蕾は時あるうちに摘め

綿入しずる

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構想*

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 タドは溜息を吐いた。座り慣れた仕事場の椅子への体の納まりが悪い気がするのは、大いに心当たりがある。
 この年でこういう初体験があるとは思ってもいなかった。色々と、寄る年波に勝てぬ体が不調を訴えるのを覚えては周りから聞く話も交えて、尻だっていずれ痔くらい患うこともあるかとも思っていたが、このパターンは考えなかった。男娼を買うようになってさえ昨夜まではまったく思いもよらなかった。相手は男娼で、中性的な美青年で、自身は萎びた中年である。そういうものだと思っていたのだ。
 長くしなやかな指先が器用に体の内へと分け入ったのは、多分もう忘れられないだろうなと彼は何度目かの振り返りをする。ニビは商売にしているだけあってそれはそれは優しく上手く、苦労もせずタドの後孔を開かせ、性感帯を探し当てて快感を目覚めさせ、勃起させた。今のこの違和感も気分的なものが大きいのではと考えるほどの手並みだったが、やはりあれは恥ずかしいものだった。
 しかしまあ、二度はないというほどではない。耐えられる。もし彼が求めるのであれば。
 抱くほうもする、とニビが言って見つめてきたとき。そうなるのが嫌ではない己に驚きながら――そっちのほうが楽かな、とタドは思ったのだ。抱く側として尽くすより、やられるほうがもしかしたらと。別に楽ではなかったが、勃たせなくてもいいのかと思うと気が軽くなった。頑張って腰を振った後の腰や腿の痛みに参らずにも済む。尻のこの感触は慣れるものか分からなかったが。
 ぎ、と布張りの椅子が小さく軋む。今は来客を待って休憩中である。頬杖をついて窓の外を眺める。こんな、人には聞かせられぬことばかりを最近は考えているなと思う。
 タドはニビの、都合のよい客でいたかった。
 金でも、寝床でも、食べ物でも、こんな中年の体でも。彼が求めるものなら与えて、繋ぎとめておきたかった。よい客として見なしてもらってこの関係をずっと続けたい。タドが買う側なのだから好きにすればよい、匂いを嗅ぐだけでも全然構わないと当人は軽く笑って言うが――売り買いとしてはそれでよくとも、一晩で終わるのでなければ結局は人間関係である。娼婦だって客を選べることを、彼女たちが身に纏う香水を作る調香師は聞き知っていた。もし彼がタドを切ろうとすればそれまで、きっと取り留めのない話をしていたのと同じ調子でするりと逃げていってしまうのだと。
 ニビがなんだかんだとセックスをしたがっていることくらいは、タドにも分かる。身を売っているのも好きでやっていることらしいと会話で知れていた。誘われているし、その気にもさせられる。応えたいと思う。欲求ばかりは存分にある。
 しかし体が追いつききらない。年齢なりに、というところではあるが、本人の記憶にあるより勃ちは悪かった。ニビが上手いのでどうにかなっているが、あれは結構頑張っている。そのうち臨んでも駄目な日があるのではと思える。ならばと飲んでみた精力剤は臭いも味もなかなかキツく、翌日に仕事があるときにはまず服用できないし、奥の手にしておきたい物だった。大体ちょっと効きすぎだ。
 そんな風に、いつだって誘いに応じながらも悩んでいたので――なるほどそっちの手もあるのか、と昨夜のあれは気づきだった。無論まったく経験はないが、この男娼相手なら大丈夫じゃないか、という信頼も既に出来ていた。気持ちよくはならずとも苦痛まではいかないのではないかと。考える間にも実に巧みに流れに乗せられ、気づけばそこまで触れられていた。
 結果はあのとおり。気持ちよくはならずとも、なんてくどい前置きはすぐに片付けられた。ちゃんと気持ちよかった。完全に初体験、、、をさせられた。
 そしてその衝撃が残っているうち、冷静になりきる前に、今度は逆にニビの内側に触れた。やりやすいようにと足を開いて見せた体の中心に指を埋めた。
 熱い粘膜の上で、滑りをよくする為に用いた軟膏が溶けていくのが指先にはっきりと伝わった。ここが気持ちよいのは普通のことだと教えるように、ニビは息を揺らし、喘いで、タドの手を感じていた。それを見て、ついさっきの己はどんな風に彼の目に映ったかと思えばタドの顔は再び火照った。教わった場所を指で探り、自分もこのくらい突っ込まれたのかとその長さを意識させられながら、初めて知った腹の底からの快感を反芻しながら――内を揉み、締めつけを感じた。ニビが一本じゃ足りないとねだるので指を増やして、刺激にひくと脈打つ陰茎も握り、扱いた。同性との付き合いはなく、自慰しか知らぬ男の単調な動きでもニビは喜んだ。前と後ろを同時に責められる悦びに彼の身は一際に艶めかしく香ってタドのほうも恍惚とさせた。
