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Ver.2-1

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「お父様……本当に、いいのですか?」
 サリエット・フィッシャー公爵令嬢の言葉に、ただでさえシンとしていた王城の大広間は、空気の揺らぎすらないほど静まり返った。
 
 学院の卒業を祝う祝賀パーティー。
 サリエットの目の前には、王太子と義理の妹であるフーシェ・フィッシャー、そして父親であるフィッシャー公爵が唖然とした表情で立っている。

 王太子と、今年の夏から学院に編入してきた、義理の妹。
 この組み合わせは、本来ならばおかしいものだ。
 なぜなら、王太子の隣に立つべきなのは、婚約者であるサリエットであるはずなのだから。
 だが、この物語は、こういう流れなのだ。王太子とフーシェが結ばれてめでたしめでたし、となる物語。

 悪役令嬢であるサリエットは、先ほど、王太子に婚約破棄をされた。そして、フィッシャー公爵がサリエットを公爵家から追放し国外追放すると宣言した。
 
 本来なら、物語はそこでサリエットが失意のうちに大広間を去り、それで終わりになるはずだ。
 なぜ、そんな物語だと知っているかといえば、サリエットが前世で読んだ物語と登場人物もストーリーもほぼほぼ同じだったからだ。

 サリエットは前世で日本人の栗原南という女子高生だった。そして多分、理由は思い出せないが17才で死んでしまった。その死ぬ前にハマっていた物語が、この「異世界転生したら悪役令嬢の妹でしたが実は聖女だった件」というタイトルのネット小説だった。
 その時にこの物語を読んだ時には、フーシェに感情移入をし、涙を流しながら読んだものだが、自分がその悪役令嬢の立場になってみると、フーシェに同情などできもしなかった。
 
 何が好きだったのかと言えば、まず何よりも好きでハマっている作家さんが書いた物語だったことが一番大きい。
 そして、分かりやすいシンデレラストーリー。市井で生活していたフーシェは、実は公爵の娘で公爵家に引きとられて……から始まるストーリー。悪役令嬢である姉のいじめに耐え抜き、聖女の力とその素直さで王太子の信頼を勝ち取り、そして最終的には悪役令嬢を国外追放して自分は王太子妃になりめでたしめでたし。
 悪役令嬢の嫌がらせがみみっちくて、それが現実世界とリンクしやすくて、なお主人公に感情移入ができた。

 素晴らしい物語だ、と栗原南だった時には思っていた。
 
 が、今となれば、あまりにも稚拙な物語だと言わざるを得ない。

 サリエットが前世のことを、そして自分がこの物語のキーになる悪役令嬢だと気付いたのは、フーシェが登場してから、つまり、物語の始まりからだ。
 とりあえずサリエット、いや栗原南の記憶が感情として持ったのは「お父様浮気してたなんて……お母様への裏切りでヒドイし、それに生々しすぎてキモチワルイ」だった。何しろ多感な年ごろである。それまで尊敬の感情しかなかった父親であるフィッシャー公爵に対しての嫌悪感は半端なかった。
 それまで良好だった親子関係にひびが入った理由の一つは、間違いなくその嫌悪感によるものだった。

 そして、サリエットの母親であるフィッシャー公爵夫人が亡くなってまだ1か月も経たないうちに、新しい妻としてフーシェの母親を受け入れたことが全く理解できなかった。母親の葬儀の時に哀しみを耐えて二人で暮らしていくのだと思っていたサリエットの気持ちを逆なでした。あの作者にはサリエットへの悪意しかなかったのかと感じてしまった。

 それに、サリエットがフーシェにチマチマチマチマ嫌みを言い続けていたのは、公爵家の格式を下げるまいと思ってやっていたことだった。
 小さな頃から厳しくマナーをしつけられていたサリエットからすれば、信じられなかった。
 「公爵家の格式を落としてはいけない」と耳にタコができるほど言われ続けていたのだ。なのに、マナーのマの字も身に付けていないフーシェが放置されている。
 もしかしたら物語の強制力によるものなのかもしれなかったが、それにしても、雑過ぎた。

