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◆episode7

~ワッカと赤龍王~

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 話し合いをしていた館の外に出ると日が傾き、そろそろ夕暮れ時を迎えようとしていた。
 深い森に囲まれたオニたちの隠れ里には訪れた時と同じように、人影は見当たらないが来訪者たちの様子をずっと物陰から窺っている数多くの気配だけは今も感じられた。
「…これからどこに行くの?」
 厳しい表情のまま無言で歩くアオにピリカが訊ねる。
「とりあえず元来た道を戻ろうと思うておる――地の磐戸の間が贄で穢されておることがわかったので、できればこの霊山に湧く清めの水を持って行って清めたいところなんじゃがな」
「アオの力でちょちょいと出来ないのか?」
 そんなエルの問いかけにアオは「清めるには天土の祝福である水が最適じゃ」と答えた。
「じゃあ、その湧水の場所をサクヤちゃんに教えてもらったら?」
「あれは、今頃オニたちがやらかした事の対処に頭を悩ませておると思うぞ」
 オニたちをこの隠れ里に住まわせたのはサクヤであったが、サクヤの知らない所でオニたちが穢れを重ねていた事が明らかになってしまった以上、何らかの対応をしなければいけないのは明らかであった。
「そっかぁ、サクヤちゃんいろいろ大変なんだ。もっとサクヤちゃんとお話したかったのに残念」
「ピリカはサクヤを気に入ったようじゃな」
 ようやくアオの目が優しいものに戻り、その表情も和らぐ。
「うん、サクヤちゃんがいると周りにお花がたくさん咲いたみたいになるんだもん」
「花の精霊王である所以であるな」
 アオはそう言って小さく笑うと、地下道の出口があった山の斜面に続く脇道へ入って行った。
「アオってさ、ここにきて今まで俺達に見せてない態度を見せていたけど、この場所とかサクヤとかオニたちとか昔に何かあったのか?」
 興味津々といったエルの言葉に、アオは「何か?」と小首を傾げる。
「アオって普段はブツブツ小言を言う事はあっても、自分から進んで真っ向から喧嘩を売るような言動なんてしないのに、いきなりオニ達に喧嘩を売ってたし、サクヤに突っ込まれたら拗ねるしさ。サクヤと難しい話をしていた時なんてすげえ楽しそうだったし」
 エルが少し揶揄いを含ませるように笑った。
「サクヤちゃんとはすごく昔からの仲のいいお友達なの?」
 ピリカもいろいろ聞きたいらしくアオ尋ねる。
「さぁてな、どうであったかな」
 アオはエルやピリカに笑っていると、遠く前方に地下道へ続く扉が見えてきた。
「…あれ? 案内人さん?」
 扉の側にあった人影が案内人である事を確認してピリカが声を上げる。
「あの黒ずくめに黒い帽子…確かに案内人みたいだけど、俺達何か忘れ物でもしたっけ?」
 エルが首を傾げていると、ピリカが「お土産でも持って来てくれたのかも」とのんきな言葉を返した。
「我らの様の贈り物は怖いぞ」と言ってアオが笑う。
「怖いってどういう事?」
 海の生き物たちの管理者である乙姫が不老不死の体となってしまった浦島に手渡した玉手箱は、元の世界に戻った浦島が、知り合いの者が皆既に死んでいた事を知り、また新たな知り合い達も年老いて朽ちていくのを見続けて孤独感にさいなまれ、絶望する事をなる事となるのを思いやって、皆と同じように身罷れる事が出来るようにと浦島の体を元に戻す為の装置であった。
 また月の姫であるかぐやが、月に帰る事になった際、かぐやに求婚をしていた時の天皇に残したのは不老不死の薬であった。しかしそれは使われる事無く、天皇は家臣に命じて山頂で燃やさせてしまったので、この山は不死の霊山となり、不死が転じて富士という名付けられる事となったのであるが…。
「道具というものはどの世界においても使う者次第で幸福になる事もあるし、不幸になる事もあるので、扱いがなかなか難しいという意味で怖いものじゃ」
 巨人族の間で有名な神話に出て来る登場人物や奇跡をもたらすアイテムの多くは、古き者をはじめとする宇宙以来のものであるとアオが説明しているうちに、案内人が待つ扉の前に辿り着いた。
「お待ちしておりました」
