上 下
483 / 533
十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王

十九夜 白蛇天珠の帝王 24

しおりを挟む

 ケイタイを切り、花乃は、東京からの思わぬ知らせに、どうしていいのか判らないまま、茫然と言葉を失くしていた。
 父親が倒れた、という連絡だったのだ。
 血圧が高いことは知っていたが、夜中、トイレに起き出し、冬の寒さに冷えるトイレで、そのまま倒れてしまったらしい。血管が収縮しやすい冬の時期、脳梗塞や心筋梗塞を起こしやすいのも、布団の中の暖かさと、廊下やトイレの寒さに差があり過ぎるからなのだ。
「どうかしたのか? その板のようなモノは、誰かと話が出来る呪器なのか?」
 すでに未来の不可思議な文明の利器には驚くこともなくなったのか、それとも、未来とはそういう世界なのだと達観したのか、有雪が訊いた。
「パパが倒れたって……。危ないかもって……」
 花乃は、ぽろぽろと零れる涙を止めることも出来ず、傍にいる有雪に泣きすがった。
 こんな知らせが届いた時に、一人でなかったことに安堵していた。――いや、もちろん別の部屋には伯父夫婦がいるが、泣きすがるには微妙な距離感で、かえって、知りあったばかりの有雪の方が、気兼ねなくすがりつける相手でもあった。身近な肉親には見せられない姿でも、別の世界の、この先会うこともないような人間になら、弱くうろたえる自分を見せることも気が楽だったのだ。
 それに、色々なアクシデントや危険を共有し合う同士であることも、甘えられる一因であった。
 その証拠に、数度デートしただけの新堂猛には、まだこんな風にすがりついたり、無理を言ったり、甘えたりすることは出来なかったのだから。
 高ぶる感情を吐きだすように涙を零すと、花乃は次第に自分が落ち着いて行くのを感じていた。
 いきなり泣き出してすがりついてしまうなど、有雪もさぞ困っているだろう――そんなことを考える余裕も出て来ていた。
「ごめんなさい……」
 そう言って離れると、
「――あ、ああ」
 有雪は何やら考え事をしていたかのように、少しハッとした様子で肩に置いていた手を離した。
「へ、変に思ったわよね。千年前じゃ、女がこんなことするのってふしだらよね」
 花乃が言うと、
「いや……。花の匂いがして――、少し昔のことを……」
「花? シャンプーかしら?」
「しゃん……? いや、そんなことはどうでもいい。父御の処に駆けつけなくてはならないのだろう? 馬でどれくらいかかるのだ?」
「え? さあ、馬は知らないけど、新幹線とタクシーで三、四時間くらい……。でも、始発で行くにしても、あと三時間くらいあるから、その間に伯父さんたちに話して、東京に帰る準備をしないと――。坂崎さんが迎えに来てくれるって言うけど、新幹線の切符を取ってもらった方が早いから」
「……」
 手順を説明する花乃に、有雪が少し微笑むようにして、瞼を伏せた。
「あ、ごめんなさい。解らないわよね、こんな説明じゃ――。坂崎さんって言うのは、父の教団の幹部の人で――」
「いや、そうではない。おまえも俺が知る姫のように弱いのかと思っていたのだが、思いがけない強さが垣間見えて、何だか安堵してしまったのじゃ」
「そ、そう? 私も不思議。泣いて顔を上げたら、こんなにきちんと考えられるなんて」
 ――きっと、一人でなかったから。
 この、別の時代から来た陰陽師がいてくれたから……。
「男に騙されても、引っぱたいて胸を張るのが見えるようじゃ」
「それは失礼だと思う」
 花乃は頬を膨らませ、
「……そのお姫様のこと、好きだったの?」
「……」
 返事は返らず、
「坂崎さんに電話をして、切符を取ってもらったら、伯父さんのところに行って来る」
「ああ」
「……」
 ――今も、まだその人を思い続けているのだろうか。昔のことを思い出して、というからには、その姫は、もう……。
「――一緒に来てくれるわよね?」


しおりを挟む

処理中です...