上 下
28 / 62
第二章:〈モルスラ〉でリタの師匠に会う

其の二十六話:〈モルスラ〉にて その11 リタの懸念

しおりを挟む
「和穂、待たせすぎ」
 手元にディスプレイを立ち上げながら、ぶうっと頬を膨らませてリタが和穂を睨んだ。
「ごめんなさい」
『ごめんなのです』
 和穂とフェリアの二人から謝られて、リタがため息をつく。和穂が相手だと怒ること自体がばかばかしくなるわね。そんな素直に謝られたら許すしかないじゃない。 
 むくれた顔のリタもいいな。どんな表情も可愛い。リタ、今日も綺麗だ。それになんだかいい香りがする。
 陽光に銀の髪が光る。
 風にほつれた髪を指先でかき上げる仕草は、それだけで絵になった。
 和穂はいま手元にカメラがないことを心底悔やんだ。
「リタ、カラーは」
 リタと一緒に外に出た筈のカラーの姿が、その肩の上にいなかった。
「カラーなら、外に出てすぐにどこかに飛んでいったわよ。ずっと屋内だったから、森にでも遊びにでもいったんじゃないかしら」
 手元のディスプレイから目を離さずに、リタが答える。
「それで、義母さまと何を話してたの」
 どこかぶっきら棒に、今度はリタが和穂に訊いた。
 なんか不機嫌だな、リタ。
 待たせたこと、まだ怒ってるのかな。あとでもう一度、謝った方がいいかな。
 でも、リタの不機嫌はそこではなかった。
 少しお粧ししてきたのに、和穂ったら気付いてないのかしら。ほんと、鈍感なんだから。少しくらいなにかいってくれても罰は当たらないわよ。
 すでに展開した〝縮地ムーヴ〟の魔法陣を発動しながら、リタが訊いてくる。
「なんか変なもの、渡されたんだ」
 そう言って、開いた自分のてのひらを和穂は見つめた。
「変ものって」
 リタが和穂の方を見る。
 リタならわかるかな、そう思って和穂は自分の手の中に消えたあの透明な球体のことを話した。
「なに、それ」
 リタが首をかしげた。
「リタにもわからないんだ」
「期待に応えられなくて、済まなかったわね」
 肩を落とす和穂に、リタが「なによ」と、そっぽを向く。
「だいたい、なんで私に聞くわけ。義母さまはフェリアに聞けって言ったんでしょ」
「そんな八つ当たりされても」
 八つ当たりじゃない。鈍感なあなたが悪いのよ、和穂のばか。
縮地ムーヴ〟、リタの詠唱と共に二人の姿がアン邸の敷地から消え、〈モルスラ〉の街中へ移動した。



