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(八)忍びの者

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 夜半になって箕浦城から無事に帰還した員昌は、安堵した様子の城兵に出迎えられた。

「まずはようございましたな」
 小堀正房はむっつりとした表情を隠さない。

 正房は、兵の押し引きの機微もわきまえない今井定清の非が大きいと考えていたからだ。

 対して、磯野員春は言葉もなく、顔をゆがめて男泣きに泣いていた。

「皆、言い分はあろうが、まずは休ませてくれ。さすがに疲れたわ」
 員昌は言葉少なにそう言い残して本丸御殿の奥の間に向かう。

「御無事でようございました」
 身を案じていたであろう美弥の目じりにも、光るものがある。

「今井家の者も、本音では主の仇を討ちたいところであろう。されど、それでは家が滅ぶことになる故、堪忍したということじゃ」
 円座に腰を下ろした員昌は渋い表情を崩さなかった。

 今井家が謝罪を受け入れてくれたとはいえ、これで事が全て済んだ訳ではない。

 明日には長政の元を訪れて謝罪する必要があり、気の重い一夜を過ごすことになる。

 要らぬ愚痴を聞かせるのも忍びなく、早々に美弥を奥に下がらせた員昌だが、床に着く気にもならない。

 居室にてひとり、今井家の今後について考えを巡らせる員昌は、程なくして、本丸屋敷の北の庭に人の動く気配を感じた。

(む?) 

 そこは、人前に出づらい員行のために柴垣を巡らせて、余人を入れない造りにしている場所である。

 員行がひそかに鍛錬を積んでいるのか、と一瞬考えた員昌であるが、さすがにこんな真夜中にやることではないと思い直す。

 ならば曲者が忍び込んだか、と員昌が濡縁に出て庭の様子を伺ったところ、明らかに員行とは別人の体躯を持つ黒い人影がうずくまっているのが見えた。

「何者じゃ」
 黒い人影と見えたのは、黒装束に身を包んでいるためだった。

「太尾山城の焼き討ちをしくじりし者にござりまする」
 平伏した黒装束が、くぐもった、それでいて妙に耳に通る声で返答する。

 今井定清に雇われて太尾城内に忍び入ったものの、火付けに手間取って同士討ちの遠因を作った甲賀の忍びと聞き、さすがに員昌も内心では驚いた。

「ほう。忍びの者が儂に何用じゃ」
 員昌は、どうにか平静を装て尋ねる。

「此度の失態、なんとしてもお詫びを申し上げたく、不躾ながら参上仕った次第」

「詫びとな。金さえあれば敵にも味方にもなる忍びにしては、律儀ではないか」

「恐れながら、金次第であるからこそ、信用がなければ相勤まらぬのが忍びにござりまする」
 平伏したまま、黒装束は不遜ともいえる言葉を返してきた。

 員昌は口の端を歪めて笑った。

 詫びを入れに来たにしてはふてぶてしい態度も、さほど腹は立たず、むしろ興味が先に立った。

 元より、忍びの者個人に対して、員昌は遺恨を抱いていない。

「面をあげよ。そもそも、忍びの者に謝罪させるつもりなどなかったわ」

「恐れ入りまする」
 黒装束の忍びが、言われるがままに顔をあげる。

 忍びらしく、とりたてて特徴のない面立ちに見えた。

「それよりも、此度の経緯について話を聞きたい。上がれ」
 員昌の言葉に、忍びが茫洋とした顔にはじめて困惑の表情を浮かべる。

「そればかりお許しくださりませ」

「儂が許しても、奥が怒るわ。その庭は、嫡子右近のものなれば、余人に踏み荒らされてはな。さっさと致せ」
 員昌に促され、ようやく腰を上げた忍びが、落ち着かない様子で草鞋を脱ぎ、広縁から員昌の部屋に入った。

