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第二章:〈モルスラ〉でリタの師匠に会う

其の二十七話:〈モルスラ〉にて その12 雑踏での出来事1

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「逃げられた、か」
 風魔法の高速移動で消えるようにいなくなった和穂とリタの残した小さな空気の渦の残滓を見つめ、リタと同じような背格好のエルフの少女は「やれやれ」と肩をすくめた。
「そんなに見られたくないかな」
 呟いて、その後の自分の行動を頭で反芻してみる。
「やっぱり、逃げるか」
 自分でも納得してしまう。口に戸を立てられない性格に悩んだことはあるが、基本、どうでもいいと思う。欠点は長所で補えばいいと常に前だけを見るように歩いてきた。
 ただでさえ長いエルフの寿命、背負う過去思い出は軽い方がいい、とは彼女の師匠の言だ。
 それにしても、とエルフの少女は思う。
 相変わらず見事な風魔法を使う。
 そういえば誰か言ってたな、リタあの子の魔法は特別な感じがするって。
「どうしたの、急にいなくなるからびっくりした」
 後ろから追い付いた人間族の冒険者と思われる少女が声を掛けた。赤毛の髪を肩で切り揃えた切れ長の目と鼻筋の通った美麗な顔立ちはエルフの少女より大人に見える。背丈も頭一つ高い。
 その彼女の後ろに巨体が浮き出すように現れた。引き締まった太綱のような身体、女性であることを示す胸の膨らみが、前に立つ人間族の頭の上にある。その姿はエルフの少女の倍はあるようにみえた。
 黒く長い艶やかな髪の間から、獣人の特徴である一対の動物のような三角の耳が覗いていた。
「あ、いや、リタがいたから」
 悪戯のばれた子供のようにあたふたと言い訳するエルフの少女を見て、赤毛の少女がやれやれといった風に肩をすくめた。
「ふうーん、市にでもきたんじゃない」
 受け流して歩き出す赤毛の少女にエルフの少女がボソっとつぶやく。
「男、連れてた」
 赤毛の少女の足が止まり、エルフの方を振り返った。
「マジで」
「マジで」
 エルフの少女が真顔でうなずいた。
「リタに先越されたー」
 叫んで、赤毛の少女が更に訊いてきた。
「で、リタは」
「逃げられた」
「逃げたか」
 正常な判断だね。腕組みしてうんうんと肯く赤毛に、エルフの少女の頬が膨れた。
「そんな肯くかなくてもいいじゃないって、あれ、先生は」
〝先生〟は彼女らのもう一人のパーティメンバーで、仲間内での通り名だった。
 その問いに、頭の上から声がした。
「ギルド協会に、最終確認と手続きに、いったよ。それより補充の買い出し。出発、明日の朝、日の出なんだから」
 遠慮がちな途切れ途切れの声。でも、それすら心地良い透き通った清流の優しい揺らぎに聞こえる。この声と大きな見た目の差異のために子供の頃は虐められ、大人になってからは歌手になる夢を阻まれた。でも今はこの声にも身体にも感謝している。
ーーあたしその声、好きだよ。
ーーねぇ、なにか歌ってよ。
 パーティになって間もない頃、何気なく言ってくれた目の前の二人の言葉がいまでも彼女の大切な宝物だ。
 エルフの少女も笑顔になった。
「おやつ、いーっぱい買ってかなきゃ」
 嬉しそうにその場でクルリと一回転する。
「……だけーにならないようにね」
 赤毛の少女の言葉のトゲに「もう」とエルフの少女の声が拗ねる。こんなでもこのパーティのリーダーだ。
「なるか。子供扱いすんな」
「はいはい、ごめんごめん」
「だから、頭、撫でるな。これでもあんたより年上だぞ」
 本当、かわいい! かわいいからついつい構いたくなる。そんな赤毛の少女に獣人の女性の声がする。
「もう遊んでないで、行きましょう。先生との待ち合わせに、間に合わなくなる」
「わかってるわよ。ねぇ、それより彼氏坊やとは最近、どうなの」
「べ、別に」
 獣人の女性が顔をそらす。顔は見えないが尻尾はゆっくり揺れている。
「尻尾、揺れてるわよ」
 尻尾の動きで感情のバレる獣人は、まず最初にそれを抑えることから冒険者の一歩が始まる。
 仲間内ということもあり、いまはそれが少し緩んでいる。
「も、もう」
「いいなぁ、私もほしい」
 そんなエルフの少女の声に、
「それはだめ、まだ早い」
 頭上と真横から同時に息ぴったりに声がした。
「ど、どうしたの、二人して。と言うか、それってヒドくない」
「ひどくない」と即座に二人が応対する。
 ゆっくりだった歩みが急ぎ足になる。
 三人の姿はやがて人混みにまぎれてみえなくなった。