 初めて会った時と同じように黒ずくめの案内人は帽子を取って胸に当てながら慇懃に会釈をする。
「今度は何用じゃ?」
 少し警戒した様子のアオに案内人は、今回はサクヤの使いで来たのではないと答えた。
「サクヤの使いではないと?」
 怪訝そうなアオの言葉に案内人は頷く。
「今はサクヤ様にお使いする身とはいえ仙人は幽界に属する存在。それ故、さまざまな戒律に縛られておりますし仙人としてのお役目もございます」
「そうであったな――さまざまな戒律を受け入れ実践する事によって普通の巨人族では得る事が出来ない能力を扱う事が出来ておるのであるのじゃからな」
 アオはそう言うと「不自由極まりないので我は御免被りたいが」と言って苦笑した。
「じゃあ、何の為にここで待ってたんだ?」
 警戒しているのを隠そうともせずエルも尋ねる。
「仙人は己を極める為に俗世を捨て仙境に住まう者。ご存知だとは思いますが、この霊峰富士は別名蓬莱山——仙境がある聖なるお山でもございます。実は前日、赤龍王様が罷られまして、その影響で龍脈の流れが変わったのか、お守りになっていた富士の霊泉の一つが涸れました」
「なんと!」
 予想外だったのか、アオは驚きの声を上げる。
「仙境はその霊泉の恩恵を賜っておりましたので、仙人一同困惑しております。サクヤ様は龍脈の流れが変わったかもしれないと仰って居りましたが、サクヤ様ではそれを戻す事が出来ないと仰ってましたので、青龍さまなら龍脈の流れ戻す事が出来るではと、こちらでお待ちしておりました」
「そうであったか…」
 アオはそう言うと、小さくため息を吐く。
「確かに龍脈の状態が何らかの要因で変わった可能性が考えられるな――サクヤは龍脈の制御は専門外であるので、我の方が適任であろう…霊泉からの清めの水が無ければ困るのは我も同じであるので、承知した確認してみよう」
「ありがとうございます」
 案内人は感謝の言葉を口にすると、「では、さっそくご案内してもよろしいでしょうか?」と訊いてきた。
「我は構わぬ」
 アオは短くそう答えるとピリカ達にそれでいいかと確認をする。
「案内人さん困ってるみたいだし、それでいいよぉ」
 ピリカの言葉にエルも頷く。
「では、まず涸れたという霊泉に案内してもらおうか――もしかするとまだ龍脈はそれほど遠く離れていないかもしれぬのでな」
「承知いたしました…では御案内させていただきます」
 案内人は小さく会釈すると、地下道ではなく山の上に続く獣道を歩き出した。
「赤龍王ってアオの仲間?」
 案内人の後に続いて歩くアオにエルが訊ねる。
「名に「龍」が入っておるのでそう思うのも無理はないが、「王」を名に冠しておるのは精霊族の各責任者であるので、サクヤと同系列の者じゃ」
「…みんな同じ宇宙人じゃないのか?」
「宇宙由来という大きな括りでは確かに同じであるが、それを言ったらエルもピリカも我も皆同じ宇宙人じゃ」
 楽し気にアオはそう言って笑う。
「この星に住まう者達は皆仲間じゃ。魂の出自は皆違うし役割も皆違うので、適材適所で働いてお互いを助け合っていく為に存在しておる」
「助け合いをするのは大切だと思うけど、どうしようもなく気が合わないって存在ってのもいるからな」
「違いない――そういう存在には関わらなければいいだけの話じゃ」
 エルにアオは「まれに、不愉快な相手とどうしても関わらなければいけなくなる時もあるが、その時は定めだと思って諦めるしかないがの」と苦笑いをする。
「サクヤちゃんは精霊だけど、アオは精霊じゃないよね?」
「精霊と妖精の違いってのも俺わかんないけどな」
 何がどう違うのか解らないというピリカにエルがそう言って笑う。
「精霊というのは草木、動物、巨人族、石など無機物といった万物に宿っている魂じゃよ。肉の衣と外を出入りする事が多いので、霊主体従の位置付けである――ただし巨人族の場合、肉体を離れて魂だけで動き回ると、精霊ではなく幽霊と定義付けされる事が多いがな」
 因みに精霊の場合、強力な意志と能力を兼ね備えている存在には、尊敬と経緯の意味を込めて「王」という称号が与えられているのだという。
「精霊は個としての意識を持ちながら、種としての意識を共有する能力を持っておるのが特徴じゃ」
「あ、だからサクヤちゃんはコロボックルが花を大切に扱っている事を聞いているってのを言ってたのかぁ」