「名を聞かせてもらえるか」

「森盛造と申しまする」
 うずくまるように平伏しつつも、ためらうことなく、忍びは名乗った。

 本名とも思えないが、そもそも忍びに本当の名があるのか、員昌は知らない。

「ふむ。して、盛造よ。此度の火付けの策、なにゆえに失敗したと考えておる」

「申し訳ないことにござります」
 表情を消した盛造が頭を下げる。膝の上においた両拳がかすかに震えているのを、員昌は見逃さなかった。

 震えの元は、恐怖や緊張などではない。己の不甲斐なさに対する怒りだ。

 やはり、忍びにしては責任感の強い男なのだろう、そうでなければわざわざ顔を出して謝罪になど来ない。

 だが、そう思いかけて員昌は胸のうちで打ち消す。銭次第で敵にも味方にもなる忍びのことを、武士はとかく下に見たがる。

 しかし、命がけの割に合わぬ仕事を成し遂げようとする忍びの原動力がどこにあるかといえば、やはり責任感としか評しようがないのではないか。

 信用を重んじ、責任感が強い忍びは盛造一人に限るまい、そう思いなおした。

「繰り返すが、そなたを責めておるわけではない。まあ、正直申せば、首尾よく事が成っておればと思わぬでもないが。それよりも、しくじりの元がなんであったかを知らねば、次に同じ過ちを犯す。故に知りたいのじゃ」

「御下問ゆえ、くだらぬ言い訳とお叱りあること承知のうえで申し上げます。闇に紛れて城外から潜入する此度の手立てでは、刻限を定めて火を放つことは、そもそも困難でござった」
 腹をくくったのか、盛造は語気を強め、一息に言葉を吐き出した。

「うむ」

 策自体に無理があったと言われても、現に失敗している以上、怒鳴りつけるわけにもいかなかった。

「では、どのようにすべきであったか」

「あらかじめ、雑兵として城に潜り込み、内実を把握したうえで事を起こさば、あるいは結果は違うておったやに思いまする」

「なるほどのう。そのような下準備が必要であったやもしれぬな」

 その後、員昌はいくつか問いを投げかけ、盛造がそれに応じるやりとりが続いた。

 必要以上の言い訳はしないが、かといって過度に卑屈になることもない盛造の態度に、員昌は感じ入るものがあった。

 忍びの者に対する期待が過大であったための失策、と結論付けるのは酷ではあったが、定清の太尾城攻めに拙速な点があったことは否めない。

 もちろん定清の立場としては、城攻めに時間をかける心の余裕などなかったのであるが。

 一通りの質問を終えて後、しばし沈黙の時間が続く。

 思案顔の員昌を前に、盛造は微動だにせず言葉を待っている。

「うむ。相分かった。儂が許すなどと申しても詮無いことではあるが、今後の教訓と致す。さて、その方を見込んで頼みがある」

「はっ」
 返事をしつつも、盛造はいぶかしげな目を員昌に向けた。

「他でもない。我が手にも敵情を探り、策を講じるための手駒が欲しいと思うておる。そなた、今井家には顔も出せぬであろうから、次は儂に仕えぬか」

 思いがけない言葉であったのか、盛造は目を細めてしばし黙り込む。が、ややあって首を横に振った。

「まことに有り難きお言葉なれど、失策を犯したそれがしが、主取りいたすわけにはまいりませぬ。その儀ばかりはご容赦くださいませ」

「そう申すな。当事者たる儂が乞うておるのじゃ」

「いえ、こればかりは」

 その後、数度押し問答が続いたが、最後は員昌が折れた。

「左様か。そこまで拒むのであれば、やむを得ぬな。……與七を呼んで参れ」
 小さくため息をついて員昌が、次の間に控える近習に声をかける。

「お召しにより参上いたしました」
 やがて、岸澤與七が襖を開けて室内に静かに入ってきた。

 二十歳そこそこの若武者である。

 武技にすぐれ、若くして馬廻りに取り立てられた期待の星は、今や御家の危機を招いた罪人同然となっている。

 謹慎の身であり、與七の表情にやつれが伺えた。

 明日、員昌が長政の元に行けば、事態の収拾のため與七の処断を命ぜられる可能性は高い。

 打ち首になるぐらいであれば、いっそ自害を命じるべきかとも員昌は考えなくもないころである。一方、その才を思えばこのまま死なせるのもいかにも惜しく、その処遇を考えあぐねていた。

