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第9章 惑わぬ佯狂者の殉教
昏き導
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麓の村に社での事件を報告して後始末を終えた二人は、神殿に帰る馬車に乗っていた。
犠牲者たちは後ほどシュログリ教の人々が丁重に弔ってくれるという。
結局、奉納の儀を終えることもできず。
少し重い空気の中、ノーラは一冊の本に目を落としていた。
「ノーラちゃん、なに読んでるの?」
「ブックカフェでもらった本だよ。どういう内容なのか、どうしても気になって」
表題のない黒い装丁の本。
あの店員……イクジィマナフの話によると、検閲を避けるために装丁を偽装していたそうだ。
「それで? どんな内容なのー?」
「んー……普通の小説って感じ。まだ冒頭しか読んでないけど、特殊な力を抱える主人公が旅をするお話。寿命が残りわずかで、それまでに親の仇を探すダークな雰囲気の話だよ」
作者不詳。
本のところどころには栞が挟まっており、この単語はこういう意味だよ……とご丁寧にイクジィマナフの解説が入る。
おかげで想定よりもスムーズに読み進められていた。
「おもしろいの?」
「うん、普通におもしろい。でもまあ、今の世代に読まれる作風じゃないだろうな。ぼちぼち読み進めるよ。どうして検閲に引っ掛かったのか、よくわかんねぇけど」
再びあのブックカフェに行ける日は来るのだろうか。
帰り道に確認してみたが、ブックカフェがあった場所は更地になっていた。
本当に不可思議な体験だ。
『――ノーラ・ピルット。『邪悪なる記憶』の正体がわかったのならば、もう一度ここへ戻ってくるといい』
イクジィマナフは店を去る直前、ノーラにそう言い放った。
この本を読めば彼女の言葉の意味もわかるだろうか。
忘れないように心に留めておこう。
◇◇◇◇
一方、ノーラの暗殺に失敗した刺客たちは。
救援に来たミクラーシュの手を借りてなんとか山を下り、一命を取り留めていた。
「っ……かたじけない、ミクラーシュ先生」
右腕を失ったペイルラギ。
治癒魔術により傷口を塞いだ彼は、肩の切断面を見て顔をしかめた。
任務にした失敗イトゥカもまた、しおらしく項垂れている。
「ごめんなさい……先生。あたしたちのせいで」
「いえ、仕方ないことです。失敗もまたひとつの経験。むしろ命を拾って帰ってこられたのは、幸運と言わざるを得ませんね」
殺し屋として長いミクラーシュにとっても、初めての事態だった。
人間のフリをした『何か』と相対するのは。
「我々は人殺しの専門家。であれば、人ならざるものは殺せません。あの巫女長は人ではなかった。ですから何も恥じることはないのですよ」
弟子たちを労いつつも、ミクラーシュはどこか負い目を感じている。
標的の身の回りを調べるのは必須事項。
だが、自分はノーラの友人であるエルメンヒルデの情報を探りきれていなかった。
それほどまでにシュログリ教の神秘は深く秘匿されている。
「任務失敗の責は私が取ります。あなたたちが負い目を感じる必要はありません」
ミクラーシュの言葉にイトゥカは顔を上げた。
彼女の顔は蒼白になり、口元は震えている。
「で、でも……『上』って、ルートラ公爵って、すごく失敗には厳しいんでしょ? 処刑されちゃうかも……」
「そ、そうでござるよ。責任は某が取るゆえ、先生は……」
「イトゥカ、ペイルラギ」
ミクラーシュが名を呼ぶと、二人の弟子は口を閉ざした。
彼の言葉には有無を言わさぬ圧がある。
「私のことは心配ありませんよ。刺客は時に団結することはあれど、個々で身を立てるもの。責任とリスクは可能な限り一人で背負うべきなのです。人の命を奪う存在でありながらも、自分だけは意地汚く生き残るべし――よく覚えておきなさい」
ミクラーシュはそう言って、弟子たちに微笑んだ。
◇◇◇◇
一羽、黒き鳥が窓辺に止まる。
ペートルスは紙鳩を受け取り、内容を検めた。
「……よかった。二人は無事だったか」
ペートルスの想定通り。
今回、ノーラがシュログリ教に接触したことで刺客を仕向けてきた者がいる。
エルメンヒルデがいればノーラは安全だと判断していたが、念のため斥候を差し向けて警戒に当たらせていた。
「レディ・エルメンヒルデが人間ではない……という報告はかなり驚きだが、そこはどうでもいい。重要なのは……ここで刺客が来たことで、ノーラの暗殺を企てる主犯が明らかになったということだ」
宗教派の勢力が広がることを恐れている。
ノーラの右目の正体が暴かれることを恐れている。
先々代の巫女長エウフェミアについて知られることを恐れている。
三つの恐怖を抱く人物の候補といえば、一人しかいない。
「よ、ペートルス様。お呼びか?」
部屋に入ってきたのは葡萄色の髪を巻いた青年。
彼……コルラードはペートルスに向けて朗らかな笑みを浮かべた。
コルラードが教皇領に来ていることはペートルスを除き、誰ひとりとして知らない。
「凶鳥。君に頼みがある」
凶鳥と呼ばれたコルラードは、二つ返事でうなずいた。
「はいよ。なんでもお任せを!」
「ノーラの暗殺を仕損じた殺し屋たち……その首魁と話し合いの場を設けたい。頼めるかい?」
「おう。あの三人は常に監視してるから、今すぐにでも追えるぜ。今から行くか?」
「ああ。交渉は早いに限る。お爺様に邪魔をされてしまうかもしれないからね」
幸いにも、ペートルスの主目的とノーラを救う手立ては一致した。
