、他人が触れない限りは回復の余地があると思ったんだが……お前から見てどうだ。もう取り返しがつかないものか」
「うーん、俺もユーティアは紙上の知識しかないからなぁ……それに育成成功例自体そう多くないからまだ謎の多い花だし」
セツも出回っている育成法は目を通したが、どの書物でも親の失敗はあくまで萎れるという記載のみ。しかし、水の量を調整するわけにもいかないし、土や鉢植えなどの環境を変えるのもたしかNGのはず。ユーティアはひたすらに一途な花なのだ。
「そういえば」
セツはふと、あることを思い出した。
「一秒の失敗は一週のツケ」
「なんだそれ」
「たしか、三歳くらいのときだったかな。遠くに住む父さんの友人がユーティアの育成に成功したっていう便りを送ってきたことがあって。それを読んだ父さんが「一秒の失敗は一週のツケか。やっぱり手厳しい花だな」って言ってた」
まさか、前世の記憶が戻るよりも前の思い出がこんなところで役立つとは。
「三歳って……よくそんなこと覚えてるな、お前」
「記憶力は悪い方じゃないんだよね。おかげで俺の中のカレル美貌録もかなり鮮明なわけですよ」
カレル美貌録とは、カレルの麗しい瞬間を記録しているいわば脳内アルバムである。ゲーム内で見てきたものも、転生してから見てきたものも、あの表情が声が言葉がいつどんな場面でのものだったかのか、かなり細かく鮮明に思い出せる自信がある。
「……今の俺が見れれば十分だろ」
「そりゃあ常に今この瞬間のカレルが最高に決まってるけど。でも、全部のカレルが欲しいんだもん」
そう返すと、カレルは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
「入らないでどうやって花を見る」
「それは、そうだけれど」
「……それとも、入りたくないのか」
「カレルの秘密基地だろ、ここ」
カレルの瞼がわずかに持ち上がる。夜の光と青空色が絡み合う瞳はいっそ恐ろしいほどに神秘的で美しい。
「俺は、カレルが触れてほしくないところには触れたくない」
見つめ合ったまま、静かな時間が流れていく。時折やわらかな夜風が吹くと、草花が内緒話をするように擦れ合うのが聞こえた。
こつ、とカレルが靴を鳴らしてコンサバトリーから一歩出てくる。
やっぱり思い直したのかとセツが後退ろうとしたら、カレルがセツの手首を掴んだ。そしてカレルはそのまま、コンサバトリーの中へとセツを引き入れた。
カレルがコンサバトリーの扉を閉じると、外の音が一切聞こえなくなった。
「触れてほしくなかったら、連れてきてない」
ぽつりとカレルは呟き、セツの手首を掴んだまま、歩き出す。
(ここはもうカレルの秘密基地じゃなくなったってこと?)
たしかにあれ以来、カレルがここを秘密基地と呼んでいるのを聞いていない。そして、カレルが秘密基地と呼ぶものを無闇に探ってはならないと思っていたから、セツはこのコンサバトリーの正体について他の誰にも尋ねたことがない。
けれどもし、もうここがカレルの秘密基地ではないとするのなら、このコンサバトリーはもともとカレル個人の所有物ではなかったとか、客人を立ち入れることができない特別なコンサバトリーを自分のテリトリーにしたかった幼いカレルの戯れにすぎなかったとか、そういうことだろうか。それはそれでとってもかわいいけれど。
しかし未だに禁忌に立ち入ってしまった罪悪と倒錯が混ざったような不思議な心地がある。それに加え手首を掴むカレルの温度や感触に、セツは鼓動を逸らせたまま、広々としたコンサバトリーを進んでいく。
あたりには様々な花々が咲いていた。珍しい品種や育てにくいものもあったが、しかしそのどれもが鮮やかにみずみずしく咲いていて、とても丁寧に世話されていることが伝わる。
しばらくして辿り着いた最奥にあったのは、丸テーブルとその中央に鎮座する鉢植え。そこに咲くのは、鈴のような形をした白い花。
「これってまさか、ユーティア?」
セツは驚いた。ユーティア——言わずもがなモデルは鈴蘭なのだろうが、この世界では非常に貴重かつゲーム内でもミレーというヒロインを攻略する際のキーアイテムとなる花なのである。
ミレーは有名な魔法士一家の令嬢で、大魔法士である父を尊敬し、父のような強い力を持って弱きを守る存在になりたいと才能を磨いてきた。しかし、魔法学校に入学してすぐにミレーの父が魔族の悪事に加担していたこと、そして立派に育ったミレーのことも利用しようと企てていたことが判明してしまう。その後母は夜逃げし、ミレーは魔法学校の学長に引き取られるが、尊敬していた父の裏切りにひどく傷ついて心を閉ざし、授業には出席せず図書室に引きこもるようになった。それでいて魔法学の成績は常にトップ、魔族との争いの場には積極的に姿を表し常に一番の戦績をあげることから周囲からは「恩讐の魔法狂」なんて呼ばれるようになった。
