呪われ姫の絶唱

朝露ココア

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第9章 惑わぬ佯狂者の殉教

拝謁

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神殿へ帰宅したノーラ。
彼女は疲労の濃い体で部屋に戻った。

「お帰りなさいませ」

「……あ、式神さん。どうも」

部屋の隅で正座する黒髪の式神。
ずっとここで待機していたのだろうか。

「ペートルスという金髪の人間から、ノーラ様に言伝を預かっております」

「ペートルス様から?」

式神は無表情にペートルスから受け取った言葉を反芻し始めた。

「『やあノーラ、元旦からおつかれさま。僕は少し用事があって明日の夜まで出かけてくる。何か困ったことがあったら、先輩たちやレディ・エルメンヒルデを頼るんだよ。それと……あけましておめでとう。今年が君にとって幸福な一年になりますように』……伝言は以上になります」

そういえば今日は元旦である。
あまりに多くの事態が起こりすぎていて、ほとんど忘れかけていたが。

先輩方に新年のあいさつをしなければ。
とはいえ時刻は夜。
もう寝ている人もいるだろうから、明日にでもあいさつしに行こう。

「ふう……今日はいろんなことがあって大変だったな……」

謎のブックカフェ、社での惨劇、母の過去。
ただ奉納の儀について行っただけなのに、ひとところに多くのことが起こりすぎた。

「式神さん。わたし、エルンの正体を知っちゃったんです!」

「ほう。わが主の実像を」

「エルンって……魔法人形だったんですね!」

「…………」

式神はなんとも言えぬ表情を浮かべた。
どうやらノーラは微妙に勘違いをしているらしい。

人間の少女エルメンヒルデを模した絡繰に、式神あしらが憑依したのが今の彼女だ。
魔法人形とは微妙に異なるが……まあ大体合っているので肯定しておこう。

「左様でございます。どうか他言はなされぬよう」

「もちろんです。別にエルンが何者だとしても、大事な友人ですからね」

「フッ……わが主はよき友を持ったようです」

 ◇◇◇◇

翌朝、けたたましい高音がノーラの眠りを破壊した。

「おっはよおおおお! ノーラちゃんおはようー!」

「……うっさ」

部屋に入り込み、強引に毛布を引きはがしたエルメンヒルデ。
昨日のことなどけろりと忘れたかのように、彼女は楽しげにノーラの体を揺さぶった。

「二日連続の早起きはきついって。勘弁してよマジで」

「でもさ、教皇聖下が待ってるんだよねぇ。ほら、昨日話したでしょ?」

「え、なに? もしかして、もうお会いする場を設けたの?」

「うん。あのお爺さん、けっこう気のいい人だからさ。二つ返事でノーラちゃんに会いたいって言ってくれたよ」

宗教派の最高権力者、フットワークが軽すぎる。
それともノーラの母がそれほど偉大な人物だったのだろうか。
どちらにせよ、重鎮をあまり長いこと待たせるわけにもいかないので。

「待ってて、急いで身支度するから」

「はーい。あんまり焦らなくてもいいよ」

まずは急いで髪を梳かし、顔を洗い。
眼帯をつけてドレスを着る。
可及的速やかに身支度を終えたノーラは、エルメンヒルデと共に神殿の階上へ向かった。


「聖下。エレオノーラ・アイラリティル様をお連れしました」

先程とは打って変わって。
エルメンヒルデは静かに起伏のない声で言った。

一人の老人が振り向く。
シュログリ教皇、エウスタシオ7世。
彼はノーラを見ると、目元に皺を寄せて笑った。

「おお……深海のように青い髪。エウフェミアの子に違いありませんね」

教皇は立ち上がり、感動に天を仰ぐ。
たしかにエウフェミアの面影をノーラに見た。

「お、お初にお目にかかります。イアリズ伯爵令嬢、エレオノーラ・アイラリティルと申します」

「私はエウスタシオ7世。あなたの母、エウフェミアのことはよく存じています。よく来てくださいました」

促され、ノーラは教皇の向かいに座る。
公爵派の長であるルートラ公爵は威厳があって怖いのに、宗教派の長の教皇は安心感を与えてくれる。
これがシュログリ教をまとめるトップの包容力。

エルメンヒルデがいつしか淹れていた紅茶をテーブルに置く。
まるで友人と茶会でもするかのような、弛緩した雰囲気だ。
教皇は軽くエルメンヒルデに会釈してノーラに向き直る。

「お話は巫女長から聞いていると思います。先々代の巫女長、エウフェミアについて……知りたいことがあれば、なんでも。それ以外のお話でも構いませんよ」

「ええと、それでは……お母様はわたしが小さいころに病死してしまいまして。ほとんど何も知らないんです。その、例えば……なんですけど。お母様とお父様の馴れ初め、とか……」

「ほほっ。エウフェミアとイアリズ伯爵の出逢いですか」

「い、いえっ。興味本位で聞いただけなので、ご存知なければ……」

「駆け落ちですよ」

教皇は笑顔のまま答えた。
率直すぎる答えに、ノーラは硬直する。

「先々代巫女長エウフェミアは、偶然教皇領を訪れていたイアリズ伯と恋に落ちたのです。彼女は私に巫女長を辞めたいと相談を持ちかけてきて……そのとき私は反対してしまいました。……が、彼女は強い人で。すべてのしがらみを投げ打ってイアリズ伯に嫁いで行ったのですよ」

昔を懐かしむように教皇は語った。
まさかの駆け落ちで、自己都合退職である。
いきなり巫女長という重役が欠けたら、もちろん混乱に陥ったのだろう。
ノーラは娘として少し申し訳ない気持ちになった。

「た、大変でしたよね? なんか母はシュログリ教にすごく貢献していた、みたいな話をエルンから聞いたので……」

「ええ。エウフェミアが消えたことにより、シュログリ教の権威は大きく失墜することになりました。なんせ彼女は神を作っていたのですからね」

「神を、作る……?」

言葉の意味がわからず、ノーラは小首を傾げた。
教皇は片目を閉じてそばに控えているエルメンヒルデをちらと見る。

「巫女長。まさか話していないのですか?」

「無論です。シュログリ教の最高神秘ゆえ、お話しするかどうかは聖下に委ねるのが妥当かと存じます」

「やれやれ……責任を押しつけられてしまいましたね。その信心深さと凝り深さとがあればこそ、巫女長の座にいるのでしょうが」

教皇は小さく息を吐いて、ノーラに真実を告げた。

「――シュログリ教の主、焔神。彼は四百年以上前に死んでいるのです」
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