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第一章 崩れ去る日常

第八話 幕開け

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 先日の会議で、新聞部が自分達の身近に起きた吸血鬼事件を今度発行する学内新聞のトップ記事へとすることに決定した。当時現場に居合わせた茉莉は部員達より取材という名の質問を色々受けている。
  
 ある日部室のホワイトボードに貼り出された写真のコピーを見て茉莉は一瞬心臓が飛び出るかと思った。
 黒装束の男が血だらけで倒れた女性の上に馬乗りになっている写真だ。頭部は覆面で覆われている。
 それは数日前に自分が巻き込まれた吸血鬼事件の現場の写真だったのだ。
 
 (どうしてこれを織田先輩が持っているのだろうか? )
 
 茉莉が一人首をひねっているのを目の端に入れた織田は口を開き始めた。 
 
「これは白木が事件当日最期に俺のスマホに送ってくれた写真だ。背後しか写っていないから顔は分からんが、見た目高身長で黒装束の普通の人間だ。人に聞いた話しでも構わん。誰か、外的特徴を知っていたら参考の為教えて欲しい」
 
 (あの時、白木先輩はスマホで何枚か写真を撮ってたっけ。織田先輩に送ってたんだ。まさかあの後自分が襲われるとは思わなかったんだろうけど、撮っておいた写真が後で誰かの為になると思ったに違いない……)
 
 ――君は……来るな!! 俺が囮になる。俺から離れて早く逃げろ!! ――
 
 まだ、白木の声が茉莉の耳に残っている。それは小さいながらもさざなみのように心を静かに揺り動かしてきた。
 
 ――白木先輩……
 
 茉莉はきゅうぅっと心臓を掴まれる感じを覚えた。身体が硬直し、目の前が真っ赤な煙幕みたいなもので覆われそうになる。だが、不思議と底なし沼に落ちてゆくような喪失感は思った程来なかった。吐き気もない。大丈夫だ。そう言い聞かせる。
 
 少し間を置いた後、彼女は思い切って挙手して口を開いた。
 
「ええと、その男は身長は二メートルを切る位で、身体付きは中肉中背でした。覆面を被っていたから顔の特徴は良く分かりません。目だけは見えましたが、血に濡れたように赤かったです。あの時私は身を護る為に傘で応戦しましたが、相手は殴った傘が簡単に折れ曲がってしまう程鉄のように硬くて頑丈な肉体でした。特に防御着みたいなものはなさそうでしたが、人間の素手では対応出来なかったと思います。頭を押さえつけられた時、首がねじ切れるかと思う位痛かったです」
 
 今思うと、我ながらよくぞ骨も折れずかすり傷で済んだものだ。弟の俊也が言ってたように、自分は運が良かったのだろう。まともに戦っても鬼とひよこが対峙しているようなもので、ひとたまりもない。
 
 おお……。
 
 茉莉の周囲でどよめきが起こる。
 
 ホワイトボードに黒マジックで書きとりながら、紗英は茉莉にゆっくりと尋ねた。
 
「門宮さん。死者も出た中、あなたはよく助かりましたね」
 
「……ある人に助けてもらったんです。そうでなければ私は今頃ここにはいないでしょう」
 
「どんな人かい?」
 
「……」
 
 織田の質問に茉莉は言葉を詰まらせた。ここで正直に話すと、静藍の秘密を明かしてしまうことになる。
 
 (本当の事を果たしてここで言っていいのか分からないなぁ。あれは“ルフス”が表面化している時とは言え、肉体は神宮寺君だし……)
 
 茉莉の沈黙を織田は良いように解釈したようだ。
 
「……ごめん。まだ話しにくいよな。優美に聞いたが君も被害者だし、目の前で白木があんなことになったんだもんな。あれから十日位しか経っていない。それだけ冷静に話せること自体が凄いよ。君は強い人なんだね」
 
 (私が強い? とんでもない。今起きている現実に集中して気を紛らわせるのに精一杯なだけだよ)
 
