壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第三話二〇章 空狩りの行者

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 「空狩くうがりの行者ぎょうじゃ。僕のことはそう呼んでくれればいい。行者ぎょうじゃ、とね」
 仙人風の出で立ちの美しい少年――行者ぎょうじゃは自分のことをそう名乗った。
 行者ぎょうじゃに言われるままに山のなかに火をおこし、茶をれて、ロウワンが一同を代表して礼を述べたあとのことだった。
 行者ぎょうじゃ
 それが、人の名前でないことはもちろん皆、わかっている。では、本名はなんなのか。その点を尋ねるものはひとりもいなかった。本名を名乗らない以上、それなりの理由があるのだろう。その点を詮索せんさくするのは野暮やぼというもの。そもそも、そんな私的なことを尋ねられるほど親しい仲でもない。つい先ほど、出会ったばかりの相手なのだ。そのような非礼はつつしむべきだった。
 「ああ、もちろん」
 ロウワンたちの思いを知ってか知らずか、行者ぎょうじゃはにこやかに付け加えた。
 「大いなる敬愛の念を込めて『行者ぎょうじゃさま』と呼んでくれても、ちっともかまわないよ」
 驚くほど白い肌を、炎の照り返しを受けて紅く輝かせ、結いあげた髪に挿した一櫛のかんざしに付けられた銀の飾りをしゃらしゃら言わせながら、そう言ってのけた行者ぎょうじゃであった。
 そのぬけぬけとした言い草に――。
 トウナはジッと、野伏のぶせを見た。
 「……大陸の男って、格好付け野郎しかいないの?」
 「……一緒にしないでもらおう」
 野伏のぶせはむっつりとして答えた。その様子が心から不機嫌そうで、見ていて笑ってしまうほどだ。
 だが、ロウワンはいたって真剣だった。真摯しんしな表情のまま空狩くうがりの行者ぎょうじゃに尋ねた。
 「行者ぎょうじゃ。あなたには尋ねたいことが幾つもある。まず、あなたは何者なのか。そして、あの怪物はなんなのか……」
 「そうだね。僕は君たちの力を借りたい。そのためには包み隠さず話すのが礼儀というものだろうね」
 「力を借りたい?」
 「そのことはあとで話すよ。まずは、僕のことだ。物語は主人公の話からはじめるのが筋だからね」
 ――誰が主人公だ⁉
 その場にいる全員が、心のなかでそう叫んだのは言うまでもない。
 行者ぎょうじゃは、まわりから放たれる圧力など平気で無視してつづけた。
 「いま言ったように、僕は空狩くうがりの行者ぎょうじゃくうを操り、くうを狩るものだ」
 「くうとはなんだ?」
 「くうは食う。異界とうつつをつなぐ境界。なにもない場所であり、なにもないからこそ、なにもかもを呑み込む空間」
 「異界とうつつをつなぐ境界……。それは、亡道もうどう世界せかいとはちがうのか?」
 「亡道もうどう世界せかい? なんだい、それは?」
 ロウワンの言葉に、行者ぎょうじゃははじめてキョトンとした表情を浮かべた。その表情はいたって自然なもので、嘘をついて、とぼけているようには見えない。本当に、亡道もうどう世界せかいのことを知らないのだろう。
 ロウワンは亡道もうどう世界せかいについて説明した。亡道もうどうつかさと千年前の戦い、そして、いままた迫り来ようとしている新たな戦いについても。
 行者ぎょうじゃは感心したようにうなずいた。
 「なるほど。亡道もうどう世界せかい亡道もうどうつかさか。それは、はじめて聞いたな。興味深い話だ」
 行者ぎょうじゃは知らないことを聞かされて、素直に感心しているようだった。
 ――亡道もうどうつかさのことも、千年前の戦いのことも知らないのか。
 ロウワンはそう思い、意外な思いに駆られた。
 それらのことは誰もが知っていて当然だと思っていた。もっとも、それはロウワンの勘違いというものだった。ロウワン自身、騎士マークスの記憶にふれて千年前の戦いを目撃するまで亡道もうどう世界せかいのことも、亡道もうどうつかさのことも知らなかった。千年前の戦いが忘れ去られた現代においてはむしろ、知らない方が普通なのだ。
 ――自分にとって当たり前になりすぎたせいで、世間一般の常識とずれてしまったみたいだな。気をつけないと。
 そう思い、自戒じかいするロウワンだった。
 行者ぎょうじゃはつづけた。
 「亡道もうどう世界せかい亡道もうどうつかさ。実に興味深い。でも、それはくうとはちがうだろうね。くうは世界そのものではなく、異界とうつつをつなぐ境界。なにもない、うつろなる空間。亡道もうどう世界せかいとはおそらく、僕たちの言う異界のことだろうね。そして、亡道もうどう世界せかいとこの世界をつなぐ空間。そここそがくうなのだと思う」
 ――亡道もうどう世界せかいとこの世界をつなぐ空間。騎士マークスの記憶のなかで見た、はじまりの種族・ゼッヴォーカーの導師がいた場所のことか?
