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第四章 結果こそ、自信への最短ルートです。
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しおりを挟むここを訪れるのは二度目。隣を見ればスーツを正している佐山がいて、顔は興奮気味だ。車で十分もかからなかったから、詳しい話は聞けていない。「有田社長がお前を呼んでいる」の一点張りで、悪い呼び出しではないらしい。二人でティアラへと続く階段を登れば、ガラス張りの店内から田畑さんの顔が見えた。一度しか会っていないけれど、旧友に会えたときのように嬉しい。二度と会うことはないと思っていたから。
「お待ちしておりました。伊藤さん」
満面の笑みで迎えてくれた田畑さんに私も百点の笑顔を返しておく。前回来たときとは真逆の歓迎ムードに、なんだかそわそわする。待たされることなくカウンセリングルーム奥の扉へと誘導されて、佐山に続いて奥へと進んだ。
そこにいたのは有田社長一人だった。社長室と呼ぶには少々広すぎるこの部屋は、教室のようにホワイトボードに向かって長テーブルとイスが綺麗に並んでいる。そこの奥のほうに大きめのデスクとパソコンなどが置いてあり、そこにちょこんと有田社長が座っていた。
「待っていたよ」
そう一言言ってからこちらに近づいてくる有田社長は私の記憶にある怒った表情ではなく、ちょっと意地悪く笑った顔をしている。
「立派な応接間じゃなくてすまないね。ここは研修も行う部屋なんだ」
「とんでもないです。ティアラはスタッフの育成にも力を入れていると伺っております」
佐山と有田社長が挨拶を交わしているのを見ながら、口を開く隙もなく促されるままに椅子に座った。コンコンとノック音をさせてから、田畑さんがコーヒーを乗せたおぼんを手に入ってくる。場は整った・・・という感じだ。
「伊藤さん」
唐突に名前を呼ばれてちょっと上ずった声で返事をした。
「君は・・・やってくれたね」
片目を薄く閉じながら私を指さして有田社長はそう言った。何のことかわからないが、やらかしてしまったのだろうか。
「君が謝罪に行った相手が誰だか分かった上でのことかい?」
「___えっと、すみません。私は話が見えないのですが、柿谷様のことですか?」
柿谷様とは先日謝罪にお伺いしたマダムの名前だ。もしかするととんでもないお偉いさんだったのかもしれない。あの時は意気投合出来たと思っていたけれど、やっぱり怒りが再燃した・・・とか?
「そうだ。柿谷様だ」
「お怒りですか・・・?」
恐る恐る聞いてみると、有田社長は驚いた顔をしてからにやりと笑った。
「逆だよ、逆。大層お喜びだ」
「およろこび・・・」
「君が渡した商品の資料を手に私のところまで詰め寄ってきた」
立ち上がった有田社長はデスクに行き、また私たちの元へと戻ってきた。資料を手に。見覚えのある資料はティアラ宛てに準備していたものを柿谷様への説明に使ったものだ。
「これを今後の施術に使うようにと。そして自宅でも使いたいから購入出来るようにしろだと。偉そうだと思わないか?」
「あ・・・」
「まあ、悪くは言えないのは当然か。柿谷様は偉そうに言えるだけの権力を持っている。彼女は多くのモデルを抱える芸能事務所の社長夫人だ」
「ふ、夫人ですか」
私がマダムと呼んでいたのは間違いではなかったと言うことだ。柿谷様はIGB-01を気に入ってくれたということだろうか。
「この資料に乗っている商品を君は私にプレゼンしたかったようだが・・・、君はプレゼンする相手を間違えたのか。それとも見極めたのか。どっちにしろ、大成功だった。柿谷様はこの商品を導入するなら、所属しているモデル全員をうちに通わせると言い出した。それがどれだけのことか君に分かるかい?」
「ちょっと・・・分かりかねます」
「うちの年商は一億円以上プラスになる」
「いっ!?」
驚いて佐山を見れば、声を上げずとも見開いた目線が返ってきた。多分佐山も詳しくは聞いていなかったのだろう。
「そんな条件を突きつけられて、私がこの商品を断る理由があると思うかい?」
「えっと」
「柿谷様はCMを打つなら事務所の一番のモデルを使ってもいいとまでおっしゃっている。君の何がそこまで柿谷様を骨抜きにしてしまったのだろうな」
有田社長は笑いながら私を見ているが、それは馬鹿にしている視線じゃないのは分かる。段々込み上げてくる喜びを確信するために、こくりと唾液を飲み込んでから口を開く。
「IGB-01をご契約いただける・・・ということでしょうか?」
「ああ、そうだ。商品のことは柿谷様から嫌というほど聞かされた。良い物だ。商品と・・・君を、伊藤さんを信用して契約をするよ」
「あ、ああ、ありがとうございます」
隣を見れば頬が緩み切っている佐山がいて、私もつられて笑みを零した。
契約書を持参していなかったため、後日の約束をしてから有田社長の元を後にした。受付には田畑さんがいて「よかったですね」と可愛く笑ってくれた。今後何度も通うことになるティアラを背に、階段を下りてきたところだ。
路肩には見覚えのある車が止まっている。深いグリーンのボディにエロいラインの車は彼のもの。何も知らない佐山は私の足が止まったのに気付かず、そのまま下まで下りきってから私を振り返った。
「伊藤?」
私を呼ぶ声が聞こえる。それでも私の視線は佐山の背後にある車から降りてくる五十嵐社長にくぎ付けで。
「日和」
セットもされていない髪。さっきまで白衣を羽織っていたのか、今着ているジャケットの襟元が捻じれてしまっている。でも、そんなの五十嵐社長の魅力を削ぐ要因になどならない。
「五十嵐社長」
私の声に佐山は後ろにいた五十嵐社長に気付いた様子で驚いた顔をしている。たった数日気まずくて避けていただけなのに、こうやって五十嵐社長が来てくれたことが心から嬉しい。慌てて階段を下りれば、王子様のように手を伸ばしてエスコートしてくれた。ああ、好きだ。好きで、好きで、堪らない。でも。
「一体どうしたのですか? 今回は皆に行ってくると伝えて出てきました」
「ああ、そうだな」
「凄いことを報告してもいいですか?」
努めて嬉しさを噛み殺したつもりだけれど、多分隠しきれていない。それでも駆け寄って抱き着きたかった衝動を抑えて、ただの部下だと自分に言い聞かせた己を褒めてあげたいと思う。
階段を下りたところで手は離れてしまったけれど、視線は合ったままだ。右の口角だけ持ち上げて見下ろすようにして私を見た五十嵐社長が了承の頷きを返してくれた。
「ティアラとの契約、とれました!」
言った瞬間嬉しさが爆発して、子どものようにはしゃいでしまった。身体は飛び跳ねる勢いで、笑顔は満開に。それを見た五十嵐社長は「ふっ」と小さく噴き出してから前髪を掻きあげる。このくしゃりと笑う顔も最高にかわかっこいい。
「ひとりで、か?」
「いいえ。きっかけをくれたのは斎藤さんです。奮い立たせてくれたのは後輩の中嶋ちゃんで、チャンスを運んできてくれたのは部長です」
佐山を五本指でさせば、五十嵐社長は振り返って佐山を見た。蚊帳の外にいた佐山は驚いた顔をしてから姿勢を正している。
「いえ。僕は何も」
「感謝します。佐山部長」
綺麗に頭を下げた五十嵐社長の横に並び、私も頭を下げた。
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