おかえり、シンデレラ。ー 五十嵐社長は許してくれやしない ー

キミノ

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第四章 結果こそ、自信への最短ルートです。

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 こんなに憂鬱な朝は久しぶりだと思う。少し伸びた髪は指で梳けばさらりとストレートに戻った。クローゼットのジャージを取るとき、端っこに掛けられた黒いワンピースが目に入る。五十嵐社長に以前買って貰ったものだ。まだこれを着られる体系にはなれていない。いつもの福一工ジャージに腕を通し、いつもの仕事用鞄とジム用のバッグを持って自宅を出た。

 倉科さんにどんな顔で会ったらいいのか、一晩悩んで考えてみても分からなかった。倉科さんが五十嵐社長を好きなのは明白で、私とのあんな場面を見て良い気持ちではないだろう。五十嵐社長が手の早いタラシ野郎だとしたらどうだろうか。私みたいな肉だるまにキス出来るくらいだから、倉科さん相手ならあんなことやこんなこと容易いだろう。私は・・・多少の嫉妬はするが、私より綺麗な人に彼が興奮するのは仕方のないことで。つまり私は下の下にいるわけで、それ以上の女性がほとんどなのだから嫉妬する資格もないというかそういう感じだ。語彙力が残念でうまく説明も付かないけれど、私はそうでも倉科さんは逆だ。三角形で出来たカーストの上の人間が、好きな人と底辺が宜しくしていたら腹が立つだろう。私は今日殺されるかもしれない。よくて・・・無視されるとか。

 それでも逃げるのは大人としてダメだから、出来る限り普通の顔で出社した。朝はタイムカードを押すだけだから多分会わな・・・いはずだったが、そうはいかないみたいだ。社長室から出てきた倉科さんとばったり出くわしたところだ。覚悟を決めていたはずなのに、私の心臓は大太鼓を叩くようにどんどこなり始めた。

「あ・・・「おはようございます」

 言葉の出なかった私を見て呆れ顔の倉科さんが口を開いた。無視はされないみたいだ。

「おはようございます。___あのぅ「もういいです」・・・え?」

「言い訳は結構です。今日も脂を出すことに精を出してください。では」

 ツカツカツカとヒールを鳴らして、倉科さんはいつもの定位置であるスタッフルームへと消えていった。私はあまりにも拍子抜けで、その背中を見送るしか出来なかった。

 受付ホールに突っ立っていたら次に現れたのは、私の心の嵐の中心である五十嵐社長。社長室から出てきた五十嵐社長は私を一瞥して、そのまま長い脚を無駄なく動かしてCPFの中へと消えた。「何か言えよ」と思いながら不快な顔をしていれば、続けざまに入ってきたのは有村さんと斎藤さん。

「伊藤さんおはよう。昨日はこっぴどく叱られましたか?」

 親しい笑顔で私の顔を覗き込んだ有村さんは、「やっべ」という顔をして小さく舌を出して見せた。

「そんなにやばい顔ですか?」

「いやぁ、相当怒られましたね。まぁ、大事にされているってことですね。ははは」

 そう言って私の肩をポンと叩いてCPFへと足を向けた。その後ろに無言で続いた斎藤さんは初対面のときのようによそよそしく、小さな会釈をして閉まりつつあったドアに身体を滑り込ませて行った。

 なんなのだ。私の予想は見事に全部外れて、肩透かしをくらってしまった。みんなにとっては「なんでもないこと」だったのだろう。それなら、私だって大人らしく「なんでもない顔」を貫いて見せる。



「ボーノ!」

 ランチを頬張りながら、自分の頬に人差し指を当ててポーズをして見せた。目の前にいるのはきょとん顔のアランだ。

「なんですか、日和。NO。こうです」

 大きく手を振って否定を示したアランは、唇の前で手を緩いグーにして「ちゅっ」と音を立てながら投げキッスのように手を動かした。

「え? ボーノってこれじゃなかったの?」

「NO、NO。違いマス。はっはっは。初めて見た」

「わお」

 和やかなランチタイムだ。キス目撃事件が月曜日で、今日は週末華の金曜日だ。あまりにも普通通りに日々が過ぎているけれど、実は倉科さんとちょっと気まずい。なんなら五十嵐社長とはもっと気まずい。あまり話すことなく今週が終わりそうだ。これが思春期なら、そのまま関係修復出来ずに卒業を迎えたりするのだろう。

