上 下
493 / 533
十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王

十九夜 白蛇天珠の帝王 34

しおりを挟む

「坂崎さんだわ」
 モニター画面越しに来訪者の姿を見て、花乃は言った。
「もう絶対にパパの代わりはしない、って言ったのに!」
 少し憤慨して、インターホンの応答ボタンに手を掛ける。――が、
「そう答えを急ぐことはない。言葉はいつの時代も人を支える力になるものだ。誰も声を上げなくなれば、道に迷う者たちが溢れてしまう」
 短気な行動を諭すように、有雪が言った。
「でも、私やっと、他の人が教団や新興宗教をどう思っているかとか、みんなと同じ金銭感覚や価値観が解って来て、本当にやっと普通になれたような気がしてたの。それに――」
 花乃は少し言葉を切り、
「それに……本当は私、伯父さん夫婦の子供なの。みんな黙ってるけど、知ってるの。伯父さん夫婦には女の子が生まれて、パパとママには子供が出来なくて……」
 その頃、伯父夫婦の酒蔵は、ワインやシャンパン、発泡酒やカロリーオフなど、様々なアルコールが出回る中、倒産の危機に晒されていた。借金は増える一方で、店を手放しても全てが清算できるかどうか、というところまで来ていて――。そんな中、伯父、鴨居幸助に資金を援助し、新しい銘柄の酒を作る設備を投資してくれたのが、幸助の妻の妹(花乃の母親)が嫁いだ先の、新興宗教《創世の礎》の教祖、塚原正芳だったのだ。
 資金を援助してもらっても、そうすぐに持ち直すはずもなく、「自分たちに花乃を育てさせてくれ」という塚原正芳の言葉に、伯父夫婦は首を振ることが出来なかったという。
 そして、酒蔵がすっかり持ち直した頃には、花乃は塚原夫妻だけを両親としてすくすくと育ち、今更「返してくれ」とは言えない状況になっていたのだと――。
「――だから、私、パパの血なんて引いてないの。パパみたいに皆に幸せを約束することも出来ないの」
 花乃は、自分の血を信じてくれている信者たちへの罪悪感を、口にした。
 伯父夫婦が、花乃が居候しているだけで嬉しそうなのも、心苦しいばかりだったのだ。
「第一、人が神様みたいに誰かを救ったりできるなんて――」
「それは違う」
 とめどなく溢れてしまう言葉を、有雪が止めた。
「人だからこそ、人を救えるのだ。今のおまえに救う力がないのなら、この先、それだけの力を身につければいい」
 見つめる眼差しが、近くにあった。
 このまま唇が重なり、抱きしめられることを期待したのだが、再びインターホンが鳴り響き、花乃は夢から引き戻された。
「――今、開けます」
 玄関に行くと、少し興奮気味の坂崎が立っていて、
「お嬢様、お願いです! 信者たちが次の花乃様の説法会はいつなのか、と会館を去らずに祈りを続けて、どうしてもこのままでは――!」
「坂崎さん――」
「お嬢様のお気持ちは解っています。ですが、正芳しょうほう様の病気が快復されるまでは、どうか信者たちにそのお姿とお言葉をかけてやって欲しいのです」
 父、塚原正芳以上に、花乃を信奉する信者たちの信心ぶりに、坂崎は興奮冷めやらぬ様子でまくしたてた。
 だから、かも知れない。逆に花乃は落ちついてしまって、何だか頭の中はすっきりしていた。――いや、それは有雪の言葉のせいだったかも知れないが。
 本当に、言葉というものは、人に力を与えるものなのだ。
「待ってください、坂崎さん。落ち着いてください」
「お嬢様、一言でいいのです。どうか――」
「私は学生なので、勉強や、しなくてはならないことがたくさんあります」
 花乃が言うと、坂崎は落胆するように肩を落とした。
「それは……」
「でも、春休みには、また帰って来ますから、その時になら」
 続けて言うと、今ここで拝み出すのではないか、思うほどに、坂崎がパッと瞳を輝かせた。
「ありがとうございます、お嬢様……!」
 と、涙まで流しそうな勢い。
「でも、あんな立派な台本はもう要りません。私にできることを考えて、そのことについて話そうと思います」
 ――そう。漠然とした理想や、神に近づく話ではなく、人として出来る範囲の活動や、目標を……。


しおりを挟む

処理中です...