 ロウワンはそう推測した。
 「さて、つづけようか。くうとはなにもない場所であり、なにもかもを呑み込む空間。同時に、あらゆるものが湧きだしてくる根源でもある。そして、人は世界のうつ。生まれつき、その身に七曜しちようくうを宿している」
 「七曜しちようくう。あなたの使った、あの奇妙な力か」
 「そうだ。もちろん、生まれつき宿しているからと言って、その力を誰でも使えるわけじゃない。そのままではくうの存在を感じとることさえ出来はしない。修行によって我が身に宿るくうを感じ、その力を使えるようになったもの。それが、空道くうどう行者ぎょうじゃ。そして、僕はくうを操るのみならず、くうを狩る存在。だから、空狩くうがりの行者ぎょうじゃ
 「くうを狩る? どういう意味だ?」
 ロウワンに尋ねられ、行者ぎょうじゃは小さくうなずいた。その仕種は小さいが重々しいものであり、いままでの軽薄な態度からは想像もつかないほど真摯しんしな雰囲気に満ちていた。
 「隠し事はしない。僕はすでにそう言った。だから、正直に話そう。僕はあるくうを探している。故郷を取り戻すために」
 「故郷を取り戻す?」
 「そうだ。僕の故郷はあるとき、巨大なくうに呑み込まれた。土地も、建物も、人さえも、すべてがくうに呑み込まれ、この世から消えてしまった。残ったのは僕ひとり。それ以来、僕は故郷を呑み込んだくうを探し、永いながい間、旅をしてきた。いつか必ず故郷を呑み込んだくうを見つけ、故郷を取り戻す。そのために」
 そう語る行者ぎょうじゃの表情は真摯しんしなもので、軽薄さの欠片かけらもありはしなかった。
 「永い間って……どれぐらいなの?」
 トウナの問いに行者ぎょうじゃは答えた。
 「永い間。そうとしか言いようがないな」
 そう語る声にはさびしさ、切なさ、悲しさ、そのすべてが詰まっていた。
 「どれだけの時間、旅をしてきたかなんて忘れてしまった。時を数えること自体、途中からやめてしまった。それぐらい、永い間、旅をつづけてきたんだよ」
 それは、一五、六にしか見えないこの少年が語るにはあまりにも似つかわしくない内容だった。それなのに、その場にいる誰ひとりとして違和感を感じることはなかった。
 そう語るならきっと、それが真実なのだろう。
 全員がそう納得していた。
 行者ぎょうじゃの表情、口調、雰囲気。それらはいずれも、ロウワンたちにそう納得させるに充分なものだった。
 「でも……」
 と、トウナがさらに尋ねた。
 「そんなに永い間、旅をしてきたのなら故郷は……」
 「あっ……」
 と、ロウワンも声をあげた。いまさらながら気付いたのだ。それほどに長い時がたっているのなら、くうに呑まれた故郷はすでに滅びてしまっているのではないか。
 「そうかも知れないな」
 行者ぎょうじゃはロウワンたちの心の声を聞いたかのように言った。
 「たしかに、僕の故郷はすでに滅びてしまっているのかも知れない。だけど、くうはこの世界とはちがう。なにもない場所であり、なにもかもが湧き出る根源。そこでは時すらもなく、過去も、未来も、すべてが存在しているかも知れない。ならば、僕の故郷も時の移ろいをなくし、あの頃のままに保存されているかも知れない。だから、僕は探す。探しつづける。いつか、僕の故郷を呑み込んだくうを見つけるそのときまで、ね」