 納得した様子のピリカにアオは微笑みながら頷いた。
「一方の妖精じゃが、精霊よりはより巨人族に近い種族で半霊半物質の肉の衣を纏っている事が多い。こちらは意識を一族で共有する事はない――もう一つの違いは前にも話したと思うが、基本的に妖精は霊体が直接生まれ育った土地からのエネルギーを吸収しているから食事をする必要は一切ないが、ピリカの様に旅に出て、生まれ育った土地からのエネルギー供給が途絶えてしまった場合、その肉体の維持の為に食事せねばならぬ」
「食事と言えば、私、すごくお腹がすいてるの~」
 食事という単語に反応してピリカが空腹を訴える。
「そういえば隠れ里に来てから何も口にしていなかったな。ここはサクヤの結界内であるとはいえ地上である事をすっかり失念しておった」
 地の磐戸がある空間は、精神界であるので空間から直接エネルギーを吸収する事が出来るので嗜好品としての食事をする事はあっても、体を維持する為の食事をする必要は無い。しかしこの隠れ里は物質界であるので半霊半物質の存在であるピリカやエルには食事をする必要があった。それをすっかり忘れていたアオはピリカ達に謝ると、案内人に何か食べられるものはないかと尋ねる。
「——食料ですか…まだこの辺りは植物が育つ環境でございますので、探せば野草類ならあると思いますが、お口に合うかどうか…」
「心配無用。我々としてはそちらの方がありがたい」
 案内人の心配をアオは笑い飛ばす。
「巨人族が好む食事は毒物まみれで臭そうてかなわんのでな――まだそれほど暖かい訳ではないが、これだけ緑が豊かであればなにか見つかるであろう」
「そうでございますね。山頂の方はまだ雪に覆われておりますが、このあたりであればそろそろ気が早い木の芽は顔を出しておるやもしれません」
「わぁい、ごはん♪」
 なんとか食事にありつけそうだとピリカがはしゃぐ。
「では、先に食事とするか…食事が出来そうな場所をみつけたらそこでいったん休憩といたそう」
 急遽一行は隠れ里を見下ろせる小高い場所で食事休憩を取る事となった。
「こちらで少しお待ちになっていて下さいませ。この山は私の庭の様なものですので、すぐに食べられるものをお持ち致します」
 案内人はそう言って一礼すると文字通りその姿を霧散させて姿を消す。
「案内人って元巨人族だったなんて思えないよな」
 虚空に消えた案内人を見ていたエルが何とも言えないといった表情で呟きを漏らす。
「フヨウはかなり修行を積んだ様じゃな」
「へぇ、案内人さんってすごいんだ」
 夕暮れ時を迎えた隠れ里を見下ろしながらそんな話をしていると、案内人がふわりと空から舞い降りてきた。
「お待たせいたしました――取り急ぎ山の恵みを集めて参りました」
「やった~」
 案内人が持って来たのは様々な草や木の根や実、キノコなどで、それを見たピリカは喜びの声を上げる。
「火を起こしましょうか?」
「そうだね~」
 ピリカが頷いたので、案内人は近くの茂みにあった枝を適当に見繕うとそれを集めてピリカの前へ積み上げ、小声で短い呪文のようなものを唱えると、案内人の指先に小さな火が灯った。
「すご~い。火の精霊さんにお願いしてないのに、火が点いた」
 指先の火を積み上げた枝に移して焚き火を作った案内人をピリカは驚いた様子で見る。
「大した事ではございません」
 案内人はそう言いながら大きな葉で木の実を包むと焚き火の熱で調理を始めた。
「手慣れたものじゃな」
 案内人の手際の良さにアオが感心する。
「生のままでは腹を壊すものも多いので、その様なものをお客様達に食べさせる訳にはまいりませぬ」と言いながら、キノコに枝を刺して焚き火で炙り始めた。
「俺は生でも大丈夫だぜ」
 積み上げられた草の中から好みのものを選んで食べ始めたエルがそう言って笑う。
「私はスープが好き~。旅先でもいつでもスープが食べられるようにってお鍋を持って来ようしたら、エルに怒られて捨てなきゃいけなかったんだよぉ」
「鍋だけじゃなく大荷物だったじゃないか」
 ピリカが初めての村を出て旅に出た時の事を思い出してエルが苦笑いする。
「大量の着替えと毛布を見た時には、自分の目を疑ったんだからな」
「だって旅先じゃ服とか洗えないって思ったんだもん」
 ピリカは口を尖らせてエルに反論した後、焼きあがったキノコに齧りついた。