そんな彼女に愛を伝えるアイテムとしてユーティアは登場する。ユーティアはまず種の入手から困難である。ユーティアはここからはるか北にある雪と氷に覆われた土地の地中で、極稀に突然的に発生するのだ。それでも、年に二、三度は発見の知らせが出回るのだが、しかし、この種のさらに難儀なところは市場に流通させられないこと。
ユーティアはとても不思議な花で、最初に種と目があった者を親だと認知する、インプリンティングを持っているのだ。そして親と認知した者のてずから毎日同じ時間に、同じ量だけ水を注がれることで、およそ十から二十年をかけてユーティアは白い鈴のような美しい花を咲かせる。花が完全に膨らむと落ち、神が地上に舞い降りるような高らかな音を鳴らして美しい宝石となる。
よって花の方は市場に出回ることもあるのだが、極々稀なうえに目が飛び出るほどの額である。なにせ、少しでも水やりの時間や量がずれればユーティアは萎れるし、親以外が水を注いだり触れたりすれば黒い瘴気を放つ毒花となる。育成も非常に困難な上、そこまでして育てた親は大概我が子を売りに出さない。売りに出ているユーティアは高確率で遺品整理の産物と呼ばれている。
ミレールートのトゥルーエンドを目指す際に、主人公は誰のことも信じられなくなってしまったミレーに愛を証明するためにこの難儀な花を育て贈ることを決意する。ゲーム上では種を入手するべく北へ向かうため複数のイベントを捨てることになり、種を手に入れたら入れたで夜行動が制限されステータス育成が非常に困難になる。ステータスが足りていなかったら終盤にあるミレーの父親との対決イベントで敗北しバッドエンドとなってしまう、非常に難易度の高いルートとなる。
「現物を見るのははじめてだ……すごい、綺麗……え、もしかしてこれ、カレルが育ててるの?」
「じゃなかったらお前に助言を求めたりしない」
「じゃあ、北の地まで種取りに行ったの!? いつの間に!? しかもそれをよくここまで……こんなに花がこれだけ大きくなっているってことは、もう四、五年くらい育ててるよね?」
「まぁ、そんくらい」
「魔法学校に通いながらでしょ。すごい……やっぱりカレルは真面目で健気で……う、ちょっと涙出てきそう」
「そんなことより……ここ」
カレルが指さしたのは、右側の葉のふち。たしかにしんなりと褪せている。
「この間、どうしても外せない用事があって……水やりがいつもより一分遅れてしまったんだ。それ以降はきっちり守ってるが、元気になる兆しがない。育成法を見る限り、他人が触れない限りは回復の余地があると思ったんだが……お前から見てどうだ。もう取り返しがつかないものか」
「うーん、俺もユーティアは紙上の知識しかないからなぁ……それに育成成功例自体そう多くないからまだ謎の多い花だし」
セツも出回っている育成法は目を通したが、どの書物でも親の失敗はあくまで萎れるという記載のみ。しかし、水の量を調整するわけにもいかないし、土や鉢植えなどの環境を変えるのもたしかNGのはず。ユーティアはひたすらに一途な花なのだ。
「そういえば」
セツはふと、あることを思い出した。
「一秒の失敗は一週のツケ」
「なんだそれ」
「たしか、三歳くらいのときだったかな。遠くに住む父さんの友人がユーティアの育成に成功したっていう便りを送ってきたことがあって。それを読んだ父さんが「一秒の失敗は一週のツケか。やっぱり手厳しい花だな」って言ってた」
まさか、前世の記憶が戻るよりも前の思い出がこんなところで役立つとは。
「三歳って……よくそんなこと覚えてるな、お前」
「記憶力は悪い方じゃないんだよね。おかげで俺の中のカレル美貌録もかなり鮮明なわけですよ」
カレル美貌録とは、カレルの麗しい瞬間を記録しているいわば脳内アルバムである。ゲーム内で見てきたものも、転生してから見てきたものも、あの表情が声が言葉がいつどんな場面でのものだったかのか、かなり細かく鮮明に思い出せる自信がある。
「……今の俺が見れれば十分だろ」
「そりゃあ常に今この瞬間のカレルが最高に決まってるけど。でも、全部のカレルが欲しいんだもん」
そう返すと、カレルは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
応援ありがとうございます!
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