 毎度のことながら、没頭、というほどに耽った時間だった。指を締めつけて射精する瞬間は食い入るように眺めた。多分、先にされていなければあの様子で勃起できただろう。回復力が足りずそこまではいかなかったのが、やはり老いを感じさせたが。
 息を吐き、タドはちらと己の股間に目を落とした。思い返した程度では起きない体を確かめて、また窓を見る。
 ニビに好かれていたいというのも本当だが。結局何より、しているときが一番、ニビはよく香るのだ。発されていたものが汗や精液と混じりあいニビそのものになって、触れられるようになる。それをタドが抱く、包まれ抱きしめられる。五感で匂いを感じる。あれを知っていては、しないで済ませるのはなんとも勿体無く思えた。
 また椅子が小さく音を立てる。
 熱が冷めた今、抱かれる、と改めて考えてしまうと気後れは当然する。四十年男として生きてきた身が躊躇う。尻の違和感がぶり返す。しかし――やっぱり無しではない。無理ではない。嫌ではない。自分からは言い出せなくとも、ニビに誘われたら断らないだろうと思う。彼の為に、そのくらいはする。
 ――金でも、体でも。全部あげよう。
 幸い、タドは金のほうには余裕があった。今まで貯蓄に回していた――というか使い道が然程無かったお陰で、生まれ育った家の馴染んだ暮らしを手放さないでいるだけで、その気になりさえすればかなりよい場所や広い家に移れるくらいには。まだ稼げるし、理由があれば今までより熱心にだってなれた。ニビを買うのには十分だ。あとはニビが、彼を客と見続けてくれさえすれば。
 ――全部吸い上げられたって構わない。美しく香る、彼の養分になるなら悪くない。それはいっそ、老いるばかりと思えた人生華やかだ。
 養分、だけでなく。タドは近頃考えている。
 もっと、より美しく、あの蕾を開かせたい。ニビの香りを元に、新しく香水を作りたい。あの香りを昇華したい。一時は届かぬ神の御業を思ったが、おこがましくもそこに手を添える職人の勘案が巡る。ニビの香りを求める心は久々の強い創作意欲にも変わりつつあった。
 白の園は見立てたとおりに似合いの香水だったがまだまだ余地があった。未だそれらしいレシピには至っておらず、暇を見ては探索している。店の香水、他の店の商品、資料として集めてある物を当たり、香料も嗅ぎまわって試しにやってみる。花咲く春ならもっと外にも出歩いたのだが。
 他の花を象ったものではなく、ニビに合わせて幾重にも香りの花弁を重ね、現実には存在しえない至高の花を咲かせるのだ。ニビに似合う大輪の花。香りの世界ならば叶えられる――……
 タドが気配に振り返り部屋の入口を見やれば、女店員が立っていた。ロンゼンの制服の濃緑の裾を揺らし、微笑む。
「タドさん、お客様お見えです」
「はいはい、今行く」
 予定どおりの声かけによっこらせと立ち上がって、ひとまずのところは午後の仕事に向かう。今日の客はタドもよく知る人間、香料の仕入れ先であるハーブ園の経営者だ。茶を飲みながら、ほとんど雑談ののんびりした時間だろうと、足取りも気楽だった。
 長く務める職場、客を通す部屋は決まっている。案内を待たずさっさと廊下を進む調香師の背を、店員の視線がなぞる。
 半月前タドが香水を買っていったのは、かなり珍しいことだった。仕事に差し支えるので本人はほとんどつけないのだ。贈る相手も居ない、が特に寂しくもない、というのを隠さずにいた男の行動に、彼女ら同僚たちは様々な憶測を口にしていた。白い素っ気ない瓶に少量、というのも逆に意味深である。他に変わったことはないが、考え事の時間が増えたように見える。否、それもいつもの調香師の思索かも知れないが、今は気になる。もっと深刻そうで悩ましげも見える、気がする。でもあの人だからねえ、見た目も気にした様子がないし、すぐ帰るのもいつものことだし、などと皆でこそこそやっている。探りを入れられたのも一度二度ではない。
 特に今のように男娼との夜を思い出していたときには、その雰囲気がどことなく変わるのを皆感じているのだった。何が違うとは言い切れない微妙な違和感だ。
 今日もまだ気にされているな、と意識し――しかし誰も昨夜のことは想像出来まいと断じて、タドは腰を擦った。
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