――ルートラ公爵ヴァルターの排除。
悲願へ一歩ずつ近づいていく。
ペートルスはコルラードとともに神殿から発った。
犠牲者たちは後ほどシュログリ教の人々が丁重に弔ってくれるという。
結局、奉納の儀を終えることもできず。
少し重い空気の中、ノーラは一冊の本に目を落としていた。
「ノーラちゃん、なに読んでるの?」
「ブックカフェでもらった本だよ。どういう内容なのか、どうしても気になって」
表題のない黒い装丁の本。
あの店員……イクジィマナフの話によると、検閲を避けるために装丁を偽装していたそうだ。
「それで? どんな内容なのー?」
「んー……普通の小説って感じ。まだ冒頭しか読んでないけど、特殊な力を抱える主人公が旅をするお話。寿命が残りわずかで、それまでに親の仇を探すダークな雰囲気の話だよ」
作者不詳。
本のところどころには栞が挟まっており、この単語はこういう意味だよ……とご丁寧にイクジィマナフの解説が入る。
おかげで想定よりもスムーズに読み進められていた。
「おもしろいの?」
「うん、普通におもしろい。でもまあ、今の世代に読まれる作風じゃないだろうな。ぼちぼち読み進めるよ。どうして検閲に引っ掛かったのか、よくわかんねぇけど」
再びあのブックカフェに行ける日は来るのだろうか。
帰り道に確認してみたが、ブックカフェがあった場所は更地になっていた。
本当に不可思議な体験だ。
『――ノーラ・ピルット。『邪悪なる記憶』の正体がわかったのならば、もう一度ここへ戻ってくるといい』
イクジィマナフは店を去る直前、ノーラにそう言い放った。
この本を読めば彼女の言葉の意味もわかるだろうか。
忘れないように心に留めておこう。
◇◇◇◇
一方、ノーラの暗殺に失敗した刺客たちは。
救援に来たミクラーシュの手を借りてなんとか山を下り、一命を取り留めていた。
「っ……かたじけない、ミクラーシュ先生」
右腕を失ったペイルラギ。
治癒魔術により傷口を塞いだ彼は、肩の切断面を見て顔をしかめた。
任務にした失敗イトゥカもまた、しおらしく項垂れている。
「ごめんなさい……先生。あたしたちのせいで」
「いえ、仕方ないことです。失敗もまたひとつの経験。むしろ命を拾って帰ってこられたのは、幸運と言わざるを得ませんね」
殺し屋として長いミクラーシュにとっても、初めての事態だった。
人間のフリをした『何か』と相対するのは。
「我々は人殺しの専門家。であれば、人ならざるものは殺せません。あの巫女長は人ではなかった。ですから何も恥じることはないのですよ」
弟子たちを労いつつも、ミクラーシュはどこか負い目を感じている。
標的の身の回りを調べるのは必須事項。
だが、自分はノーラの友人であるエルメンヒルデの情報を探りきれていなかった。
それほどまでにシュログリ教の神秘は深く秘匿されている。
「任務失敗の責は私が取ります。あなたたちが負い目を感じる必要はありません」
ミクラーシュの言葉にイトゥカは顔を上げた。
彼女の顔は蒼白になり、口元は震えている。
「で、でも……『上』って、ルートラ公爵って、すごく失敗には厳しいんでしょ? 処刑されちゃうかも……」
「そ、そうでござるよ。責任は某が取るゆえ、先生は……」
「イトゥカ、ペイルラギ」
ミクラーシュが名を呼ぶと、二人の弟子は口を閉ざした。
彼の言葉には有無を言わさぬ圧がある。
「私のことは心配ありませんよ。刺客は時に団結することはあれど、個々で身を立てるもの。責任とリスクは可能な限り一人で背負うべきなのです。人の命を奪う存在でありながらも、自分だけは意地汚く生き残るべし――よく覚えておきなさい」
ミクラーシュはそう言って、弟子たちに微笑んだ。
◇◇◇◇
一羽、黒き鳥が窓辺に止まる。
ペートルスは紙鳩を受け取り、内容を検めた。
「……よかった。二人は無事だったか」
ペートルスの想定通り。
今回、ノーラがシュログリ教に接触したことで刺客を仕向けてきた者がいる。
エルメンヒルデがいればノーラは安全だと判断していたが、念のため斥候を差し向けて警戒に当たらせていた。
「レディ・エルメンヒルデが人間ではない……という報告はかなり驚きだが、そこはどうでもいい。重要なのは……ここで刺客が来たことで、ノーラの暗殺を企てる主犯が明らかになったということだ」
宗教派の勢力が広がることを恐れている。
ノーラの右目の正体が暴かれることを恐れている。
先々代の巫女長エウフェミアについて知られることを恐れている。
三つの恐怖を抱く人物の候補といえば、一人しかいない。
「よ、ペートルス様。お呼びか?」
部屋に入ってきたのは葡萄色の髪を巻いた青年。
彼……コルラードはペートルスに向けて朗らかな笑みを浮かべた。
コルラードが教皇領に来ていることはペートルスを除き、誰ひとりとして知らない。
「凶鳥。君に頼みがある」
凶鳥と呼ばれたコルラードは、二つ返事でうなずいた。
「はいよ。なんでもお任せを!」
「ノーラの暗殺を仕損じた殺し屋たち……その首魁と話し合いの場を設けたい。頼めるかい?」
「おう。あの三人は常に監視してるから、今すぐにでも追えるぜ。今から行くか?」
「ああ。交渉は早いに限る。お爺様に邪魔をされてしまうかもしれないからね」
幸いにも、ペートルスの主目的とノーラを救う手立ては一致した。
――ルートラ公爵ヴァルターの排除。
悲願へ一歩ずつ近づいていく。
ペートルスはコルラードとともに神殿から発った。
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