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六夜 鵲(チュエ)の橋

六夜 鵲の橋 6

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 男は、夜の歓楽街たる、ノース・ビーチを歩いていた。
 コロンバス通りから始まるこの界隈は、昼間は閑散としたものだが、夕闇迫る頃ともなれば、安っぽいネオンがきらめき始め、男たちに、酒と女を提供する。
 何しろ、トップレス・バー発祥の地であり、ボトムレスも当たり前、という時代さえあったのだから。
 男は、何かを考えるように立ち止まり、今来た道を、振り返った。
 ノース・ビーチの始まりたるコロンバス通りのその向こう側は、チャイナ・タウンである。
「申し訳ありません、大哥、哥哥方……。私には、どうしてもジンを放っておくことが出来ないのです……。黄帝様が応えてくださらない今、私にはもう、こうするしか……」
 男は、噛み締めるように言って、指を結んだ。
 あの日、七人の老師たちを前に、畏まっていた男、小鋭である。
 結局、あの後、老師たちが妖術を使って、黄帝に呼びかけても、黄帝からの応答は全くなく、このサンフランシスコへ姿を見せる、というようなこともなかったのだ。
 小鋭は、ゆっくりと一度、瞬きをし、再び、夜の歓楽街を、歩き始めた。
 どこかで、鵲(かささぎ)が、遠く啼いた。
 こんな街の、ネオンの狭間で――。
 その啼き声に、足を止めると、
「あーっ、ここがいい。ここで遊ぼっ」
 と、まだ年若い少年の声が、耳に届いた。
 かつて、船乗りたちの楽しむ場所であったこの歓楽街も、今では、年端もいかない少年たちが出入りするようになり、すっかり、危険になっているのだ。
 その少年の傍ら、
「駄目だよっ、舜。ここは、未成年が遊べる場所じゃ――っ。ぼくは、ベイブリッジまで抜けるつもりで――」
「橋なんか見て、どこが楽しいんだよっ」
「橋じゃなくて、ベイブリッジの向こうには、ぼくの母校のバークレーがあるから、そこを君に見せたくて――」
「大学なんか見たって、ちっとも面白くないじゃないかっ。早く車を止めろったら――。でなきゃ、壊して降りるぞ」
 それは、白いポルシェの中での会話であった。車を見ただけでも、どこかの金持ちのお坊っちゃまの夜遊び、ということは、すぐに知れる。
 助手席のドアが、バン、っと開いた。
「ああっ! 駄目だったら、舜! 華やかな場所を見たいのは解るけど、こんなことが黄――」
「ふんっ。解ってるなら、子供の好奇心を妨げるなよ。オレは、本当は一人で遊びに来たかったんだけど、あんたを一人にしておくと、また誰かに咬みつくかも知んないから、こうして一緒にいてやってるんだ」
 えらく、態度のデカイ少年である。
「あ、ありがと……」
 ここで、礼を言ってしまう青年の方も、青年である。
 車が止まり、少年が助手席から、姿を見せた。思わず息を呑むほどの美貌を持つ、東洋人である。他の全てを霞ませてしまう、というか、独特の雰囲気を纏っている、というか――性格の方は、その限りではないようだが。
 神秘的すぎる面貌とは逆の、その性格が、彼をまだ、人間に近いものとして見せているのかも、知れない。
 運転席から降り立ったのは、苦労知らずのお坊っちゃま風の、青年である。人の善さが、その面貌にも滲み出ている。
 その人の善さのせいで、その年若い少年に、振り回されているのではないだろうか。
「日本の金持ちの留学生と、それを口説いているアメリカ人の道楽息子、というところか」
 小鋭は、その二人を見ながら、呟いた。
 どちらも英語を使っていたため、そして、ポルシェ、という、これみよがしの車のため、その時はまだ、その二人のことを、さして気に留めてはいなかったのだ。
 だが、何かが心に引っ掛かっていたことは、確かであった。
 たとえば、雰囲気――。
 人が近づいてはいけない魔物のような、神のような、そんな雰囲気が、二人には――特に、少年の方には、あったのだ。
 全身に鳥肌が立つような。
 小鋭は、フッ、と鼻を鳴らし、
「私もどうかしている。あんな子供を、怖い、と思うなど……」
 と、苦笑のように、呟いた。
 そして、星の見えない空を、高く見上げた。
 今の世の中、夜空に輝く星を見ようとする者など、天文学者を除いて、他にはいない。
 今では誰も、星など見ない。
「必ずおまえを助け出してやる、静……」
 小鋭は、決意を固めるように、こぶしを、握った……。


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