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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第ニ章

6.くるくるミラーボール

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 カルバートン宮殿の厨房にいる料理長は優秀だ。休日の午前十一時からアルコールを要求する主人のためにも、おいしいつまみを作ってくれる。
 エリオットはドライトマトとチーズを載せたペイストリーと、バッシュが自分の椅子の広い肘掛けに置いた皿からオリーブひとつ盗んで口に入れた。

「悪くない話だ」
「え?」

 グラスからミントの葉を摘まみ上げ、カナッペの皿に並べていたエリオットは、危うくバッシュの言葉を聞き逃しかけた。

「悪くない?」

 バッシュはまぶたを開き、エリオットを見た。発光しているような強い瞳で。

「レディ・キャロルは、お前の『配偶者候補リスト』の、四番目くらいに名前が挙がってる」
「へぇ、知らなかった。教えてくれてどうもありがとう」

 だから、恋人として反対されることもないって?

「なにか、納得できない理由があるのか」
「むしろなんで、あんたが納得してんの」

 エリオットは唇をゆがめる。

「この先しばらくは、おれたちの関係を公表しない。これは共通認識だと思っていいな?」
「うん」
「なら、レディ・キャロルが持ちかけて来たプランは悪くない」
「そうだけど……」

 エリオットは口ごもり、水滴でぼんやりと曇るグラスを親指で拭う。皮つきの輪切りレモンを見て、素直に頷けない理由に気付いた。

 もしかしたら、バッシュが怒るんじゃないかと期待した。嫉妬してくれるんじゃないかと。だから合理的な判断に迷いがなかったことに、少しだけ、エリオットはがっかりしたのだ。同時に、がっかりした自分に腹が立った。

「それに、お前はレディ・キャロルを撥ね付けられないだろう」
「……なんで分かるんだよ」
「言っただろう。お前が優しいって知ってると。時々、呆れるほどな」

 苦笑混じりのバッシュに苛立ちがしぼみ、かわりに背中がむずむずした。

 バッシュこそエリオットに優しいけれど、無条件に甘いわけじゃない。自分たちの利益になるなら、今回みたいな恋人ごっこも利用する。ただ一方で、懐が深いのも事実だ。ほんの少し前だって、エリオットが身分を隠していることを知りながら友人でいてくれたのだから。今回も事情さえ分かっていれば、エリオットの好きなようにすればいいと思っている。

 エリオットは苦みと酸味が入り混じるアルコールを煽る。喉を鳴らして一気に空けたグラスを、勢いよくテーブルに置いた。

「……キャロルの案に乗る。むこうが契約書にサインをすればだけど」
「契約書の内容は、ベイカーに相談しろ」
「分かってる」

 バッシュが納得して、エリオットも了承した。この話は終わりだ。

「厄介な話は、それだけか?」
「いや、もうひとつ」

 貴族会についての話がまだだった。

 右の人差し指を振りながら、左手でグラスにおかわりを注ぐ。勢いあまって、グラスに入りそこなったカットパインが跳ねて皿に転がった。それをピックで刺して口に運んだバッシュは、軽く肩をすくめただけでエリオットがいつも以上に杯を重ねるのを止めなかった。

 当初の予定通り軽くなった口で、エリオットは貴族会の暴挙についてバッシュに不満をぶつける。

「そもそもさ、ヘインズ公爵が委員長になってたこと、なんで二年も、じいちゃんやおれの耳に入って来なかったわけ?」
「前公爵は中央を離れているし、画策した奴らは口をつぐんでいるだろうから、まさか当の本人が知らないなんて、だれも思わない」

 たしかに、ロダスもかなり驚いていた。

「でもそれって委員以外の貴族どもには、おれが仕事してないと思われてるってことじゃねーの? しかも二年も」
「まぁ、してないのは事実だけどな」

 エリオットはその辺に転がっていたクッションを、涼しい顔で茶色い酒──サングリアではない。いつの間に──を舐めているバッシュへ投げつける。彼は軽く首を傾けるだけで、飛んで来た最高級グースのクッションとのキスを回避した。