「その覆面の男のことだけに話題を集中しよう。君の判断に任せるが、聞きたくなかったら無理して聞かなくても良い。俺は犯人の男がその後結局どうなったのかが気になっているんだ。ニュースでは跡形もなく姿を消し去っていて、警察も捜査に行き詰まっているそうだが。他の者はどうだ? 何か聞いているか?」
 
 事件があった日からまだ日が浅い為、彼なりに茉莉に気を遣ったに違いない。
 
 茉莉はルフスに助け出された後途中で気絶した為、良く分からないのが実情だ。
  
 そこで弱々しい声が茉莉の隣りから聞こえて来た。
 
「その男は多分……仲間が連れ去ったと思います」
 
「……連れ去った? どこに? 彼等のアジトにか?」
 
「場所は、この日本のどこかにあると言われている彼等の拠点です。……はっきりとは分かりませんけど」
 
「それは一体誰からの情報だ?」
 
「織田先輩、それからここにいる皆さん、これから僕の話すことを全て信じてくれますか?」
 
 部室内がざわつく。だが、彼に向けられた言葉はみんな前向きだった。
 
「状況と内容による、とだけ言っておこう。俺は君を疑っている訳ではない。極力客観的な見方をするように努めているだけだ」
 
「聞いてみないと分からないっすよ先輩。是非話して下さい」
 
「俺も聞きたいです。勿体ぶらさないで静藍先輩。聞きたいです」
 
「愛梨すっごく気になりますぅ。みんなきっと同じ気持ちですよぉ」
 
 左京も右京も愛梨も好奇心で目を爛々と輝かせている。
 
「分かりました」
 
 静藍は迷うことなく静かに答えた。
 
「僕の中にいるもう一人の“僕”からの情報です。僕の身体の中に彼等と同じ属性の“血”が半分流れています。“彼”がそう伝えてきます」
 
 部室内が一気にざわついた。茉莉は横にいる黒縁眼鏡の少年の顔を心配そうに覗いた。
 
 (神宮寺君……言っちゃったけど、大丈夫なの? )
 
 そこで静藍はついノートを床に落としそうになる。それを防ごうと手を伸ばそうとして椅子から転がり落ちた。場慣れている茉莉は顔色一つ変えず彼を助け起こす。静藍は照れ臭そうな顔をして彼女に礼を言った。
 
「これは驚いた……つまり君もその現場に居合わせたということで良いのか?」
 
 織田は顔色一つ変えず静藍に尋ねる。
 
「はい。正確には駆け付けたというべきですね。突然身体中の細胞が一気に燃え上がるかと思った途端、意識が遠くなりました。それから先は“彼”が僕の身体を動かして窮地の彼女を助け出したようです。“彼”に主導権を握られている間の僕は半分眠っている状態なので殆ど意識がないですが、感覚は身体が覚えています」
 
 元の席につき居住まいを正しながら静藍は答えた。
 
「ええと。すまない。話しにちょっとついていけてないようだ。君は……元々そういう体質なのか? 嫌なら答えなくていいが」
 
「いえ、詳細はこれからお話しします。僕一人では何も出来ません。ここの皆さんに助けて頂かないといけないので、僕が出来ることは何でもするつもりです。但し、これから先お話しすることはここの部員以外の方には他言無用願います」
 
「大丈夫だ。新入部員なりたての君たちにはまだ話していなかったが、うちの新聞部は“部員の心得”があるんだ。例外を除き、部活動で得たプライベートな内容に関する情報の流出を禁じている。これだけは守って欲しい。他の者はみな周知のことだ。安心して話してくれ」
 
