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Ⅰ.スターディア

第10話 末っ子王子と国境の市場②

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 若い騎士の向かった先を目で追うと、甲冑を身に着けた多くの騎士たちが集まっていた。
 町の広場の中央には女神の像がある。一段高くなっている像の前に立つのは、黒い外套を纏った長身の騎士だ。
 外套をとり、黄金色の波打つ髪が見えた時、人々の間の空気がどよめいた。
 

 ⋯⋯あれは。
 あれは、まさか。

 離れたところからもわかる、人を引きつけるその美貌。

 ⋯⋯なんで、シェンバー王子がここにいるんだ?

 人の上に立つ者の威厳に、騎士たちが次々にひざまずく。
 こうしてみると、案外、王太子とよく似ている。
 呆然としながら、頭のどこかでそんなことを考えていた。


 ぼくの脇を、騎士たちが何人も通り過ぎていく。

「第2王子が来られるとは驚いた」
「閣下も、城からすぐに駆けつけると仰っている」

 ぼくは今度こそしっかりと手に袋を抱え、市場から全速力で走りだした。


「シェンバー王子が!?」
 セツがごくりと唾を飲みこむ。
「イルマ殿下を、追いかけて?」
 サフィードの目が猛禽のように光った。

「間違いない。なんで本人が来てるんだろ」
 追手をかけるだろうとは思っていたけれど、王子本人が来るなんて考えもしなかった。
 眩暈めまいがしそうだ。
「帰れるだろうか⋯⋯」

「イルマ様、しっかりなさって!」
 うろたえるぼくに、セツがきっぱりと言った。
「負けるも勝つも運次第ですよ。ここまで来たのに、弱気になってどうなさいます」
「セツ⋯⋯」
「後は女神の御心ひとつではありませんか」

「女神⋯⋯」
 その言葉に、ぼくの心に一筋の光がさす。

 女神の光も金次第。
 昔から、フィスタに伝わる言葉を思い出す。
「ありがとう、セツ。セツはやっぱり、ルチアの子だ!!」
 ぼくは、セツの手をしっかり握りしめた。


 騎士たちが、橋の周りを巡回している。
 この様子では、明日には国境の検問は確固たるものになるだろう。

 ぼくは、セツとサフィードの二人に告げた。
 昼の内に、サフィードとセツはそれぞれ橋を越えて、川の向こうで待つこと。
 ぼくは、人が少なくなる日暮れに、宵闇に紛れて橋を渡る。
 王子の狙いはたぶん、ぼくだけだ。

 セツもサフィードもどちらかと一緒に行動することを強く希望した。
 いくら何でも、一人では危なすぎると。

 サフィードがぼくから離れることはないと、彼らは確信しているだろう。
 ならば、一緒に行くのはセツだ。
 もしもの時も⋯⋯セツだけ逃げられればいい。

 日暮れ近くに、橋を渡ろうとするものは、まずいない。
 フィスタの森には危険な獣もいる。夕刻に橋を越え、森に入るのは自殺行為と言われていた。
 だが、ぼくたちは大丈夫だ。
 フィスタの森に、ぼくを傷つけられるものはいないのだから。


 夕日が沈もうと言う頃。
 橋の一つを越えようとしたぼくたちに、兵士が声を掛けてきた。

「おい、今から森を越える気か?この先はフィスタの黒森が続く」
「存じております。フィスタにおります父が、危篤だとの知らせが入りました。夜通し駆けて、なんとか家に帰りたいのです」
「⋯⋯お前ひとりで行く気か?」
「いいえ、従者がおります」
「何人だ?」
「私と従者の二人にございます」

 ぼくは、セツに目を向けた。
 セツがそっと、小さな皮袋をぼくの手に渡す。
「⋯⋯いつも境の守りをありがとうございます。よかったらこれを」
 ぼくは、兵士の手に皮袋を握らせた。その重みに、兵士がはっとするのがわかる。
 兵士はぼくの顔と皮袋をかわるがわる見て、こくりと頷いた。
「行け」
 ぼくとセツは、馬を引き、橋を歩き始めた。

「そこの二人、待て!」
 橋を半分ほど渡った時に後ろから声が聞こえた。
 聞こえぬふりで馬を引く。

 蹄の音が聞こえた。

「セツ、行って!」
「イルマ様!」
「早く!!」

 セツは栗毛に跨り、橋を越えた。黒森の闇の中に消えていく。
 向こうには昼のうちに別の橋を越えたサフィードがいるはずだ。
 黒森をセツだけで越えるのは難しい。
 二人でなら、ユーディトたちと約束した場所まで行けるだろう。

 ぼくが振り返ると、そこにいたのは、昼間の市場で会った若い騎士だった。
「⋯⋯あの時の」
「なんの御用でしょうか、騎士様」
 ぼくが笑顔でたずねれば、騎士は困った顔でぼくを見た。

「探している者がいる。一緒に来てほしい」
「どうか、ここで話を済ませてはいただけませんか?」
 ぼくはもう一度、兵士にした話を繰り返した。

「お願いです、お優しい騎士様。儚くなる前に、父に一目会いたいのです」
「そ、そう言われると」

 あと一歩だった。

「そこまでにするがいい」
 地獄の底から涌き出るような声がした。
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