 リューク・レスタールは妙なプレッシャーにさいなまれていた。
 なにかが彼の索敵魔法に引っ掛かっている。それはわかるが、その正体がまるで見えなかった。
 リュークは常人の倍以上の魔力を持っていたが、生まれながらに魔力の流れが不安定で偏りがあった。
 索敵魔法に適性があり、それについては他の魔法使いより頭ひとつ抜き出ていたが、魔力が安定しない今の状態では、戦闘では使い物にならず宝の持ち腐れとなっていた。
 そして、時に何かもわからないものを察知してリュークを惑わせた。
 駐屯地になっている〈モルスラ〉の砦を出た時は、まだ晴れた空に小さく木霊する遠雷のように気にもならないものだったが、街中を巡回する頃になると、それはより強く感じられるようになり、今では見えない瘴気の中にいるようだ。
 頭が重く身体が怠い。完全装備フルアーマーでの縦走訓練を思い出す。そのくせ意識だけははっきりとして、普段よりも周りの様子が良くわかった。
 普通、逆だろ。誰に言うともなくリュークが毒づく。
「リューク、大丈夫か」
 横を歩く同僚のティガル・レモンドが声を掛けてきた。
「大丈夫だって言ってるだろ。何度もいわせるなよ」
「なら、いいけど。次の詰所で少し休憩しょう」
 まったく、そういう声と顔は女を口説く時だけにしろよ。俺に向けたって羨望と嫉妬しかないんだよ。
 心配してくれるのはありがたいけど、な。
 ティガルはリュークの幼馴染で、いつもリュークの横にいた。
 同郷の幼い頃からの親友、学舎に通うようになってからは一番身近なライバルだった。
 赤みがかった金髪の童顔、背丈はリュークの方が少し高い。
 剣術はほぼ互角、格闘はリューク、しかし勉学と弓術は昔から勝てた試しがない。そして、モテ度もだ。
 リュークはレスタール男爵家の第三夫人、二人目の側室の子として七人の兄姉きょうだいの年の離れた末っ子として生まれた。
 一番年の近い六番目、三女の姉からも十一才離れている。
 リュークが生まれた頃には正妻と第二夫人の五人の子供はすでに成人し結婚していた。
 それどころか、生まれた時にはすでにリュークは自分より年上の9人の甥と姪に囲まれていた。
 リュークの母親と夫であるレスタール男爵とは父親と娘ほどの年の差があったが、夫婦仲は良好だった。
 また、三人の妻たちも「レスタールの三姉妹レスタールシスターズ」と称されるほど仲が良く、その実力は時に海千山千の家臣を出し抜き、夫をも震憾させた。
 そんな環境の中、リュークは三女の姉と家督を継いだ長男兄の二人の息子と共に兄弟のように育った。
 だが、やがて三女の姉も嫁ぎ、長男次男も全寮制の学舎に入るとリュークは一人ぼっちになってしまった。
 そんな時、リュークの当時の乳母が「私の甥です」と彼の遊び相手に連れてきたのが、小リスのように可愛らしい顔立ちの幼い日のティガルだった。
 会ってすぐに意気投合し、以来十数年、ほぼ共に過ごしてきた。
 が、それは同時にティガルのモテ度の最大の被害者になることでもあった。それは本人も与り知らぬところではある。
「そんな言い方ないでしょう。心配して言ってくれてるんだから。大体、ティル以外に誰があんたにそんな言葉、言ってくれると思ってるのよ」
 ティガルの後ろからショートカットの黒髪の少女レネ・クロックが顔を出し、リュークを睨んだ。
 リュークの肩ほどの背丈、気の強そうな瞳は左右で色彩が違っている。黒色の左目に対して右目は黄色味がかった明るい赤色をしている。魔法使いの間は〝緋色の瞳スカーレット・アイ〟と呼ばれる希有な炎の魔眼だった。ちなみに〝ティル〟とはティガルの仲間うちでの呼び名ニックネームだ。
「レネ、ちょっと言葉が辛辣」
 君もいるでしょ、レネ。君の方が僕よりよほど心配してるくせに。
 警邏は通常一班三人で巡回する。この班のリーダーを務めるティガルがレネをやんわりと嗜める。
「ふん、人の好意もわからない奴にはこれで十分よ」
「黙れよレネ。今はお前の相手をしてられないんだよ」
「なーによ、それ。体調管理も出来ないくせに」
「やかましい、体調管理うんぬんでどうにもならないこともあるんだ」
 やれやれ、また始まった。よくやるよ。
 だいたいレネの方が、僕よりよほどリュークの事情を理解しているはずなのに。
 毎日、社交辞令のように始まる二人のにティガルが顔をしかめた。
 レネのクロック家は代々魔法使いを輩出してきた名家で、王都では知らぬ者はいない。