「熱っ…でも美味しい」
 溢れ出る旨味たっぷりのキノコを頬張りピリカは至福といった表情を浮かべる。そんな小さな妖精を見詰めてアオは優しく微笑んだ。
「…あ、そうだ案内人」
「はい」
 エルがふと何かを思い出したのか、黙ってピリカ達の様子を見ていた案内人に声をかける。
「この山の麓にある巨人族の駅とかいうやつの近くにいる小さい龍…あれ、あんたがあそこにいるように命令したんだろ?」
「あ! そうだワッカ!」
 エルの言葉を聞いてピリカも思い出したのか声を上げる。
「バタバタしていて訊きそびれていたんだけど、どうしてあいつをあんな場所を守れって言ったんだ? そもそもあいつは何なんだ?」
 エルの問いかけに案内人は少し驚いたのか「おや、あれにお会いになっていたとは…」と言いながら右眉を上げてみせる。
「ワッカね、案内人の事を訊いていたし、自分が誰なのかとか、どうしてここを守らないといけないのか解らないって不安そうだったよ」
「…ワッカ?」
 ピリカが知らない名を口にしたので、案内人は怪訝そうに訊き返すと、アオが「ピリカが付けたあの小龍の名じゃ――コロボックル族の言葉で、良い水、清浄な水という意味らしい」と説明を加えた。
「貴方様があれに名前をお付けに…」
 興味深そうに案内人はそう言うと、しげしげと芳ばしく焼けた木の実を頬張り始めたピリカを見る。
「あれはまだ個が定まっておらなかったのでピリカが名を付けたが、あのような生まれたばかりの龍体の精霊をあのような場所へ縛るとはどういう意図であったのじゃ?」
「あれは赤龍王様が罷った際、残されたものでございます」
 案内人はそう言うと、ワッカの出自とあの足湯がある小さな温泉について語り始めた。

 赤龍王は霊峰富士の二合目に鎮まっていたという。
「赤龍王様は霊峰富士の火山としてのお働きを司る精霊でございました」
「へぇ火山って事は、ここってフンチヌプリみたいなお山だったんだ」
 フンチヌプリはコロボックル達が使う言葉で火を噴く山という意味である。この山は深い森が広っているから、火山では無いと思っていたとピリカは笑った。
「こちらのお山の上の方は非常に気温が低いですし、今の季節は中腹辺りまで雪に覆われておるのでわからないと思いますが、上の方は植物が育つのには向いていないお土でありますので荒涼とした風景が広がっております」と案内人は説明すると、話を続ける。
 この山は約三百年程前までは大きな噴火を繰り返していたという。
「噴火が落ち着いたのは、噴火活動は山の神の怒りであると信じられていたので、それを諫める為にと人柱として捧げられたある巨人族の娘がおりました。その娘に赤龍王様は恋をされ、娘と少しでも長い間一緒に過ごせるようにと物質界に留まるようになったのでございます」
 それまで気性が非常に激しかった赤龍王であったが、次第に穏やかな性格へと変わっていった。
「…精霊と巨人族が恋に落ちるという話はたまに耳にするが、赤龍王もであったか」
 意外そうなアオに案内人は頷く。
「娘は人柱として捧げられていたので里の村に帰る事は出来ず、とはいえ普通の巨人族の娘でありましたので、霊界や仙境に住む訳にもいかず、富士の二合目であれば娘でも冬を越すことが出来るだろうという事で、赤龍王は巨人族の男に姿を変えて、娘とそこで所帯を持って暮らす事にしたのです」
 また山の麓に広がる樹海と呼ばれている森は広大で、奥深くに分け入れば方向を見誤る事から迷いの森であったし、溶岩洞があちこちに口を開けている事もあって巨人族たちはあまり奥まで立ち入らず、二人は仲良く穏やかな日々を過ごせたという。
「しかし時は無情なもので、肉の衣を纏っている巨人族の寿命は短く、赤龍王の最愛の妻はこの世を去ってしまいました」
 妻が死んだ後も赤龍王は思い出の地にそのまま留まり、妻の為に龍脈を操り水に不自由しないようにと引いた泉を守り続ける事とした。
「泉って作れるんだ…」
 自然のものであるので、それをどうこう出来るとは思わなかったエルが目を丸くする。
「龍脈と言うのはこの星に流れる気=生命力の流れであるからな――肉の衣で例えるなら龍脈は大動脈のようなもので、その中を気が流れているという訳じゃ」
 そして水脈はその龍脈の対になる存在で原則的に二つは重なっている事が多いとアオは言う。
