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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第ニ章
7.交渉成立
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「乗るよ」
キャロルが応答するなり、挨拶もなくエリオットは言った。
電話の向こうで息をのむ気配がし、一瞬後──歓声が襲いかかって来た。かちどきを上げるバイキングのような勇ましさに、エリオットは手にしたスマートフォンをめいっぱい遠ざけた。酒が抜け切らない頭には掘削機なみの衝撃だ。
音割れした声は向かいの椅子に座るバッシュにも聞こえたらしく、コントのように両手を広げて仰け反る。
明らかに許容量を超えたアルコールの後遺症に苦しみながら、午後をひたすら怠惰にやりすごし、料理長が作ってくれた薄味のスープで夕食をごまかしたエリオットは、家族用のリビングで長椅子に転がっていた。
エリオットよりよほど強い酒を飲んだにもかかわらず、普段通りにサラダからデザートまで腹に収めたバッシュも側にいて、余計なことを口走ったときにスマートフォンを取り上げられるよう、会話に耳を傾けている。
エリオットは重い額を抱えて注意した。
「ただし、そちらが契約書にサインすればだ」
『守秘義務契約ね? もちろん。何百ページだって構わないから。調印式のサインは万年筆? それとも羽ペンがいい?』
飛び跳ねるようなテンションだ。
「ラスの肖像入りのボールペンをあげるよ。王宮の売店で十二ユーロ」
『ミシェルのにして。ピンク色の』
「分かった。侍従に伝えておく。それから、薄情に聞こえるだろうけど、もし厄介なことになったら、おれは手を引く」
『それでいい。──ありがとう』
キャロルの声には、心からの安堵がにじんでいた。この選択に意味があったこと──少なくとも彼女にとっては──に、エリオットもほっとする。
『いっそ、あなたの秘密を暴露して、国外追放されてもいいかと思ってたの』
やっぱ早まったかも。
「実行しないでくれて助かったよ」
気が強いたちなのは感じていたけれど、この思い切りの良さで暴走されたらエリオットの手に余る。いや、演奏会のときのように常識的な淑女としても振る舞えるのだから、それほど、切羽詰まっていると言うことかもしれない。
『それで、なにから始める?』
「まずは『デート』から。こっちの準備ができたら、改めて連絡する。契約書を届けさせるから」
『ボールペンを同封するのを忘れないでね』
「もちろんです、レディ・キャロル」
エリオットが応じたところで、ノックが聞こえた。バッシュが席を立ち、閉め切っていた扉を開けに行く。
『ねぇ、エリオット』
「なに?」
『いい友達になりましょうね』
「そうなることを願ってる」
スマートフォンをテーブルに置いて、エリオットは顔を上げる。
家族用のリビングルームには、休みのフランツを除いて三人の侍従がそろっていた。
「お呼びと伺いました」
こう言うとき、代表して口を開くのは筆頭侍従であるベイカーだ。
「みんなの仕事を増やすことになって申し訳ないんだけど、ちょっと急ぎで対応しなきゃならないことができた」
「はい、エリオットさま。なんなりとお申し付けくださいませ」
エリオットは、バッシュがきっちり扉を閉めるのを確認して、最大の味方たちに告げる。
「レディ・キャロルと『付き合う』ことになったから、デートの場所をピックアップしてほしい」
驚きに固まった侍従たちの目が、一斉にバッシュを向いた。
キャロルが応答するなり、挨拶もなくエリオットは言った。
電話の向こうで息をのむ気配がし、一瞬後──歓声が襲いかかって来た。かちどきを上げるバイキングのような勇ましさに、エリオットは手にしたスマートフォンをめいっぱい遠ざけた。酒が抜け切らない頭には掘削機なみの衝撃だ。
音割れした声は向かいの椅子に座るバッシュにも聞こえたらしく、コントのように両手を広げて仰け反る。
明らかに許容量を超えたアルコールの後遺症に苦しみながら、午後をひたすら怠惰にやりすごし、料理長が作ってくれた薄味のスープで夕食をごまかしたエリオットは、家族用のリビングで長椅子に転がっていた。
エリオットよりよほど強い酒を飲んだにもかかわらず、普段通りにサラダからデザートまで腹に収めたバッシュも側にいて、余計なことを口走ったときにスマートフォンを取り上げられるよう、会話に耳を傾けている。
エリオットは重い額を抱えて注意した。
「ただし、そちらが契約書にサインすればだ」
『守秘義務契約ね? もちろん。何百ページだって構わないから。調印式のサインは万年筆? それとも羽ペンがいい?』
飛び跳ねるようなテンションだ。
「ラスの肖像入りのボールペンをあげるよ。王宮の売店で十二ユーロ」
『ミシェルのにして。ピンク色の』
「分かった。侍従に伝えておく。それから、薄情に聞こえるだろうけど、もし厄介なことになったら、おれは手を引く」
『それでいい。──ありがとう』
キャロルの声には、心からの安堵がにじんでいた。この選択に意味があったこと──少なくとも彼女にとっては──に、エリオットもほっとする。
『いっそ、あなたの秘密を暴露して、国外追放されてもいいかと思ってたの』
やっぱ早まったかも。
「実行しないでくれて助かったよ」
気が強いたちなのは感じていたけれど、この思い切りの良さで暴走されたらエリオットの手に余る。いや、演奏会のときのように常識的な淑女としても振る舞えるのだから、それほど、切羽詰まっていると言うことかもしれない。
『それで、なにから始める?』
「まずは『デート』から。こっちの準備ができたら、改めて連絡する。契約書を届けさせるから」
『ボールペンを同封するのを忘れないでね』
「もちろんです、レディ・キャロル」
エリオットが応じたところで、ノックが聞こえた。バッシュが席を立ち、閉め切っていた扉を開けに行く。
『ねぇ、エリオット』
「なに?」
『いい友達になりましょうね』
「そうなることを願ってる」
スマートフォンをテーブルに置いて、エリオットは顔を上げる。
家族用のリビングルームには、休みのフランツを除いて三人の侍従がそろっていた。
「お呼びと伺いました」
こう言うとき、代表して口を開くのは筆頭侍従であるベイカーだ。
「みんなの仕事を増やすことになって申し訳ないんだけど、ちょっと急ぎで対応しなきゃならないことができた」
「はい、エリオットさま。なんなりとお申し付けくださいませ」
エリオットは、バッシュがきっちり扉を閉めるのを確認して、最大の味方たちに告げる。
「レディ・キャロルと『付き合う』ことになったから、デートの場所をピックアップしてほしい」
驚きに固まった侍従たちの目が、一斉にバッシュを向いた。
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