 三人の出会いは小学舎まで遡るが、その頃から今と似たような、会えば角を突き合わせる毎日だったなぁとティガルは回想する。
 はた目には犬猿のように見える二人だが、その実、出会って直ぐの一目惚れで、お互いに好意を持っていたことをティガルは知っていた。いや、わかっていなかったのは当の二人だけだったろう。周囲の外野も気付いていたくらいだから。
 レネとは中学舎卒業後、一時別れ別れになるのだか、その時のリュークの落ち込みようは、今だ当時の同級生の間で語り草になっているほどだ。情報ではレネも同様だったらしい。
 性格はどちらも正義感が強く純情、リュークはそれに激情が付属する。好きな相手に素直になれないヘソ曲がり、いまだ互いの距離感を図れず、手探りしている二人に、時々「リックさぁ、そろそろおとこを見せるべき時なんじゃないか」「レネ、いい加減、素直になりなよ」と叫んでやりたいティガルだった。
 まぁいいか、とティガルは思い直す。
 おそらくこの二人は、あの高等学舎で共に過ごすはずだった歳月の空白を埋めているのだろうとティガルは思っている。そこはかわいい。ただ、いまは警邏の任務中、いい加減にしてもらいたかった。
 叱られるのはこっちなんだ。それに今日は外せない日なんだ。また暫く彼女と会えなくなるんだから、頼むよ。
「二人共、警邏任務中だよ。そろそろいい加減に」
 ティガルの今日何度目かの注意と仲裁に「はーい」「悪かった」と顔を背け合う。
 ははは……タイミング、バッチリ。なにそのミラーリング。しかも罰の悪そうな顔とまたやってしまったみたいな後悔感、見せつけてくれるね、二人共。
「さぁ、いくよ」
 だから、ちょっとだけからかった。
 リュークを先頭に歩き始めると、ティガルはそっとレネに顔を寄せ耳打ちした。
「レネ」
「なに、ティル」
「ポケットの回復薬ポーション、早く渡してやりなよ」
 ドキン、レネの心臓が跳ねた。そして、小さな耳の先までその右目の魔眼のように赤くなった。
「ポ、ポーションなんて」持ってないと言おうとして、しかしその先が続かない。頭の中で何かが、ボン! と音を立てて弾けた。
 私、いまどんな顔してる。唇をワナワナと奮わせて、レネはティガルを見ている。
 こいつ、いつの間に見たのよ。
 リュークの体調が悪そうなのに気が付いて、急ぎ医療室に寄り貰ってから、まだ一度も出してないのに。さすがはティル、油断ならないわね。
「次の詰所で渡したら」
「そ、そうね、そうするわ」
 なんなの、その笑顔。全部お見通しです、みたいなその余裕は。なんかすっごく敗北感、あるんですけど。
「おい、なにさっきからヒソヒソと」
 一歩ごとに酷くなる。やっぱり、交代してもらった方が良かったかもしれない。次の詰所まであとどれくらいなんだ。
 しかし、ティルとレネのやつ、なにをコソコソと話しているんだ。まさか、この後、二人っきりでどこかに……いやいやレネに、いやティガルに限ってそんなことはない、って思いたい。いや、ない。
「リューク」
 揺れるリュークの上体をティガルが慌てて支え、肩を貸す。レネの誘導で通りの流れから逸れ、小さなカフェのテラス席に場所を借り、リュークを休ませた。
「済まない」
 椅子にぐったりともたれ掛かったリュークが、絞り出すような声で礼を言った。その顔色は紙のように白い。
「はい、これ飲んで」
 レネが回復薬ポーションの瓶の封を切り、リュークの口元に運んだ。
 一口二口とリュークがゆっくりと飲み始め、蒼白だった顔に赤みが戻った。泣きだしそうだったレネの顔が安堵に染まる。
 そんな二人を見てティガルがやれやれと安堵のため息をつく。
 しかし、リュークはちょっと辛そうだ。今日は週末の市もたっているし、まだまだ通りは人も増えるだろう。
 ティガルは考えた末、レネに告げた。
「レネ、リックを見ててくれる。僕はこれから詰所まで行って砦に連絡してくる。交代の班がきたら砦に戻ろう」
「待てよ、ティル。俺なら大丈夫……」
「なに言ってんのよ」
 刹那、レネがその言葉を切る。ティガルがその後に続けた。
「だめだよ、リューク。これは班長リーダー権限、命令だよ。というよりお願いだ、頼むから」
「リーダーが簡単に頭を下げるなよ。わかった、言う通りにする」
「じゃあ、レネ、頼んだよ」
 うなずくレネと僅かに手を上げて応えるリュークに背を向けて、ティガルは一区画先にある警邏詰所まで走り出した。




 

    


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