 静藍は自分の話しを始めた。先日茉莉と優美に話したのと同じ内容だった。
 
 五年前に強引に吸血鬼化させられたこと。
 静藍にはあまり時間が残されていないこと。
 彼を元の人間に戻すのに鍵となる「芍薬姫の血」を探しださないといけないこと。
 
 部員みんな真顔で意見一つ漏らさず聞き入っていた。どう言っていいのか分からない顔だ。
 
「……」
 
 沈黙を破ったのは部長だった。
 
「……つまり、神宮寺君もその吸血鬼の犠牲者という訳ですね。それも、ずっと前からだなんて。事情が事情でご両親にも話せなかった。辛かったでしょう」
 
「容易ではないが全く望みがないわけではない。八月までには大方目星をつけないといけないな」
 
「何か、理由はよく分からねぇけど、理不尽ってやつ? 吸血鬼にとって静藍先輩は丁度良い獲物だったってことだろ? 向こうにとってこちらは餌なのだろうが、人の弱味に漬け込むだなんて最低な奴だな。オレのことじゃないけど、何かすんげぇムカつく。その“芍薬姫の血”だっけ? 早いとこ見付けようぜ、右京。じゃねぇと、先輩があんまりだ」
 
 元々義侠心の強い左京だ。静藍の話しで随分とそれを刺激されたようだ。
 
「ああ、そうだな左京。俺達が力になれるなら、一肌脱ごう」
 
「何か燃えてきちゃったぁ。愛梨もサーチ頑張っちゃう!!」
 
 愛梨はスマホを取り出し早速いじり始めた。
  
「皆さんどうもありがとうございます。どうぞ宜しくお願い致します」
 
 静藍がぺこりと頭を下げた。
 
「さて、もうじき五時です。今日はこれにて散会にしましょう。今日の話し合いについては私から尾崎先生に伝えておきます。皆さんは寄り道せずに早く帰宅して下さいね」
 
 賑やかとなった部室内に部長の透き通った声が響き渡る。それを合図に今日の活動は終了となった。
 
 ※ ※ ※ 
 
 突然茉莉の肩にぽんと手が置かれた。
 書記として終始無言だった優美の手だった。
 
「それじゃあ、お家に帰ろっか。神宮寺君も一緒に帰ろうよ」
 
「はい。そうします」
 
「あ!」
 
 優美が急に大声を上げる。
 
「優美どうしたの?」
 
「いつまでもよそよそしいのもなんだから、呼び名つけちゃおうよ」
 
「?」
 
「そうしよそうしよ! あたし達のことは『茉莉』『優美』と呼んでね! 静藍君」
 
 黒縁眼鏡の中身が点となる。急に話題を振られ、彼はどう反応して良いのか分からないようだ。
 
「せっかくうちの部みんなが自然と名前呼びで呼んでるのに、あたし達だけが名字呼びだなんて、何か浮いてるじゃん!」
 
「優美、私はともかく、彼は……」
 
「いえ……嬉しいです。とても」
 
 静藍は柔らかく微笑んだ。彼の酔芙蓉のように頬を紅潮させる様は背中をどこかむず痒くさせる。それを見た茉莉は拍動が普段より高くなるのを感じた。
 
 (彼は表情が少し変わった気がする。どことなく……だけど)
 
「僕は前にお話した通り間に転校していることもあって、あまり友人と呼べる人がいません。これからもどうぞ宜しくお願いします『茉莉さん』『優美さん』」
 
「良し! 静藍君良く出来ました~! それじゃあ帰りましょ! ほら茉莉! あんたもよ!!」
 
 強引に名指しされて閉口する茉莉。
 
「ええええええええ!?」
 
「ええええええええじゃない! 照れなくて良いから!」
 
「照れてるんじゃないってば」
 
 そこへ突然ガタイの良い男子生徒が割り込んでくる。彼は静藍の肩の上に腕を置くと絡み始める。
 
「なぁに君達道草食ってるんだ? ホレ、静藍さっさと帰ろうじゃないか。俺途中まで道一緒だから送っていくぞ。優美はまだ茉莉君と遊んでいたいってさ。悪い子は置いて帰ろう」
 
「何よう純の意地悪う!」
 
 三人の微笑ましいやり取りを見て、静藍はすっと表情がゆるんだ。
 
 燃えながらも少しずつ緩やかに落ちてゆく陽がそんな彼等の影を長く伸ばしていった。
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