 だが、フーシェの態度もまた、あり得なかった。
 サリエットの注意を聞く気が一切なかったのである。
 注意をすればすぐ泣く。そしてサリエットが注意をやめれば泣き止む。どう考えてもうそ泣きだった。そして、注意したそばから同じことを繰り返す。
 サリエットがチマチマチマチマ嫌みをいい続けることになるのも仕方のないことだった。

 公爵令嬢として生きてきたため鍛えられてきた精神力ではあったが、17才の日本人だった頃の記憶がよみがえってから、少々感情的にはなっていた。
 だから、話を聞こうともしない相手を目の前にして、常に穏やかにいられるわけもなかった。しかも少々感情的になった場面を、フーシェに効果的に使われてしまっていた。

 そしてどうやら、南と同じようにこの作品が好きだった読者がフーシェに転生したらしい。それは、初対面の時から時折ある、フーシェの独り言から十分推測できた。だが、ブツブツと独り言を言っている人間など、変な人にしか見えない。もしサリエットがフーシェに不信感を抱かなかったら、あの物語の話で普通に盛り上がれたのかもしれないが、あまり仲良くしたくはないタイプだった。

 だがフーシェに転生した彼女は、見事に物語の再現を厭うことなくやり遂げた。
 お陰でこの数ヵ月ですっかりサリエットは悪役令嬢になっていた。
 あんなにブツブツ独り言を言っているのは、どうやらサリエットの近くにいるときだけらしく、フーシェは天真爛漫な純真無垢な少女、という物語通りの位置づけになっている。
 だが、サリエットからすれば、腹黒かつ悪質な人間だった。

 今までサリエットの友人だった令嬢たちも、今ではすっかり自由奔放なフーシェに傾倒していた。この卒業を祝う祝賀パーティーですら、サリエットはほぼ孤立していた。
 側にいてくれる人間はただ一人。いつも側に使える従者のクロックが一人控えているだけだ。
 ある意味、これは物語のままの流れだった。

 だが、サリエットの知っている物語とは違う部分があった。
 たしかにサリエットは悪役令嬢として位置づけられてしまっている。
 だが、サリエットは前世の記憶を思い出したと同時に、なぜか聖女の神託を受けた。
 元々の物語では、フーシェが聖女だった筈で、サリエットは悪役令嬢だけの役割しかなかったはずだった。
 はっきり言って、訳が分からなかったし、フーシェも自分のことを聖女だと言っていた。
 公爵家に引き取られることになった大義名分も、聖女の神託を受けたからだとされている。

 だが、神託では、この世界にたった一人の聖女であると告げられたため、フーシェは嘘を言っているとしか思えなかった。 
 ただ、サリエットが聖女だと神託を受けたと告げても、信じてくれたものは僅かだった。目に見えてわかるような神託を受けないために、証明もできるはずもなかった。
 そして聖女を自称するフーシェが告げるとおりの出来事があったりして物語が先に進んでしまい、更にサリエットが聖女を騙る嘘つきだと思われるようになってしまった。
 だが、フーシェが告げた内容は、あの物語を熟読している人間であれば、誰でも言える内容だった。だから、あれは神託を受けたものではなく、単に物語のストーリを語っただけに過ぎない。

 本当の聖女であるサリエットは悪役令嬢としての役割を全うし、物語のクライマックスとも言える場面に立ち会うことになった。
 はっきり言って、聖女としての役割がこの物語にどう関係してくるのかもわからないままだったが、今となっては、どうでもいいと思っていた。聖女としての役割があっても、物語の流れには何も関係がなさそうだったからだ。
 フーシェが来る前は良好だったフィッシャー公爵との関係も、フーシェによってかき回されあまり良いとは言えない状況下で、助けてもらえるかどうかは五分五分だと思っていた。
 そしてフィッシャー公爵は、サリエットを助けないことを選んだ。
 ショックだった。が、ショックを感じていられない出来事が起こった。

 その瞬間、サリエットに神託が下りたのだ。
 だから、サリエットは、フィッシャー公爵に「本当にいいのか」と尋ねたのだ。
 当然、皆、唖然とした表情になった。 
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