「龍というのはエネルギーのハタラキそのものであると言っておったであろう? それ故、「流=龍」である事を巨人族は知ってか知らずか、水が動くことを水流と呼んでおる」
 「もっとも、それを理解している巨人族などほとんどいないであろうがな」と苦笑いを浮かべた。
「——って事は、龍脈の流れが変わったらその水脈とかいうお水の流れも変わって、水が出なくなって泉や川が涸れるって事か…」
「そういう事じゃ」
 エルにアオは頷くと、赤龍王も本体はエネルギー体であるので、水脈に干渉しその流れを変える事は造作もない事だと笑う。
「龍が水の流れを変える事が出来るのはわかったけど、ワッカは赤龍王さんとその奥さんの子供じゃないんでしょ?」
 あの生まれたばかりの小龍がどういった存在なのかが気になっていたピリカが疑問を口にする。
「あれは赤龍王様であり、赤龍王様ではないものでありますな」
「?」
 案内人が何を言っているのか解らないといった様子でピリカとエルは顔を見合わせていたが、アオは理解したのか「そういう事であったか」と納得したようであった。
「どういう事?」
 エルはそんなアオにわかりやすい説明を求める。
「木に例えるならば、罷った赤龍王は親木でワッカはその親木から切り離した新芽のようなものじゃ。案内人は切り離された新芽をあの小さな足湯の温泉場に差し芽したというところであろう」
 既に親木である赤龍王はすでに罷る…涸れてしまったので今のワッカと記憶を共有することは無いが、元が同じであるので、案内人は赤龍王であり、赤龍王ではないという表現を使ったと思われた。
「…はい。元は同じ魂でも取り巻く環境や経験が違えば違う個が形成されますので、前の赤龍王様と同じ存在ではないと申し上げたのです」
 案内人はそう説明した後「とはいえ、元の赤龍王は火属性のエネルギー体である精霊だったので、あの地の小さな泉の水は元は冷泉であったのに、ワッカが持つ属性の影響によって温泉となったと笑う。
「そういう事であったら、涸れた霊泉の元の龍脈を探して守護者がいない場所へ無理に引き戻すより、ワッカが守護する泉の方に大きな龍脈を引き寄せ強化して、霊泉として仙境に流した方が手っ取り早いし、安定するであろうから、そちらの方が良いと我は思うぞ」
 そんなアオの提案に案内人は驚いたのか無表情であったが右眉だけ上げてみせる。
「あれはまだ赤子…そのような重大な事を任せよと仰るのですか?」
「あれが赤子であったのは個が確立しておらなんだからじゃ。ピリカが名を与え個が形成されたであろうから、今は幼子ぐらいにはなっておろう――大きな龍脈を引き寄せ、そこでこの星の記憶を学ばせるのも悪くはないはずじゃ」
 アオはそう言うとニヤリと笑みを浮かべる。
「青龍様がそうおっしゃるのでしたら、異論はございません」
 案内人はアオの提案に素直に応じると、どうすればいいのかと尋ねる。
「あの小龍の元への近道があれば案内を頼む――近道が無ければ我が皆を連れて飛んでも構わぬが、そうするとサクヤの結界を騒がす事となるので、できればそれはしたくない」
 小龍がいる場所はこの山から近いとはいえサクヤの結界外。いったん地の磐戸の間や霊界を通るのは面倒だとアオは思ったらしい。
「そうでございますね…」
 案内人は考え込む。
「私一人であれば、サクヤ様の結界を騒がすことなく飛ぶ事が出来ますが、大きなエネルギー体である青龍様と一緒となるとそうもいきませぬので、赤龍王さまの結界門を通るのが良さそうでございますね…」
「結界門?」
 聞きなれない言葉にエルが首を傾げる。
「赤龍王様が奥様の為への贈り物を手に入れる為に巨人族の村へ行く時に使っていた裏道でございます。麓と空間を繋げてありまして、その門は巨人族に見つからないように結界を張っておるので、その様な名前で呼んでおります」
 巨人族である妻が生活をしていくにはさまざまな物品が必要であったので、赤龍王は時々それらを巨人族の姿で村まで調達しに行き、妻に贈っていたらしい。
「ほんと赤龍王ってその巨人族の奥さんの事が好きだったんだなぁ」
 話を聞いたエルは赤龍王の妻に対する強い愛情に感嘆の声を上げる。
「精霊というのは一途な者が多いでな」
 アオはそう言うと、案内人にそこへ案内するように頼む。
「承知いたしました――お食事も終わったようですし、ではそちらへ向かうと致しましょう」
