壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第三話一九章 妖しの少年

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 ――ダメだ!
 ロウワンは絶望のあまり、目を閉ざした。
 怪物の胸、ドクドクと脈打つむき出しの心臓から放たれた幾筋もの稲妻。その稲妻がいま、自分たちを襲おうとしている。包み込み、焼き払おうとしている。
 怪物の放つすさまじいまでの怒り、恨み、憎悪と共に。
 その稲妻をかわすすべも、防ぐ手段も、ロウワンにはなかった。自分やトウナ、メリッサたち『もうひとつの輝き』の人員、そして、ビーブとビーブの仲間である山の鳥獣たち。その誰もが怪物の放つあまりにも濃密な気配に押しつぶされ、身動きひとつとれない。
 それどころか野伏のぶせ、あの野伏のぶせでさえあまりの圧にひざをつかないよう意地を通すのがやっと。太刀たちを振るうことさえ出来ない。そんなありさまでどうして、怪物の放つ幾筋もの稲妻を防げるというのか。
 防げるはずがない!
 ――くそっ! こんなところで終わるのか。
 目もくらむほどの悔しさがロウワンを襲った。
 亡道もうどうつかさとの戦いが迫っているというのに。
 天命てんめい巫女みこさまを人間に戻すと誓ったのに。
 人と人の争いを終わらせると決めたのに。
 そのうちのどれひとつとして達成出来ないうちに、わけのわからない怪物の攻撃を受けて死ななくてはならないのか。
 なんという無念。
 なんという理不尽。
 くやしくて、くやしくて、たまらない。
 しかし、その理不尽が、無念の終わりが、ロウワンの身に降りかかろうとしている。逃れられぬ定めとして襲いかかろうとしている。
 ――くそっ、なんでだ。お前はなんだ、何者なんだ? なんで、そこまでおれたちを、この世界を憎み、怒りをぶちまけようとしているんだ
 せめて、その理由が知りたい。
 もし、納得出来る理由があるのなら――。
 あきらめもつく。
 ――わけがないだろう!
 ロウワンは心のなかで叫んだ。全身にのしかかり、動きを縛る圧力に必死に あらがった。
 ――こんなところで死んでたまるか! ビーブや、トウナや、メリッサ師をこんなところで死なせてたまるか! おれは生きる、生き残る。そして必ず、亡道もうどうつかさを倒し、天命てんめい巫女みこさまを人間に戻し、人と人の争いを終わらせるんだ!
 その思いに懸けて圧力にあらがう。
 はね除けようとする。
 怪物から放たれるすさまじいばかりの怒り、恨み、憎しみ、憎悪……そのすべてに立ち向かう。
 ――くそっ! 〝鬼〟の大刀たいとうさえ使えれば……!
 この世に存在するすべてにとっての最大の脅威である〝鬼〟。その〝鬼〟の力を込められた大刀たいとう。その大刀たいとうを使い、その力を引き出すことが出来れば、いかな怪物と言えど撃退出来る。
 そのはずだった。
 しかし――。
 体が動かない。言うことを聞かない。どんなに必死に腕をあげようとしても、全身にのしかかるすさまじい圧力に動きを封じられ、腕があがらない。大刀たいとうつかをつかむことが出来ない。
 ――くそっ! 動け、動くんだ! 〝鬼〟の大刀たいとうをつかむんだ。でないとみんな、死んでしまうぞ!
 己をしたし、なんとか大刀たいとうつかをつかもうとする。だが、出来ない。すさまじい圧力に押され、どうしても腕をあげることが出来ない。そのとき――。
 「やれやれ。困るな」
 場違いなほどすずやかな声がした。
 いままでに聞いたことのない声。
 自分の声でないことはもちろん、ビーブやトウナ、メリッサたち、そして、野伏のぶせの声でもない。もちろん、山の鳥獣たちが人の言葉を発するはずもない。こんな場面だというのにやけに緊迫感のない、むしろ、どこか事態を楽しんでいるかのようなそんな声。
 「せっかく、探し当てた力の持ち主だというのに。こんな未熟な子どもだったとはね」
 同じ声がそう告げた。
 責める、というよりは、小馬鹿にした、と言う印象の声だった。
 ――な、なに……?
 ロウワンは声のした方を振り向こうとした。声のぬしをたしかめようとした。やはり、すさまじい圧力に動きを縛られ、振り向くことさえ出来ない。
 すずやかな声はつづけた。
 「とは言え……その思いの強さは見上げたものだ。それだけの思いがあるなら見込みはある。その思いに免じて、ここは助けてあげるとしよう」
 「な、なんだって……?」
 ロウワンは訳がわからないままに呟いた。ただそれだけのことにも体ほどもある岩を持ちあげるほどの力が必要だった。
 怪物の放った稲妻が軌道をかえた。ロウワンたちを襲い、打ちのめし、皆殺しにするはずだった稲妻。その稲妻がひとつに束なり、どこへともなく吸い込まれていく。幾筋もの荒れ狂う川がひとつになり、地面に空いた大穴に吸い込まれていくかのように。
 ここに至ってロウワンはようやく、振り向くことが出来た。声のぬしをたしかめることが出来た。そこにいたのはひとりの少年。歳の頃は一五、六と言ったところか。ロウワンよりは年上だが、それでもまだ、ほんの子どもとされる年頃の少年だった。
 美しい少年だった。
 やけに、なまめかしい少年だった。
 肌の色は信じられないほどに白く、そのなかに咲いた薔薇のような唇は、絶えず流れる血によって染めあげられているかのように紅い。その唇は心なしか両端が持ちあがっているようで、あるかなしかのかすかな微笑をたたえているかのように見える。
 ゆったりとした布服をまとい、腰のところで帯でとめている。まるで、東方世界の仙人のような服装。えりもとはほのかにはだけられ、そこからのぞく胸がやはり、驚くほどに白く、なまめかしい。
 白銀の髪を結いあげ、揺れものかんざしを一本、差している。棒先からさげられた銀の小片が風に揺れ、しゃらしゃらと音を立てている。
 少年と言うよりも、少年の成りをした絶世の美女。
 そう言われた方がむしろ納得出来る、それほどに不思議な色香を漂わせた少年だった。
 そして――。
 怪物の放った稲妻はその少年ののどもと、そこにぽっかりと空いた穴に吸い込まれていた。
 ――な、なんだ、あれは?
