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十七夜 憑き物の巣

十七夜 憑き物の巣 4

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「黄帝様は今頃、真珠婚式のお祝いに、玉藻前たまものまえ様の処で碧雲ビーユン様と一緒に過ごされてるんだろうなぁ……」
 早い話、黄帝とその妻(舜の母)、碧雲の結婚三十年の祝いを玉藻御前たまもごぜんが仕切りたい、というので、今回、わざわざ中国の秘境たる奇峰の最高峰から出向いて来たのだが、久しぶりの大人の時間――夫婦の時間に舜は邪魔者扱いされ、『仕事修行』と称して、玉藻御前の処から追い払われてしまったのである。
 無論、舜としても母たる碧雲に会うのは久しぶりだったのだから、もっと一緒にいたかったのだが、黄帝のことを幸せそうに見つめる母の姿を見ているのも何だかしゃくに障ったので、こうして素直に出て来たのである。
 そもそも、この玉藻御前という絶世の美姫、中国古代王朝まで遡る高貴な御方だという噂もあるが、事の真偽は定かではなく、この日本に渡られてからは、鳥羽院の元でひと暴れなさったらしい……。
 デューイなどはそんな伝説の御方と会えたことで大喜びで、身も心も捧げ出してしまうような有り様だった――とはいえ、身の方はもうないが。
 舜は、と言えば……。
 ふさふさとした九尾に興味を示したくらいで、尚も母親にべったりだったのである。
 まあ、極度のエディプス・コンプレックスを抱えるマザコンなのだから、それもいたしかたない。
 ともかく――。
 話はすっかりと逸れてしまったが、玉藻御前の誘いに応じてついて来た日本の旅で、舜とデューイが魔物退治屋を行うことになったのは、こういう理由だったのである。
 一説には、読者様から「舜も仕事をしないといけない年頃」というお言葉をいただいたからだ、という説もあるが。
 それはさておき、二人が人気のない場所で、来るか来ないか判らない客を待っていると――。
「ねぇ、魔物ってどんなモノのことなの?」




 ランタンの向こうには、驚くほどにきれいな線を結ぶ少年が座っていた。顔が見えなくても、その美しさの判る容姿である。
 踏み台のような小さな台に、丁度、ランタンと背中合わせに腰かけて、頬杖をついていた。
 いや、きっと、この暗さとランタンのせいで、必要以上に神秘的に美しく見えるのだろう。
「ねぇ、魔物ってどんなモノのことなの?」
 真綾は、その奇妙な貼り紙の方へと足を向け、ぽつんと独り背中向けに座っている少年へと声をかけた。
 肩幅や、華奢な首筋、線の細いラインからして、後ろ姿からも年若さが読みとれたが、その人外の神秘的な美貌は、想像以上のモノだった。まるで、この世に存在してはいけない者のように。
 ただ当たり前の仕草で振り返った少年の面貌は、神話や伝説で謳われている人外の者を想像させるほどに美しかった。
「自分に害をなす奴のことだよ」
 唇の動きさえ魅せられるような端麗さの中で、言葉遣いだけが普通の何処にでもいる少年のようで、それがなんとか彼をこの地に繋ぎとめている楔のようでもあった。
 でなければ――。
 言葉までもが異質の美しいものであったなら、真綾はその場で恐れをなして逃げ出していたかも知れない。
 そして――。
「害をなすもの……」
 あれも確かに、祐樹と真綾に害をなしている。
 ――『らら』という名の、天使の姿をした、魔物……。
「そう。どんな魔物でも退治してくれるの?」
 馬鹿馬鹿しいとは思ったが、今はどんなものにでも縋りたかったのだ。それこそ、こんな奇妙な貼り紙にでも。
 自分が何を言ったところで、祐樹はきっと聞いてもくれない。もう、真綾の存在に慣れきっているのだ。
 それなら、第三者が――この少年が、祐樹の部屋で魔物退治でも、悪霊退治でもいいから暴れてくれたら――。ちょっと変わった少年のようだから、それくらいのことはしてくれるかも知れない。
「タダじゃ出来ないぜ」
 少年は言った。
 まあ、それはそうだろう。子供の小遣い稼ぎなら、そんな台詞も理解できる。
「いくら?」
 真綾は訊いた。
 財布の中には一万円以上あるが、三千円くらいまでなら払ってもいい。その少年が漫画本でも買って、ジャンクフードを食べるくらいのお金には充分だろう。
 それとも、昨今の高校生は、ゲームソフトが買えるくらいの金額を欲しがるだろうか。
 それならそれも、仕方がない。
 そう思って、返事が返って来るのを待っていると、
「ちゃんと払えるんだろうな? 千元以下では引き受けないからな」
 少年は言った。
 千元――、と聞こえたが、多分それは聞き間違いで、彼は千円と言ったのだろう。それなら、思っていたよりも随分、安い。
 もちろん真綾は、中国の平均月収が一万五千元くらいであることも、それが中国の一般庶民には高額な報酬であることも知らなかったのだが。
「いいわ。先渡しなの?」
「後でいい。――まずは話だ」
 少年の言葉に促されるままに、真綾はこのふた月間のことを、詳しく話して聞かせたのだった。


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