 案内人はそう言って手際よく焚き火の始末をすると、目的地をワッカがいる麓の小さな足湯温泉へ変え、そこへの近道である結界門へ向かって歩き始めた。

「あれ? なんかここ変わった?」
 案内人の案内によって迷うことなくワッカがいる小さな足湯へ到着した直後、ピリカが怪訝そうに首を傾げた。
 辺りはすっかり日が暮れて街灯の光で駅周辺は照らされて明るかったのだが、ピリカの目にはワッカが護っている足湯がある付近がひときわ明るい雰囲気の変わった様に感じたのである。
「これはこれは…」
 ワッカをこの地にある小さな足湯の守護者として置いた張本人の案内人は、右眉を上げて驚いたように呟きを漏らす。
「前にここに来てから時間がどのくらい経ってのかわかんないけど、明らかにここの雰囲気変わったよな」
 エルもその変化を感じ取ったのか、その驚きを隠せないようであった。
「ワッカの気配が前より強くなってる…ちょっと呼んでみるね」
 ピリカはそう言いワッカを呼ぼうとした瞬間、風が吹き始めて湯気が集まりだした。集まった湯気は渦を巻き、次第に濃い霧で出来た龍が姿を現す。
「…デカくなってる」
 初めてワッカと出会った時は体長30㎝ほどであったが、今目の前に現れた龍体は1mを超える長さになっていた。
「ワッカ大きくなったね~」
 小龍の著しい成長にピリカが驚きの声を上げる。そんなピリカに応える事無くワッカは案内人を見詰める。
――導きし者!
 ワッカのそんな言葉と嬉しいといった感情がその場に居た者達の思考に流れ込んできた。
「個が形成され、少し大きくなられたな」
 案内人の言葉にワッカは反応を示す。
――吾、ワッカなり。この地を守る者。導きし者は何者?
「私はフヨウ。富士の仙境に住まう仙人である」
――仙人…。仙人は何故、吾をここに導いた?
 以前は判らない事ばかりで不安といった雰囲気を強く感じさせるものであったが、今は名を与えられ個が形成されたせいか、その思考には明確な意志の様なものが感じられた。
「そなたは赤龍王様の分け御霊——赤龍王さまは霊峰富士の龍脈の要であった。この地の泉は富士の龍脈に繋がるゆりかごの様なものであったので、そなたが育ち学べるようにとここに置いた」
「赤龍王…吾…」
 案内人の言葉を噛み締めるようにワッカは呟いて目を閉じる。その名が小龍の魂に刻み込まれたのか、その次の瞬間ワッカの姿がさらに一回り大きくなった。
「わわわっ」
 目の前で巨大化したのを見たエルが驚きと困惑が入り混じったような声を上げる。そんな相棒とは対照的にピリカは無邪気に「凄~い」歓声を上げる。
「ワッカ、案内人とお話出来てよかったね」
 ワッカはようやくピリカの存在に気が付いたのか、小さな妖精に視線を向けた。
「そなたは…吾に名を与えし者…」
「ピリカでいいよ。この場所からみんなを清める力を持つお水がたくさん出ますようにっていう祈りを込めて、良い水、清浄な水って意味を持つワッカという言葉をあなたに付けたんだ。もっと大きくなって皆に水の恵みを与えてあげてね」
 自分に与えられた名が、祈りの思いを込めたものであった事を聞いてワッカの体はさらに大きくなる。
 その様子を見守っていたアオが微笑みを浮かべながら口を開く。
「これはなかなかに面白いものを見せてもらった――さすが赤龍王の分け御霊といったところじゃな」
 そんなアオの言葉に案内人が「これほど急速に成長するとは…」と驚きを隠せない様子で呟きをもらす。
「幼子が育つには何よりも愛情が一番大切であるからの」とアオはそう言うとワッカに話しかける。
「——汝に問う。赤龍王の分け御霊として、そしてワッカの名を持つ者として、清浄の力を持つ事を望むか?」
――是。
 ワッカから短い肯定の意志が返ってきた。
「承知した。では大いなる流れに身を置くがよい」
 アオは口元に笑みを浮かべそう言うと、おもむろにしゃがみ込んで地面に両手をつくと、静かに目を閉じ、声にならないような小さな声を発しているのか、口を動かす。
「…地震?」
 地面のわずかな揺れを感じ取ってエルが疑問符を飛ばす。その間にもアオは口を動かし続けた。
…ゴ…ゴゴゴ…。
 エルが感じていた揺れは次第に大きくなり、地面の底から何か這いずる様な地響きが聞こえて来た。
「大きな何か来る…」