 二人が出現したのは、昨日、アン邸に移動した場所、郊外の野外劇場近くの広場だった。
 そして足早に市内に向かって歩き始めた。
 一緒に歩いて気付いたことは、リタは歩くのが早いということ。和穂はほとんど小走りで付いていた。
 昨日はもっとゆっくり歩いてたのに、今日はどうしたのかな。
 もしかして、リタ、機嫌悪いの。
 相変わらず鈍いのですよ、マスター。それとリタ殿もアピールが下手なのですよ。でもまぁ、これはこれで見ている分には楽しいものなのです。
 初々しい、リタを生暖かい眼差しで見つめるフェリアが、和穂の肩でため息をつく。
 そして、さっきのの続きが始まった。
「ーー聞くのが、なんか怖くて」
 弱気な和穂の言動に、呆れ顔でリタが言った。
「和穂、フェリアはあなたの従者なんでしょう。もう少し、主人マスターらしくしたら」
 従者……か。
 和穂はリタのフェリアを従者と呼んだことに違和感を感じた。僕にとってのフェリアって、おそらくリタのそれとは違うと思う。
 そのリタにフェリアの抗議の声が聞こえた。リタも和穂も、また始まったと思う。
「リタ様、私は従者ではありません。フェリアは〝剣〟なのですよ」
 そこは譲れないんだね、フェリア。
「フェリア、もう、それは通用しないから。まさか、義母さまの〝昔なじみしりあい〟とは思わなかったけど。しかも和穂より前のマスターだったなんて」
「ふん、なった途端、強制的に契約破棄エンゲージリターンされましたけどね」
 苦虫を噛み砕く、奥歯を噛み締めるような言い方に、フェリアの無念の口惜しさが感じられた。
「それを使えば僕も」
 アンさんにその方法を聞いて使うことができれば、僕もこの状態を解消できるかも。
 そんな和穂の淡い希望をフェリアが高笑いとともに一蹴する。
「はっはっはー、残念ですがそれは無理なのですよ、マスター。すでに対策済みなのですよ」
「そんなぁ」と肩を落とす和穂に、横を歩くリタから呆れたようなため息が聞こえる。
「どうしたの、リタ」
「さっきも言ったでしょう。そういうところ、ダメだって。それと今の和穂がフェリアとの契約解除するのも反対」
「どうして」
 思わず聞いてしまう和穂に、少し前を歩くリタが言った。
「それはもうわかってるはずよね」
 リタはローザとの戦闘のことを言っているのだということは和穂にもわかった。
 もしフェリアがいなかったら、自分がいまここにいたかどうかわからない。いや、居ない可能性の方が高いかな。
 頭をかきながら「そうだね」と笑う和穂にリタの厳しい言葉が刺さる。
「私、心配だわ」
 リタの表情がふと暗くなる。
「心配って」
 聞き返す和穂にリタが足を止め、追いついたその顔を見つめた。やっぱり、こいつは分かってない。
 不意に見つめられて、和穂はドキッとする。
「ど、どうしたの」
「和穂が冒険者になることが。まだ、登録は早いような気がする」
 いつになく真剣なリタの言葉に和穂は当惑した。
「きっと命の危険に遭遇するわ」
「それ、リタの憶測だよね」
 いや、もう遭遇済みだから。和穂が心の声でリタに突っ込む。
「あってからじゃ遅いの」
 だから……僕だってまだ死にたくないよ。
 今にも泣きそうな怒鳴りそうな、そんなリタの顔がいつになく愛おしくて、和穂は満面の笑みでリタを見る。
「ありがとう、心配してくれて。リタは優しいね」
「な、なに言ってるのよ、急に」
 デレるリタに和穂が言った。
「わかった、リタの言うことももっともだと思う。登録は少し考えるよ。でもギルド協会には行こうよ、というか、行きたい」
 今はリタの気持ちを優先することに和穂は決めた。登録はいつでもできるだろう、そう思った。
「だって、いま登録は考えるって」
「でも、ほら、ここ〈モルスラ〉って冒険者の街なんでしょ。だったら、見ておきたいかなって」
「一応、あの辺りも観光地のひとつと言えないこともないけど。まぁいいわ、行きましょう。だだ、絶対に私から離れないで。いい」
「わかった」
 リタに念を押され、その言葉になにか含むものを和穂は感じながらその後ろを従いていった。
 街中に進むにつれ、人の数も増え始める。その中を風のようにすり抜けていくリタに、和穂が少しずつ遅れ始めた。
「和穂、遅いぃ」
「ごめん、でも今日は人が多いね」
「今日は週末の市がたつ日だからよ」
「市、って」
「週の最終日に〈モルスラ〉の中央広場が開放されて、そこに市場が開かれるの。おそらく、そのためね」
「そこって、昨日、案内してくれた聖堂の時計塔前の広場のこと」
「そうよ」
 それよりはぐれないでね、そういって和穂の手を取って歩き出したリタに、雑踏の中から呼び掛ける声がした。
「あー、リタが男、連れてるーぅ」
 その声にリタの足がビタッと止まった。
 あの声は……
「リタ、どうしたの」
 急に立ち止まったリタに驚いた和穂が、何事かと訊いてくる。
 まずいわ……会いたくない、とりあえず今だけは。なに言われるかわかったもんじゃない。そして、あっという間にあちこちに拡散するのは目に見えている。
 この状況がどう伝わるか考えて、リタは頭を抱えた。
 そして出した答えはーー逃げよう。
「和穂、走るわよ」
 握っている手に力がこもる。
「な、なに」
 いきなり痛いほどに手を握られた和穂が驚く。その後ろから再度リタの名を呼ぶ声が聞こえた。
「リタ、誰か呼んでるよ。知り合い?」
 後ろを降り向こうとした和穂とフェリアにリタの鋭い声がする。
「見ちゃダメ」
 有無を言わせないその迫力に、二人の動きが止まった。
「フェリア、和穂を『憑依マリオネット』」
「なぜなのです」
「いいから早く」
 切迫したリタの声に押されて、フェリアが和穂の肩に沈み込むように消えた。
 そしてリタが魔法の短文詠唱を高速で行い始める。
「風よーー我を一陣の風と成せ、『疾風はやて』」
「リ、リタ」
 こんな人の多い中で魔法を使って大丈夫なの、和穂が心配を口にするより早く、リタの詠唱が終わり、続いてフェリアの声が頭の中に響いた。
「マスター、コントロールするです。一瞬、意識が飛ぶですがご容赦です。『憑依マリオネット』」
「え、えー、フェリア、待って」
 和穂がフェリアに何か言おうとした瞬間、和穂は立ち眩みのような感覚に、突然、目の前がブラックアウトした。










    



しおりを挟む

処理中です...