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≪ 麗景殿 ≫

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 未の刻になり、いつものように篁を従えて煌仁が現れた。

 翠子の前に衣、料紙、唐菓子、冊子と並べていく。
 扇をずらした翠子は瞳を左右に動かし、束の間、冊子で目を止めた。細めた目が弓なりになる。
 その様子をジッと見ていた煌仁は満足げに口角をあげ、口火を切った。

「先に宮中の事情を説明しておこう。帝には心の臓に持病があり過剰な心配事はお体に障る。であるのに弘徽殿と麗景殿は常に対立している」

 いったい何の話が始まるのかと、翠子は怪訝そうに眉をひそめて耳を傾けた。

「物の怪でないとなれば、麗景殿は弘徽殿の仕業だと騒ぎ立てるだろう。逆もしかり。混乱を避けるため、何としても皇子の不調の原因を突き止めたい。というわけもあり、姫に力を貸してほしいのだ」

 ふっと不敵な笑みを浮かべた朱依が「東宮が疑われますものね」と言ったのと篁が立ち上がったのは同時だった。

「きさまっ!」

「朱依」と翠子も止めたが、煌仁も右手で篁を抑えた。

 怒鳴られたところで朱依はびくともしない。なによとばかりに篁を睨み返す。
 怖いもの知らずなのは、主も仕える女房も一緒らしい。

「篁、構わぬ。それも本当だ」

「違うではありませんか! 煌仁さまは麗景殿の皇子が成人されたら東宮の座をお譲りすると宣言されているのですから」

 ほぅなるほどと、つかの間翠子は考え込んだ。
 顔を赤くして怒る篁と、憮然とする朱依を交互に見つめながら、厄介なものだなと思う。
 彼の考えはどうあれ、朱依が言った通り彼を疑う人はいるだろう。

 物の声はうそをつかないが、人は嘘をつく。翠子は邸を訪れてくる人々の物の声を聞きながら、人間の裏表と醜さを見てきた。故人が残した財宝を見つけるためなら、嘘の涙も平気で流す。それが人である。
 篁は彼を信じているようだが、翠子に言わせれば彼の本心など誰にもわからない。さらに言うなら今はそう思っていても、明日も同じ考えである保証はないのだ。

 それは善でも悪でもない。状況によって人の考えは変わると翠子は思っている。
 彼自身も十分にそれを承知しているのだろう。

 だから彼は怒らないのだとも思った。
 東宮でいるばかりに彼はずっと去就を探られる。本人の考えなど関係なく。

(苦労知らずで、ここにいるわけではないのね)

 ため息をつきながら、ほんの少し反省もした。立場が違うだけで、彼もなにかに悩む人なのだ。
 ふいに、そういえばと思い出し、聞いてみた。

「ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「ああ。なんでも聞いてくれ」

 煌仁は終始落ち着いている。
 昨日あれほど翠子が反抗的な態度を取ったのに贈り物まで持参してご機嫌取りまでしてくれるし、今も朱依が無礼な発言をしたというのに、悠然と構えている。

 彼の、この余裕はどこから来るのか。
 煌仁という人をもう少し知りたいと翠子は思った。

「扇……」

「ん?」

「邸にお持ちになったあの扇は、あなたさまの母君の扇だったのですか」

 煌仁は静かに「そうだ」とうなずいた。

 あのとき、扇から最初に感じたのは、温かくて柔らかいもの。
 次に悲しみ。そして愛。
 彼の母は我が子の幸せを願い、先に逝かねばならない悲しみとともに深い愛情を残していた。
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