 さすがのピリカも何かを察知したのか、不安そうに地面に視線を落とす。
「…」
 案内人の方は揺れと地響きに動揺する事無くアオの様子をじっと見つめていた。
 地鳴りがより一層大きく響き始めた時、突如、足湯の源泉である小さな泉から大量の水が噴き出して足湯施設の屋根を吹き飛ばす。
「わっ!」
 当然吹きあがった大量の水は重力に従って大雨のように降り注いで、一瞬にして駅前広場は水浸しとなった。当然、その場に居た者達も水の洗礼をうける事になり、エルは文字通り濡れネズミとなる。
「一体何が起こったんだ⁈」
 川のような水の流れに流されないように踏ん張りながらエルが声を上げた。
「大きな龍脈の流れをこちらに呼び込んだので、それに引っ張られる形で水脈の大きな流れも付いて来ただけじゃ」
 事もなげにアオはエルに説明していると、突如現れた水柱とその騒音に気が付いた付近の巨人族が集まって騒ぎ始める。
「見つかるといろいろ面倒そうじゃ…二人ともこちらへ」
 アオはそう言うと、ピリカとエルを自分の肩に乗せるとふわりと街頭の明かりが届かない街路樹の上へ舞い上がった。それに従う様に案内人も付いてくる。
 幸い、巨人達は水柱や吹き飛んだ屋根の残骸に気をとられて、夜空に気を向ける者はいないようであった。
「わぁ、どんどん巨人さんたちが増えてる」
 辺鄙な田舎町のどこにいたのかと思うぐらいの巨人達がどこからともなく現れて、水柱や川のようになった駅前広場の様子を手にした小さな機械を向け、熱心な様子で何やら操作をしていた。
「あいつら何やっているんだ?」
 巨人達の奇妙な行動にエルは不思議そうな顔になる。
「あれはスマホという巨人族の道具で、我の住処にも動く絵や流れる文字の壁があったであろう? あれと同じ事が出来て、動く絵も記録として残すことができるので、この様子を記録しておるのじゃ」
「そういや、あれ、電車の中でもあいつらあれを手に真剣な顔してたよな」
 それを聞いたエルは電車での巨人族を思い出す。
「あくまでスマホは道具であって執着するようなものではないのじゃが、巨人族はあれが無くては生活が出来ぬほど依存をしておる」
「あれは好奇心や承認欲求を満たすものでもありますからな――彼らは己の欲に忠実で律する事を疎かにしております故…」
 アオの呟きに案内人はそう言うと、巨人族たちを見ながら「己を律し自己教育をせねば、獣の入れ物となり続ける事となるのにもったいない事です」とため息を吐くように呟く。
 そんなアオと案内人の会話を聞きながら、エルが心配そうな顔になる。
「知らないうちに俺達もあれの記録として残ってるんじゃ?」
 それを聞いたアオが笑う。
「この国には様々な場所に防犯カメラという映像記録装置が設置されておるので、巨人族が住む場所であったらそこにいる者達の記録をずっと撮っておる――もっとも我らの姿が記録されるようなことはめったとないが」
「どういう事?」
 アオの言葉の意味が解らずピリカが首を傾げる。
「カメラというのは霊的存在や半霊半物質の存在となると感知する事が難しい――もっとも操作している者の周波数が我らと近ければ、同調連鎖によって操作している機械に影響を与え、物質界での光の波長に変換して捉える事が出来る事もあるがな」
「…そうなんだ。アオが地面に手をついた後、お水がいっぱい地面から出たのから、それを巨人さん達が見たらアオが何かしたって思いそうだもんね」
 クスクス笑うピリカにアオは「我は裏のお役目であるので、巨人達にいろいろ詮索されるのはまっぴらじゃ」と小さく左右に首を振った。
「そういやワッカは?」
 地鳴りの後、地面から水柱が立つと同時に水煙の中にワッカが姿を消したのを思い出してエルが訊ねると、案内人が「あそこ…」と夜空を指さした。
「わ…」
 水柱が立っている上空には大きな雲が広がっていて、よく見ると龍体がとぐろを巻いているようである。
「ちょっと大きくなりすぎじゃないか?」
「ワッカの学びはこれからが本番じゃ…どうすれば良いのかは本能で知っておるはずじゃが…」
 エルの戸惑いに答え、アオは空高くに昇ったワッカを見上げた。
 少しの間大きな雲の形のままぐるぐると旋回をしていたワッカは、急速に凝縮すると光の矢の様に姿を変え、巨人たちが遠巻きにしている水柱の中へ急降下する。
 ドォン!
