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Ⅱ.フィスタ

第3話 宰相の息子と恋の試練①

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「ユーディト様、どうなさるんです?」

 目の前の小柄で細身な男が言う。
 イルマ王子を見送った後、宰相の息子は、椅子に座り込んで頭を抱えていた。

「あ⋯⋯の、狸親父が!!!」

 事の起こりは、宰相だった。
 自室に跡取り息子を呼びつけて、父は言った。


「いい加減、お前も大人になるがいい。王立学校にいる間、惚れた相手を口説き落とすことも、手籠めにすることも出来なかったくせに。いつまでそうやってうじうじと、嫁いだ相手を思って暮らすつもりだ!!」

「な、何を仰るのですか、父上! イルマ殿下にそんな⋯⋯! それに、王子の相手は諸外国に知れわたった浮気者。この婚姻がうまくいくとは思えません」

「うまくいかないとも限らんだろうが! あんなふわふわした見かけだが、イルマ殿下は頭が回る。お前なんぞより、よほど世情に長けて賢くていらっしゃる。シェンバー王子を手玉に取って、結婚生活が滞りなく続くこともあるだろう」

「そ、そんな⋯⋯」
「いつまでも殿下のことを思っていないで、さっさとお前も嫁をとれ!」

 思わず、ユーディトは父の言葉によろめいた。
 確かに、山とあった見合い話や言い寄る者を断り続けて今日まできた。

 一見凡庸なイルマ王子だが、確かに頭は回る。
 王立学校時代にも、王子とはいえ末子の彼を侮る者はいた。

 容姿は平凡で、気性も穏やか。いずれは他の国に嫁ぐか、多少の領地をもらって国の為に働くしかない。
 そんな王子より、代々地位を築いた家を継ぐ自分たちの方がよほど価値がある。
 勘違いした痴れ者が、王子の名誉を損なうような真似をしたことがある。
 イルマ王子は堂々と相手に立ち向かった。

「ありがとう。君のおかげで助かったよ」
 ユーディトのほんの少しの手助けに、明るい笑顔でそう言った。
 あの時から、宰相の息子の心はイルマ王子のものだ。

 ユーディトの心に嵐が吹き荒れた。

 ──王立学校時代に、もっと仲を深めておけば。

 いや、卒業してからもまだ時間はあると思っていたのだ。王宮で働くうちには、と。
 フィスタの王子たちは上から順に結婚していくのが通例だ。留学もするから結婚年齢は遅くなる。まさか、末のイルマ王子に一番先に結婚話が起こるだなんて!

 まさに、後悔先に立たず、だった。



「王子が屋敷においでになるとは、思いもしませんでした」
 ユーディトの心を現実に戻すかのように、大きな瞳を瞬いて男は言う。

「⋯⋯あのくそじじい、なにも今日、俺が屋敷にいることをイルマに伝える必要はないだろう」
「うーん、私が来ることを閣下はご存知だったんでしょうか。まあ、ユーディト様に喝をお入れになったとしか思えませんね」
「シヴィル、お前、あいかわらずはっきりと物を言う男だな」

 目の前にいる男は、ユーディトの従兄弟だ。
 宰相の妹が嫁いだ伯爵家の次男。愛らしい外見とは裏腹に辛辣な言葉を吐く。
 シヴィルは、気の毒そうに従兄弟を見た。

「イルマ殿下には、言えないですよねえ。まさかご自分の身代わりを従兄弟にさせていただけだなんて」
「⋯⋯」

 王立学校時代も、ユーディトはイルマ王子の親友としての立ち位置しか築くことが出来なかった。
 父から恐ろしい言葉を聞かされた直後に、王子からの書簡が届いたのだ。

 ──今度こそ、機会をものにしよう。
 ユーディトは、騎士と馬車を直ちに黒の森に向けて走らせ、従兄弟にも連絡を取った。

 シヴィルは、可憐な容姿でいながら、恋愛は百戦錬磨のような男だ。恥を忍んで、王子を口説く術を教えてほしいと頼まれると、秒で承諾した。
 彼の心には前々から、ヘタレで一途なこの従兄弟を何とかせねばと言う使命感があったのだ。

「女々しいその未練を断ち切るにも、一発逆転を狙うにも、練習は必要でしょう。それに、私の立ち姿は王子に似ていますからね」
 朝からさんざん恋愛講義を受けた。実地練習はダメ出しを重ね、今までで一番という出来の時だった。

「イルマ様! ユーディト様はいらしたんですか?」
 明るい声に振り向けば、目を丸くしたイルマ王子が立っていた。


「⋯⋯とりあえず、殿下の誤解を解くことから始めましょうか」
 恋愛師匠は、落ち込む弟子に優しく声をかけた。




 ☆★☆




 フィスタの朝は、早い。
 人々は空が明るくなるころには起きて、働き始める。

 ぼくの生活も変わらない。
 ルチアの教えの通りだ。

 起きたら、まず動きやすい服装に着替える。
 ベッドを整え、寝間着をたたんで枕元に置く。
 洗顔をし、身なりを整える。そして、朝の祈りを捧げるのだ。

 フィスタの王宮の最も高い場所には、『祈りの間』がある。
 人々の安寧と国の平和を願って、毎朝国王が祈りを捧げる部屋だ。
 最も女神に近い場所と言われている。

 ぼくはフィスタに帰国してからずっと、祈りの間に行きたかった。
 フィスタに無事に帰れたのは、女神の守護のおかげだ。白馬が導いた森の泉には、確かに女神の力が宿っていた。
 祈りの間に入れる人間は限られている。王子たちの中では王太子だけ。幼い頃から度々忍び込んでいるが、流石に表立って部屋に入ることは出来ない。

 女神の温かい光に触れたかった。
 悩みながら廊下を歩いていくと、宰相に会った。

「おお、イルマ殿下。先日は我が家においでになったと聞いております」
「ああ、お邪魔したよ。ユーディトに会って⋯⋯。助けに来てくれた礼を言えた。教えてくれてありがとう」
「いえいえ、然程のこともございません。息子は色々気が利かないもので、御無礼はございませんでしたか?」
 先日の一件を思い出して、思わず動揺したがこらえた。
「いや、特になにも」
 宰相がいやに、にこにこしている。こんなに笑顔を浮かべる男だっただろうか。

「宰相閣下! 陛下がお呼びです」
「お呼びがかかったようです。では、私はこれで」

 宰相を呼びに来たのはユーディトだった。
 ぼくを見て、びくりとおののく様子が哀れだ。気にしなくていいのに。
 微笑んで小さく手をあげれば、ユーディトは軽く会釈して宰相の後を追った。

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