 コンコン。会議室のドアがノックされ、「どうぞ」と無駄に大きな声で返事をした。笑いながら入ってきたのは有村さんと斎藤さんだ。

「伊藤さん。僕ら勘違いしていました」

 許しを請うことなく有村さんは私の隣に座り、斎藤さんは反対側に座った。ちなみに斎藤さんとは元のように話せるようになっている。

「これ、見てください」

 斎藤さんが私の前にパソコンを置き、手早く操作して画面に写真が映し出された。ドアップの目元の写真で、恐らく私のものだろう。

「これが初日の伊藤さんの睫毛です」

「はい」

「で、こっちが今日撮ったものです」

 切り替わった写真を見て、「あれ?」と声を上げて斎藤さんを見ると頷きながらこちらを見ている。

「そうなんです。僕ら育毛って毛が伸びるんだとばかり思っていました。そうじゃなくて、量なんですよ」

「そうですよね? なんか、増えているなって思いました。劇的変化かと言われれば即答は出来ないですが、睫毛でこれだけ増えれば上等じゃないですか?」

「上等も上等ですよ。それをさっき五十嵐社長に報告に行ったら、なんて言われたと思います? そうですよって・・・、んなら僕らがうんうん唸っている時に教えてくれよって叫びましたわ。心の中で」

 関西人らしさをビンビンに感じるけれど、それは笑ってごまかしておこう。再びパソコンに視線を戻せば斎藤さんが写真を横に二枚並べてくれていた。斎藤さんのこういうさりげない優しさが好きだ。とても素敵だと思う。

「そりゃあ、毎日長さを測っても無駄なはずですね」

「はい。いい勉強になりました」

 隣でアランに文句を言っている有村さんを横目に、斎藤さんとこっそり笑い合った。

「でもどうして気付かなかったんだろう」

「それは伊藤さんのメイクが変わったからです。以前までのナチュラルメイクではなく、今はアイラインもしっかり引いているし、マスカラも綺麗に塗っているから目元の印象が強くなりました。でも睫毛が増えたというよりはメイクのお陰だろうと思ってしまっていました」

「ああ・・・」

 確かに生えたての細い睫毛もマスカラでしっかりコーティングすれば立派な睫毛になる。最近いい感じだったのは試作品の効果が出ていたお陰なのだ。言われれば思い当たると、小さく頷けば鏡のように斎藤さんも頷いた。

 トゥルルン。着信音が響き、全員が自分のポケットに手を当てた。震えているのは私のスマホのようだ。ポケットから引っ張り出して画面を見れば、佐山からの着信だった。

「はい、部長」

『伊藤! 良かった! 凄いぞ!』

 受話器の向こうから興奮した佐山の声が聞こえて、しんとした会議室でみんなが耳を澄ませている。

「どうしました?」

『ティアラの件だ。コットンはこれからも注文してもらえるようになったとは言っただろ?』

「はい。聞きました」

『追加だ。とりあえず、ティアラに伊藤が直接来るように、って有田社長がおっしゃっている。今から行けるか?』

「今から? ですか」

『あぁ。これを逃したら絶対後悔するぞ。というか、もう俺が車で向かっているからすぐだ。準備して降りてこい。すぐだぞ!』

 一方的に切られた電話に目をぱちくりさせるが、画面はもう暗くなっている。

「悪い話ではなさそうですよ?」

 口火を切ったのは有村さんだった。それに同調するように斎藤さんとアランも荷物をまとめるように言ってくる。

「でも「日和! チャンスは何回もこないですよ。GO!」

「伊藤さん。メイクも髪もばっちりです。鞄をどうぞ」

 斎藤さんに鞄を差し出されて受け取った。背中を押してくるのは有村さんだ。

「五十嵐社長には僕らが伝えておきます」

「あ、ありがとうございます」

 会議室のドアを斎藤さんが開けてくれていて、みんなを振り返れば素敵で心強い笑みが返ってくる。私の足は自然と駆け出していて、エレベーターも待ちきれず階段で一階まで駆け下りた。
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