 突如水柱に雷が落ちたかのような光と轟音に当りが包まれ、集まっていた巨人達は悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
「…ワッカ?」
 何が起きたのか解らないといった様子でピリカがワッカが飛び込んだ水柱を見詰める。
ゴ…ゴゴ…。
 一瞬の静寂の後、再び地鳴りが始まった。
 相次ぐ怪異に巨人達も不安そうな表情を浮かべ物陰に隠れて周囲の様子を伺う。
「…ん?」
 地鳴りが続く中、水柱の勢いが弱くなったような気がしてエルが首を傾げた。
ゴ…ゴ…ゴゴゴ…。
 地面の奥底から聞こえていた地鳴りの音が次第に大きくなり、地面から立ち上がっていた水柱が姿を消す。
ドォォン!!
 何かが爆発した様な大音響と同時に、水柱があった場所から今度は高温の熱水と蒸気が噴き出した。
「熱!」
 地響きが始まってから巨人達は水柱から離れた物陰で様子を伺っていた者が多かったので熱水の直撃を受ける者はいなかったが、熱水のしぶきや蒸気を浴びる事となった者達は悲鳴を上げながらさらに遠くへ逃げ出す。
「熱水になったという事は、ワッカの…赤龍王の力か」
「そうでありましょう。しかしこれだけの流量の水を熱水に変えてしまうとは…さすがでございます」
 感心するアオに案内人は大きく頷く。
「ワッカは無事龍脈に辿り着き、潜在的に持っていた本来の赤龍王の力が目覚めたのであろうな。この火と水の浄化の力、垂れ流しておくのはもったいないし巨人達では持て余すであろうから、仙境へ分けるのが賢明であろう」
「…は、感謝いたします」
 案内人はアオに頭を下げると、仙境へここより湧き出る清めの水を引く算段を仲間と付けると言って姿を消した。
「どこに行っちゃったの?」
「ここが新たな霊泉となったので、フヨウはここの清めの水を仙境に引くという目的を果たす為に戻った――ワッカの方は龍脈で泳いで…これは遊んでおるようじゃ」と言ってアオは笑う。
「遊んでるって…」
「ワッカは元は火山のエネルギー体であるから、この星の生命エネルギーの流れである龍脈はいわば母の様なものである――その母なるエネルギーの中に留まる事によって星の記憶を受け継ぐ事も出来るので、学ぶ事も多い」
 記憶をそのままコピーするようなものなので、記憶の解釈に違いは個によって違いはあるが、事象についてはありのままであるのでオニたちや巨人族の様に事実の改ざんが入り込む余地はないという。
「記憶を受け継ぎ、それに自分の解釈を加えた時、ワッカは更なる成長を遂げるであろう」
 それは新たな赤龍王の誕生である。
「次元転換の時期に合わせての世代交代——これもまた世界が変わる為の布石であるのじゃろう」
 感慨深そうにアオはそう呟くと、ピリカの頭をそっと撫でる。
「そなたと縁を結ぶ事となったのも、その布石であったのかもしれぬな」
「…?」
 不思議そうな顔のピリカにアオは微笑む。
「これで地の磐戸の間の穢れを清める事が出来る――これもそなたが生まれたての小龍でしかなかったワッカの存在に気が付き、名を与えたからじゃ。ありがとう」
 アオから思わぬ感謝の言葉を受けたピリカは一瞬きょとんとした後、満面の笑顔を浮かべる。
「アオに御礼を言われる事は何もしてないけど、ありがとうって言ってくれてありがとう」
 一転の濁りも無いピリカの純粋な言葉にアオは――この小さな妖精なら必ず皆を幸せに導いてくれる。
 そんな確信めいた予感がするアオであった。
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