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十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王

十九夜 白蛇天珠の帝王 31

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「おまえが自分でやれば手間もなかろう?」
 立ち去る猛の後ろ姿を厭な顔で眺めながら、たった今姿を見せた仁獣、角端が言った。
「妾が? 自分で?」
 玉藻前は心外という風に驚いて見せ、
「男に貢がせるのが、妾の楽しみの一つ――。なにより、自分が演じていては、芝居を見ることも適わぬではないか」
「……相変わらず、悪趣味だな」
「ふふ。最高の褒め言葉、ありがたく頂戴いたしましょう」
 と、口元を隠して、目を細める。
「――で、またお出ましとは、あの小娘に手を出すな、と妾に釘を刺しに来られたのか?」
 玉藻前が訊くと、
「ただの芝居見物だ」
 角端は言った。
 微塵も揺れない瞳だった。
「なら、妾がどう演出しようと構わぬと?」
「無論だ」
 やはり、ただの人間の娘では、麒麟に認められることは無いのだろうか。
 それとも、他の帝王たちに比べて見劣りのする女帝が、この麒麟には何よりも気に食わないのかも知れない。何しろ、あの覇王――黒帝を選んだ黒麒麟なのだから。
「妾は芝居見物も何よりの愉しみ故、共に楽しむ相手がいるのは至極の悦び――。ゆうるりとご覧くださりませ……」




 病院最寄りの私鉄の駅から電車に乗り、帰りにクリーニング店に寄って、有雪の衣装を受け取った二人は、京都への帰り支度をするために、再び花乃の自宅に戻っていた。
 有雪は何も言わなかったが、花乃は、《創世の礎》の本部会館で、自分が感じた陶酔と、自分が信者たちから敬われていると思った勘違いを、有雪に見透かされているような気がして、恥ずかしかった。
「びっくりしたでしょ、新興宗教の教祖の娘なんて?」
 と、荷物を詰めながら、言い訳のように口火を切る。
 無論、有雪のいた時代にカルトなどという言葉は存在しなかっただろうから、現在の反社会的なイメージで、新興宗教を視ることもないだろうが。
「いや、おまえが語った通りの世が実現するなら、誰もがおまえを崇めるだろう」
「……うん、解ってる。あれは、いつものパパの説法を少しいじっただけの台本なの。私はそれを読んだだけ」
「責めている訳ではない。理想が現実にならないことを知っている、と言ったに過ぎぬ」
 彼もまた、叶わぬ夢を見たことのある一人だったのかも知れない。
「うん……」
 花乃はうなずき、
「この首の輪の呪ね、あの時の『捨て呪』みたいに何かに移してしまうことは出来ないのかしら?」
 話を変えるように、互いにどちらかの首を落としてしまうという忌まわしい呪のことを、持ち出した。
 それなら、呪が解けなくても、何かに肩代わりさせるだけでいいのだから。
 この国には、そんな類の話が山ほどある。祓い人形に穢れを移して流してしまう『流し雛』や、受けた傷を肩代わりしてくれる『身代わり地蔵』……どれも、人間以外のものに災いを移すことで、難を逃れる仕組みになっている。
「あの九尾狐の呪は簡単に動かせるものではない。――出来たとしても、誰かが代わりに『捨て呪』を拾うことになる」
「誰も拾わないように、有雪さんの力で誰の手にも渡らないように封じるとか」
「俺にそんな力があれば、あの九尾狐きゅうびこを退治している」
「……」
 ――ごもっとも。
 それから二人は黙々と帰り支度を進め、有雪は自分の装束に着替え、クリーニングの威力に感嘆していた!
 あの、折り目よりも皺の目立っていた着古した衣装が、驚くほどきれいになっていただけではなく、パリッと見事に糊付けされ、別物のようになっていたのだ。
「これは凄い! 何という着心地の良さじゃ!」
「でも、この時代の服も似合ってたわよ」
 すぐに着慣れた自分の服に着替えてしまった有雪に、花乃は少し寂しさも交えて、そう言った。
 今の時代がどんなに便利でも、どんなに清潔で、美味しいものが溢れていようと、大切な人たちのいる時代の方が、有雪には大事に決まっているのだから……。


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