 ロウワンはその異様な光景に目を見張った。
 少年ののどもとに空いた穴。それは、正確には穴ではなかった。それはわかる。しかし、穴でないならなんなのか。
 そう言われると皆目、見当がつかない。
 〝鬼〟や、目の前の怪物とはまたちがう意味でのこの世ならざる存在。
 ロウワンの目に少年はそう見えた。
 その少年は紅玉こうぎょくのような紅い瞳に面白がっているような光をたたえながら、言った。
 「人の身に七曜しちようくうあり。そのうちのひとつ。万物を呑み干す土曜のくう
 怪物の放った稲妻のすべてが、少年の言うくうに呑み込まれた。少年は前に進み出た。まるで、ロウワンたちなどその場にいないかのように。その紅玉こうぎょくの瞳はただ眼前の巨大な怪物だけを見据えている。
 少年はひだりえりに手をかけた。大きくはだけて見せた。驚くほどに白く、なまめかしい、それでもたしかに少年のものである平たい胸が現れた。
 「心の臓に宿るは日曜のくう。その威光をもって万物を滅する」
 少年の胸、ちょうど心臓に当たる位置に穴が現れた。
 いや、ちがう。
 『現れた』のではない。
 『失われた』のだ。
 少年の胸の一部が失われ、消滅した。そのために、その場が虚空こくうで満たされたのだ。
 少年の胸の虚空こくうからなにかの力が放たれた。
 それは言わば、目に見えない輝き。
 感じることの出来ない灼熱しゃくねつ
 その力が大きく広がり、山ほどもある巨大な怪物を包み込む。
 ッ……、
 ッ……。
 怪物が呻いた。信じられないほどの恨みに満ちた声か響いた。その声ひとつでこの山地一帯が汚染され、腐り果ててしまう。そんな予感さえ抱かせる声だった。
 その声に包まれながら――。
 怪物はその姿を消した。
 現れたときと同じく、なんの前触れもないままに。
 「……消えた?」
 ロウワンが呟いた。
 「倒した……のか?」
 「まさか」
 と、少年は答えた。あるかなしかのほのかな微笑をたたえた唇から、かの特有の小馬鹿にするかのような声がつむぎ出された。
 「この程度の力で倒せる相手じゃない。現にこの山地を包み込む濃密な気配。それはまだ、そのままだろう?」
 「そう言えば……」
 ロウワンはあたりの気配を確かめた。
 怪物が姿を消した分、少しは軽くなったのか、体が動くようにはなった。しかし、ずっと立ちこめている気配、ビーブを弱らせ、ロウワンたちを不快にさせてきた気配はまだそのままに残っている。
 「そういうことだ。思わぬ反撃に一時、姿を消しただけ。『アレ』は、〝すさまじきもの〟は、まだこの世に在るままだ」
 「〝すさまじきもの〟……」
 「それより」
 と、少年はロウワンに向き直った。すべてを面白がっているかのような紅玉こうぎょくの瞳に、やや手厳しい笑みが浮いていた。
 「がっかりだよ。せっかく、興味深い力を感じてやってきたのに、その力の持ち主が、ろくに力を扱うことも出来ないお子さまとはね」
 「なっ……」
 「ちょっと!」
 わざと相手を侮辱ぶじょくしているとしか思えない少年の言い草に、トウナが腹を立てた。眉を吊りあげて怒鳴った。
 「ずいぶんと失礼じゃない。あなた、いったい、何者なの?」
 言われて少年はトウナを見た。紅玉こうぎょくの瞳に笑みを浮かべた。ロウワンに向けたのとはちがい、にこやかで好意的な笑みだった。
 「これは失礼しました。美しいお嬢さん」
 少年はトウナに近づいた。トウナの手をとった。その仕種があまりにも自然で手慣れていたために、トウナもきょを突かれてしまい、振りほどくことさえ出来なかった。
 少年はそのままトウナの手の甲に口づけをした。
 ぞわっ。
 音を立ててトウナの全身に鳥肌が立った。手を振り払った。全身で飛び退いて逃げた。そのまわりではメリッサたち、『もうひとつの輝き』の女性たちも気色悪そうに身を引いている。
 ロウワン、ビーブ、野伏のぶせたち男性陣も、そのあまりな態度に怒ることもできずに呆気あっけにとられてしまっている。
 クスリ、と、少年は笑った。
 一行の反応を楽しんでいるらしい。
 少年は再び、ロウワンに向き直った。
 白い布地に水色の縁取りをした衣服が目にまぶしい。
 「だけど、君もなかなかに失礼だね」
 「えっ?」
 「僕は君たちを助けた。火をおこして茶を振る舞い、礼を述べるぐらいのことはしてくれてもいいんじゃないかな?」
 少年はあるかなしかの微笑をたたえ、すずやかにそう言った。
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