「じゃあ、どうすんの。臨時総会の招集とか、絶対嫌なんだけど」

 だれが思いついたかは知らないし、社交界に一度も顔を出さなかったエリオットにも非はある。いまさら、貴族会の重鎮たちを敵に回してまで、こうなった責任を追及したいとは思わなかった。

「お前が思うことを、そっくりそのまま相手も思ってるだろうな」
「どうして向こうが?」
「いままでは、お前が貴族会に口を出さない引きこもりだったから、貴族どもも好き勝手できたんだ。けど、ヘインズ公爵が実は王子だったと知れ渡った。やつらは真っ青だろう。自分たちが担いでいた椅子に、だれが座っていたのかを知って」
「──あぁ」

 貴族たちのあいだでは、一人娘が王室に嫁いでいるマイルズの後を継ぐのは、孫の弟王子だろうといわれていたらしい。なのに、いつの間にかひっそりと生前の相続手続きが行われて、派手なお披露目のパーティーもなしという異例な継承だったことから、王子の復帰は絶望的──じつは死んでいるとか──で、新しい公爵はマイルズが仕立てた影武者なのではとうわさされたとか。

 そんな棚ぼたで公爵におさまった遠縁の引きこもりならどうとでもできるが、直系の孫として後継に指名された王子が相手となれば、王室への反逆と見なされても仕方ない。

 何年か様子見して、社交界に興味ないって判断されたから、いいように使われたんだろうけど。

「言いわけの準備ができた委員会から順に、お前に招待状が届くさ」
「『度重なる不手際の謝罪を』って?」
「そのあと委員長を降りるかどうかは、お前が決めればいい」

 だれも止めやしない、と笑うバッシュは悪い顔をしていた。

「いちおう、じいちゃんに聞いてからにする」

 エリオットが家を継いだとは言え、屋敷や資産の管理などを担っているのは、いまもマイルズだ。ヘインズ家の中で一番影響力があり、また頼りになる。

 ただ……。

「最近、あんまり会ってない……」

 膝に顎を押し付け、ぽそりと呟く。

「そうなのか? 引越しの件は?」
「手続きとかの相談したけど、電話でしか話してないもん」

 それもひと月前だ。

「落ち着いたら、連れて行ってやる」
「カーシェまで?」
「あぁ」
「絶対だからな!」

 椅子から飛び降りて、エリオットはグラスを掲げた。

「じゃあ手始めに、このバカげた企みと、くだらない茶番が上手く行くよう祈る」
「たしかにバカげててくだらない」

 バッシュが応じる。

「テクノでもロックでもいいから、ノリのいいやつかけて。おかしなテンションにならないと発狂しそう」
「名案だ」

 宮殿にミラーボールはないけどな、と言いながら、バッシュはプライベート用のスマートフォンを取り出す。

「ミラーボールなら、ベイカーに言えば三十分で取り付けてくれる」
「その前に『旦那さまの発案であれば稟議を』って言われるだろうから、お前との連名な」
「王室の経理をなんだと思ってんだ。そんな書類にサインなんて、絶対しねーから」
「知らないのか。『クリスマスパーティー用の備品』と書けば、どんな予算申請でも通るんだぞ」
「オーケイ、ちょうど水泳用の水着が欲しかったんだ。面積の少ないきわどいやつ」
「使用目的は『ツリーのてっぺんの飾り』だな」
「ズルいだろ!」

 ふわふわする頭で、エリオットは大笑いした。

 まだ正式に復帰したわけではないうちから次々に襲い来る現実も、くだらないと笑い飛ばせる会話がこんなにも楽しい。厄介な貴族相手に立ち回らなければならないとしても、側で支えてくれる人がいるからだ。

 昼前だと言うのに、いい感じに酔っぱらったふたりは、音楽アプリが叫び上げる「ジッティ・エ・ブオーニ」を始めとするモーネスキンのヒットナンバーを聞きながら、ラムのボトルを半分と、大きなピッチャーに満たされていたサングリアを飲み干し、アルコールに漬かったカットフルーツまで食べ尽くした。
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