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翌日



私は死ぬことなく生き続けてしまった。
泣き腫らした目にいつもより濃くアイシャドウを塗り、当たり前かのように営業支援先の営業所に出勤をした。



「俺のせいで純に迷惑を掛けてるよな。」



お昼前、本社の前で“問題社員”の相川(あいかわ)さんが急にそんなことを言ってきた。



私は本社のビルの前で立ち止まり、相川さんのことを見上げる。



相川さんは優しい顔で私のことを見下ろし、すごく安心した顔になった。



「朝より目の腫れが引いたな。
あんなになるまで純が泣いたのは俺のせいだろ、ごめんな。」



「相川さんって自意識過剰な人だったんですね。
言っておきますけど、私が相手をしているのは相川さんだけじゃないんですよ?
今日も相川さんではない違う男と会ってきます、浮気者でごめんなさい。」



「マジかよ、純は一途な“女”だと思ってたのに。」



「よく言いますよ。
私のことを男だと勘違いして、“うちの会社もそういうのを受け入れる組織になったのか”なんて言って、めちゃくちゃ感心してたのはどなたですか?」



「誰だよそいつ、純のことを女の格好をした男だと思ってたなんて銃殺されてもおかしくねーよ。」



「それなら私はどうにかして銃を手に入れる必要がありますね。
相川さん、夜道には気を付けてくださいね?」



「こっちは治安が良すぎてしばらく気を付けたこともなかった。
忠告をありがとうございます、本社営業部の園江さん。」



相川さんは口を笑顔の形に大きくした。
私には見せるその笑顔を今日も見て、相川さんに口にする。



「社内政治が出来るようになれば凄い人になれるのに。」



「社内政治とか無理だろ。
ここの財閥の分家の奴らなんて腐りきってる。
まあ・・・まともなのはホールディングスの社長とうちの社長くらいだな。」



「いえ、他にもいます。
増田ホールディングスに3人。
私の友達の“家”の主である家長とその子ども2人が。」



「俺はそんな話なんて聞いたこともない。
どうせ他の奴らよりはマシなだけで有能な奴じゃないだろ。」



「相川さんが何をもって“有能”と判断するのかは分かりませんが、私が友達から聞いた話によると“増田財閥の分家の人間として優秀”らしいです。」



望から聞いていた話を相川さんに言うと、相川さんが鼻で笑った。



「俺の友達は増田財閥の御曹司なんだよ。」



「増田財閥の御曹司・・・?
それって、増田グループではなく的場製菓で働いている方ですか?」



「いや、違う。
そっちは長男、俺の友達は次男の方。」



「次男っていったら・・・その・・・」



「増田財閥始まって以来の出来損ないの本家の人間。」



私が言えなかった台詞を相川さんが続けてくれた。
それに頷くと相川さんは満足そうに頷き返してきた。



「噂なんてあてにならない。
結局は自分の目で見て自分の物差しで自分がどう判断するかだ。」



増田生命始まって以来の“問題社員”と言われている相川さん。
海外の大学、それも世界ランク1位の大学を卒業している相川さんは、仕事が凄く出来る人だった。



営業の仕事も事務の仕事も出来る人だった。



唯一出来ない仕事が“社内政治”。
この頭と口を使って増田財閥の分家の社員達に対して攻撃しまくっていく。
時には会社の体制についてまで指摘しまくることもあるらしい。



うちの会社では相川さんを使いこなすことが出来ず、私の営業支援者の1人として相川さんが含まれている。



「相川さんって増田財閥の分家の人達から“文句があるなら辞めればいいだろ”って何度も言われてますよね?
相川さんの力が生かせる会社は他にも沢山あると思います。
それでもうちの会社を辞めない理由は何ですか?」



相川さんが口を動かす前に私が先に口にする。
その方が相手も口を開いてくれるから。



「私は今、実は会社を辞めたいと思っていて。
辛い思いや嫌な思いをしてまで居続ける理由がこの会社にあるのか純粋に知りたいです。」



本音で聞いた私のことを相川さんは少し長めに見詰め、それから何故か爆笑してきた。



真面目な話をしているのにこんなに爆笑をされてそれには驚く。



「辞めたいなら辞めれば良いし、頑張れるなら頑張れば良いだろ。」



「でも・・・簡単に辞めるにしてはこの会社は勿体無いというか・・・。
それに・・・」



言葉を切ってからうちの会社の大きなビルを見上げる。



「この会社は私の友達の“家”の主が支えている会社の1つ。
私の友達は凄く可哀想な“家”の子で。
普通の家に生まれてこられなかった可哀想な子で。
私は望の・・・友達の力にほんの少しでもなりたかったからこの財閥の会社を選んだ。」



私の言葉に相川さんは無言になった。
それは気になり相川さんの方を見ると、相川さんもこの会社のビルを見上げている。



「俺と同じだ。」



相川さんはそんなことを言って・・・



「あいつはいつか必ず日本に戻ってくる。
そしていつか・・・いつか、もしかしたら、こんなクソみたいな財閥のトップに立ちたいと言い出すかもしれない。
向こうの奴らと話し合って、その時の為に俺が日本に戻ってこの会社に入った。」



それにも凄く驚き相川さんを見詰めていると、私の視線に気付いた相川さんが私のことを真っ直ぐと見てきた。



「あいつはきっと財閥始まって以来の1番“元気”な奴。
でも日本でのあいつは“出来損ない”だからな、あいつをこっちで全力でサポート出来るのは俺以外にはいない。」



やっぱり自意識過剰にも思える相川さんがそう言って、輝く笑顔で笑った。



「俺は日本の製薬業界2位の相川薬品、その分家の人間。
本家のバカ女と結婚させられそうになって海の向こう側まで逃げた男。
逃げた先である海の向こう側で出会った増田財閥の御曹司はめちゃくちゃ“元気”な奴だった。」



“増田元気”、望から聞いたことがある増田財閥の本家の次男。
その次男の名前を相川さんがこんな風に使い、今度はビルではなく空を見上げた。



「俺がこの人生で出会って本気で惚れた人間は2人。
その1人が元気過ぎるくらい元気なあの男。
あいつは俺の誇り・・・いや、あいつは日本の“誇り”だよ。」



そんな恥ずかしいと思えることを真っ直ぐと口にした相川さんを見て、私も素直に言葉に出した。



「相川さんが本気で惚れたもう1人である彼女さんは幸せな方ですね。」



私の言葉に相川さんはまたゆっくりと顔を私に戻し、真剣な顔で口を開いてきた。



「大きな声を出せ、純。
思っていることや言いたいことがあるなら大きな声を出せ。
女なのに男に間違えられてヘラヘラ笑ってるんじゃねーよ。」



「そうですよね・・・。」



「自信持て、お前は良い女だよ。」



「男だと間違えてきた人にそれを言われても説得力はありませんけどね。」



「そうですよね・・・!!!」



爆笑している相川さんに私も大きく笑い返し、昨日砂川さんとあんなことがあったのにこんなに大きく笑える今日があったことに安心をした。



安心をしたし・・・



「まだ頑張れる・・・。」



相川さんと別れた後、午前の営業支援の報告をする為に本社のビルへと入っていく。



“私はまだ頑張れる”と思いながら。



幼馴染みのマナリーや田代とは違う私の友達。
でも大好きで大切な友達である望のことを強く思いながら、私は力強く増田生命保険会社のビルへと足を踏み入れた。
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