 「どうして、そこまで?」
 「なぜなら……」
 と、行者ぎょうじゃはトウナの問いに答えた。
 「それは、僕のしたことだからだ。己の才におぼれ、師の言いつけを破り、禁断の術を使った。その結果、巨大なるくうを呼び出してしまい、故郷を失った。だから、僕はなんとしてもそのくうを見つけ出し、故郷を取り戻さなくてはならない。故郷に生きる人々を取り戻さなくてはならないんだ」
 そう語る行者ぎょうじゃの姿。
 それをなんと表現すればいいのだろう。
 崇高すうこうな誇り。そう思えるほどに高められた罪悪感。己の罪に真っ向から向き合い、取り戻そうとする人間の姿がそこにあった。
 ――あの軽薄な態度。あれってもしかして、あまりにも永い間、罪の意識にさいなまれてきたために自分を偽り、旅をつづけられるにするための仮面だったの?
 そう思うと、胸の締め付けられる思いのするトウナだった。
 「この地にやってきたのもそのため。あの怪物……〝すさまじきもの〟に、巨大なくうの気配を感じたためだ」
 「あの怪物……〝すさまじきもの〟とはなんなんだ?」
 ロウワンが尋ねた。
 行者ぎょうじゃは首を横に振って答えた。
 「それは、僕にもわからない」
 「わからないって……あなたは、あの怪物を〝すさまじきもの〟と名指しで呼んでいるじゃないか」
 「それは、あの場でつけたんだよ。粋だろう?」
 行者ぎょうじゃはそう言って、片目をつぶりながら微笑んで見せた。その仕種に――。
 ――やっぱりこいつ、軽薄なのが素なんじゃないの?
 そう思い、見直したことを後悔するトウナであった。
 しかし、たしかにあの怪物の放つすさまじいまでの怒り、恨み、憎しみ、それらを思えば、〝すさまじきもの〟という呼び名はふさわしいものだった。
 行者ぎょうじゃはつづけた。
 「僕にわかるのはあの怪物、〝すさまじきもの〟は巨大なくうから出現していると言うこと。ただ、それだけだ。そのくうが僕の故郷を呑み込んだくうなのかも知れないし、そうではないのかも知れない。いずれにしても、それを知るためには〝すさまじきもの〟を退しりぞけ、その背後にあるくうに直接、ふれなければならない。君たちと関わったのもそのため。〝すさまじきもの〟を退しりぞけるには僕の力だけでは足りない。君たちの力が必要なんだ」
 「あたしたちに、〝すさまじきもの〟を倒す手助けをしろと言うの?」と、トウナ。
 「そうだ」
 「それって、図々しいんじゃない?」
 「そうだね。図々しいね。でも、君だって感じただろう? あの怪物の放つすさまじい怒り、恨み、憎しみ。あんなものを放っておいたらどうなる? 好きに暴れさせたらどうなる? おそらく、この世界のすべてが破壊されてしまうだろう。そして、そんなことになれば、亡道もうどうつかさとの戦いどころではなくなる。この世界は敗北し、あとに残るものは完璧なる滅び。それは、君たちだって困るだろう?」
 「それは、そうだけど……」
 「なら、倒そうじゃないか。あの怪物、〝すさまじきもの〟を」
 あくまでもにこやかに――。
 空狩くうがりの行者ぎょうじゃはそう言いきった。
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