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十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王
十九夜 白蛇天珠の帝王 32
しおりを挟む角端の姿が見えなくなってから、索冥は、蓬莱山の中腹にある山の切れ目のような洞窟に、ふと思い立って足を向けた。
そこは、不老長生の仙薬、黄玉芝の生える、この世で唯一の場所である。
この蓬莱山は、辿り着く者も少ないが、この黄玉芝を手に入れることのできる者は、さらに少ない。
上芝は車馬の形、中芝は人の形、下芝は馬、牛、羊、豚、犬、鶏という六種の家畜の形をした神芝で、車には雨や日差しを避けるための蓋があり、茸のような形をしているという。
裂け目のような細い洞窟を奥へと進むと、澄んだ湖面の中央に、小さな浮島が佇んでいるのが見通せた。
そして、その小さな浮島には――。
「なんだよ、黄玉芝がないじゃないか! 枯れたのか?」
こっそり後からついて来ていた少年、舜が言った。彼は本来、黄玉芝とは無縁の不老長生の一族の生まれだが、少し前にこの黄玉芝を求めて、この洞窟に訪れたことがあるので知っているのだ。その時は結局、黄玉芝を手に入れることなく、帰って行ったのだが。
「……必要とする者が現れた、ということだ」
索冥は言った。
「ここまで来た人間がいるのか?」
「さて。俺も見ていたわけではない。その内知れる時が来るだろう」
恐らく、角端が持って行ったのに違いない。索冥もそうだったから、角端の思う処は察することが出来た。永遠に近い生命を持つ麒麟にとって、数十年の生命しか持たない人間は、刹那を駆ける流星のような存在なのだ。夜空に輝き続ける帝王星になることはない。
そして、儚い命に翻弄される帝王を見ていることは、何より、辛い。
もちろんそれは、麒麟が思う身勝手なもの、なのかも知れないが。
「クソっ! オレの黄玉芝だと思ってたのに」
一度は採るのをやめたクセに、他人に採られたことが判ると、勿体なく思えてしまうらしい。死に切れない忌まわしい運命を背負う身であるというのに、舜は悪態を口にした。
「もしかしたら、黄玉芝の霊力を追えば、誰が採ったか判るんじゃないかな?」
スケルトンのブタの貯金箱の中から、灰の姿の青年、デューイが言った。
「ああ、そうか! あれって、霊気を持ってたものな」
と、舜。
もちろん、索冥には聞き捨てならない。
「おまえら、霊気を追い駆けるつもりなら、黄帝を呼ぶぞ」
この黄帝とは、その少年が何よりも嫌っていて、何よりも苦手とする父親のことである。その父親に自分の行動を窘められる(もしくは、厭味を言われる)となれば、殺してやる、などという現実味のない脅し文句よりも、余程、この二人――いや、舜を引き止める力がある。
「このドケチ麒麟!」
本当に、帝王の素質などあるのだろうか、この少年に……。
もしかして――。
もしかして、自分は、有雪にこの時代に残って欲しいのだろうか。
花乃は、わずか数日で自分の心のほとんどを占めてしまった有雪の存在に、今まで感じたことのなかった切なさと、辛さを感じた。
猛に恋をしていた頃は、弾むような気持と、猛に好かれることだけを考えて、恋に恋する自分を可愛らしいとさえ思っていたのに、有雪に対する思いは、こんなにも苦しい。
ずっと一緒にいられる人ではない、と解っているから。
必ず別れる日が来ることを知っているから。
そして、自分が愛されることなど考えずに、側にいて愛していたいと思うばかりだったから……。
「この時代の服も着心地は良かったが、気慣れぬ服は動きにくい上に、大切な父御の服を汚してしまっては申し訳ないからな」
鈍感なのか、そう装っているのか、花乃の寂しさになど微塵も気付かないように、有雪が言った。
哀しいけれど、判っている。そうした方がいいのだ、ということなど。
「その石、まだ持ってるの?」
鹿苑寺で拾った『捨て呪』の石を、再び袂に入れる有雪を見て、花乃は訊いた。
もうあの黒い靄が宿っているわけでもなく、今はただの石ころなのだが。
「これには一度、あの憑き物を封じるための呪が刻まれている」
「え? どこに?」
米粒に字や絵を書くというアートを見たことがあるが、あんな風に小さな文字がびっしりと刻まれていたりするのだろうか。――そう思ったが、
「呪は目に見えるものではない」
――なーんだ。
「別のモノに、新たに呪を刻んで憑き物を封じるよりも、この石に刻まれた呪を使う方が遥かに易い」
「……九尾狐を封じるとか?」
「馬鹿を言え。あれはこんなものに易々と封じられるような輩ではない」
なら、無用の長物ではないか。――いや、あの黒い靄のようなものが戻って来ることがあれば別だが、もう何日も経っているし――。
いつまでも、こんな風に、話をしていることは出来ないのだろうか。
また、センチメンタルな自分に浸っていると、それに水を差すように、烏の鳴き声が割り込んだ。何の変哲もない一声だったが、有雪の形相が途端に変わり、慌てて窓へと駆け寄ったのだ。
まさか、烏を見るのも初めてだ、とかいうわけではないだろうが……。
――まさか、ね。
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