「この者は今井殿に鑓をつけた当人じゃ。同士討ちの騒ぎの最中であったとは申せ、今井の御家中の悲嘆を思えば、儂の手元には今まで通り置いておくことは出来ぬ」

 員昌の言葉に、顔を伏せる與七の肩が震える。

 一方、盛造は與七と引き合わされてもどう相対してよいのか判らず、困惑の表情を浮かべている。

 対照的な二人を見比べながら、員昌は言葉を継いだ。

「與七は表に出せぬが、かと申して召し放つ訳にもゆかぬ。故に、盛造が儂に仕えぬというのであれば、その方、この與七を忍びとして育ててもらえぬか」

「それがしに師匠になれと」

「殿っ」
 首を傾げる盛造に対し、與七は狼狽えた声を出す。

「自ら腹を切ったと伝えれば、我が殿もわざわざ首級をみせろなどとは申すまい。そなたの家族には苦労をかけるが、ここで死なせとうはないのじゃ」

「……仰せに従いまする」
 逡巡の後、與七が平伏する。

「忍びの者は幼少より厳しい鍛錬を積むと聞く。今からでは與七を一人前の忍びに育てるのは難しかろうが、身命を賭して鍛えれば、やってやれぬこともなかろう。受けてくれるか、盛造」

「御無礼ながら、二つばかり条件がござる」

「申してみよ」」

「忍びの技を與七様にお教えするならば、それがしは名を捨て、忍び働きもやめ、一介の鉄砲放ちになりたく存じまする。ゆえに、角場と煙硝を使う許可を戴きたい。それが一つ目の条件にござる」

「なるほど、鉄砲放ちか」
 員昌は膝を叩いて頷いた。角場とは鉄砲の射場を指す。

 合戦場に勝手に馳せ参じる「陣場借り」は、仕官を求める牢人がその腕のほどを披露する絶好の機会である。

 その働きが目に留まれば召し抱えの機会があるのだが、刀や鑓、弓矢では人目を引くほどの活躍は現実には難しい。

 しかしながら、新しい武器である鉄砲に関しては事情が異なる。

 鉄砲そのもののさることながら、消耗品である煙硝が高価であり、大名もその威力は認めつつも、なかなか大量にそろえることが出来ないのが実情である。

 多少の数はあっても、鍛錬のためだけに無尽蔵に煙硝を文字通り煙にしてしまうことも出来かねるため、鉄砲放ちの数を揃えることも難しい。

 それだけに、腕の良い鉄砲放ちであれば、どの家であっても目に留まる可能性が高い。

 太尾城への潜入に手間取ったために失態を演じた盛造だけに、忍び稼業を続けるために、武家に取り入りやすい技量として鉄砲の技を磨くことに目を付けたのであろう。

 付け火の役目を与えられるぐらいであるから、元々火薬の扱には慣れていると思われた。

 員昌が、鉄砲放ちとして盛造を雇い入れるという形であれば、不審に思われることも少ない。

 その実、盛造自身が城中の角場と煙硝を用いて鉄砲の腕を磨くことになるのだが。

「よかろう。研究の成果も、城中に伝えてくれればありがたい。して、二つ目の条件はなんじゃ」

「森盛造の名を與七様にお譲りし、その上で新たな名を名乗りとうございます。つきましては、磯野様より一文字拝領いたしたく存じます」
 自害したことにする以上、與七は名を捨てるしかない。

 新たな名を付けるにあたって、森盛造の名を継ぐのは目くらましの一つになるだろう。

(盛造に追手がかかる場合に、與七が身代わりに討たれることもありえるが)

 甲賀の忍びである今の盛造の立場が、彼の住む忍びの世界においてどうなっているのか、員昌には知る由もない。

 盛造のあげた条件、特に名を一字与えることは危険な罠にも思われた。
 しかし。

「よかろう」

 員昌は腹をくくって応じた。ここでためらうようであれば、元より與七の命を救おうなどと考えるべきではない、そう信じた。

「そなたには、それがしの通称である善兵衛から『善』の一字を与えよう」

「有り難き幸せ。ではこれより某は頭を丸め、鉄砲放ちのと名乗りたく存じまする」

 森盛造改め杉谷善住坊は、静かな声で応じ、平伏した。



 翌朝、員昌は長政の元に向かい、自らの口であらましを伝えた。

 長政から今井家に宛てた一文を認めてもらうことの同意を取り付けたうえで、岸澤與七が責を負って自刃したことを告げるときには、さすがの員昌も腋の下に汗をかいた。

 思惑通り、長政からはそれ以上の追及はなされなかった。

  その後、員昌は七月五日付で自らも、箕浦上で顔を合わせた今井家の重臣に宛て起請文を記した。

 もちろん、これで一件落着とはならない。

 当主を失った百々家の旧臣を家臣団に組み入れるだけでも不穏な空気が流れている上に、今度は幼君を抱えた今井家の面倒を見ていく必要がある。

(自分が蒔いた種とはいえ、難儀なことよ)
 心中、重い枷を負わされた気持ちの員昌であった。
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